史上最弱幕府の将軍、足利義詮の子として生まれる 足利義満は、1358年8月22日、京都春日東洞院(とうどういん)にあった幕府政所執事(まんどころしつじ)の伊勢貞継(いせさだつぐ)入道照禅(にゅうどうしょうぜん)の屋敷で2代将軍足利義詮(あしかがよしあきら)の子として誕生しました。それは、祖父にあたる室町幕府の開祖、足利尊氏(あしかがたかうじ)の死後、100日後の事です。実際の義満は長男ではなく、母の紀良子(きのよしこ)も正室ではないのですが、長男が夭折(ようせつ)した事もあり、嫡男(ちゃくなん)としての立場を得ていく事になります。 しかし、義満が子供の頃の室町幕府は南北朝の騒乱の真っただ中で、1361年には京都は南朝方の楠木正儀(くすのきまさよし)、石塔頼房(いしどうよりふさ)の軍勢に占領され、義詮は後光厳天皇(ごこうごんてんのう)を連れて近江に脱出、義満はわずかな家臣に守られ建仁寺に逃れ