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2020年11月17日。横浜DeNAベイスターズの公式YouTubeチャンネルで公開された動画のうち1本は、慣れた手つきでリーゼントヘアをセットする男の姿から始まる。 時間にして3分31秒。ドキュメンタリー風に編集された短編では、その男が車のハンドルを握りながら「人生の半分以上を過ごす」横浜への愛着を語り、プロ野球選手として輝きを放っていた時代の映像と絶妙にシンクロする。そして物語は、男が記者会見場に到着したところで締めくくられる――。 主演は三浦大輔。この日、彼はDeNAの新監督に就任した。記者会見の模様は、もう1本の動画に収録されている。 選手、指導者合わせ「横浜一筋」27年。三浦が長年に亘り「フォーマル」だと誇示する、リーゼントが映える。 「今風の髪型なら宣伝効果があるかもしれないけど、リーゼントはなりにくいのかな?」 少し自嘲していた三浦を思い出す。 時代や流行りは関係ない。三浦が
リーゼントロックの「ミニ引退式」に駆けつけた三浦大輔オーナーと矢作調教師 寒さを全く感じさせないほど温かな空気に包まれていた。12月12日。滋賀県・栗東トレセン内にある矢作芳人厩舎では、首にニンジンで作った手作りのレイをかけられた一頭のサラブレッドが、多くの笑顔に囲まれていた。真ん中にいるのはDeNA・三浦大輔2軍監督。そのサラブレッド、リーゼントロックのオーナーだった。12月7日の師走S(10着)を最後に現役引退が決定。この日は厩舎主催の「引退式」が行われたのだ。「生死の境をさまよった馬ですからね。本当によく頑張ってくれた。夢を見させてもらいました」と、三浦オーナーが愛馬にほほ笑みかけた。 「丈夫さ」が売りだった三浦オーナー2頭目の所有馬。悪夢に襲われたのは、2014年5月の京都新聞杯だった。中団を追走していた2コーナーで、ズルスルと力なく下がっていく。左後肢の複雑骨折による競走中止。馬
「小さい頃の自分の目線からしたら『おお、すげえ! 三浦さんや!』と思いますけど」 奈良県橿原市。建国の地として知られるこの歴史深い土地は、二人のベイスターズに所縁の深い投手をうみ育んだ。永遠番長、三浦大輔。そして永遠自由人、久保康友。憧れだった地元のヒーローが、同僚になったあの時。久保康友は三浦大輔をどんな選手としてとらえていたのか。あとは公式発表を待つだけとなった三浦“新”監督に、久保が寄せる思いとは。 久保 そうです。地元のスターですよ。小さい頃「あ、高田商業からプロに行った人いるな! すごいな!」って思ってました。奈良からプロに行くといったら大体智辯学園高校とか天理高校とか、有名なところからなので。高田商業はすごく身近というか、そういうところからプロ野球選手が出るってすごいなと。 ーーまさか自分が同じチームでプレーするようになるとは……という感じでしたか。 久保 小さい頃の自分の目線
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