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光明天皇 足利尊氏の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 歴史人物スイング 足利尊氏 室町時代1人目 - 素振り文武両道

    皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【160】バットを振りました。 今日は歴史人物、足利尊氏を読みながらバットを振りました。 室町時代1人目。 足利尊氏あしかがたかうじ ウィキブックスより引用。 後醍醐天皇は 天皇中心政治をしたく、 幕府に2回争いを仕掛け敗北。 島根に追放される。 しかし後醍醐天皇は島根から脱出、 3度目の争いに挑む。 この時に尊氏は天皇軍に加わる。 その後色んな場所で戦い、 幕府を滅ぼした。 しかし尊氏は 天皇政治に不満を持ち、 武士政治を取り戻そうと、 光明天皇を即位させた。 後醍醐天皇を奈良に追い払い、 光明天皇から征夷大将軍に任命され、室町幕府を開いた。 ピンクの12行を 【言ってバットを振り】ました。 1行5回ずつ繰り返し60振り。 足利尊氏くらいの人物が現れないと、現政権に勝てない気がします。 全員が選挙に行けば、勝つかも。 本日の素振り文武両道の概要。 2

      歴史人物スイング 足利尊氏 室町時代1人目 - 素振り文武両道
    • 建武の新政に失敗した後醍醐天皇が吉野に逃れたあと、足利尊氏が北朝で即位させた天皇は? 北方謙三「道誉なり」を読む - 安心感の研究 by 暖淡堂

      こんにちは、暖淡堂です。 歴史に関心があって、色々と歴史書などを読んでいても、鎌倉幕府体制の終了から建武の新政、南北朝にかけての時代はわかりにくいですよね。 後醍醐天皇、足利尊氏、楠木正成の他、登場する人物も非常に多い。 後醍醐天皇は南朝なのは知っていても、例えばその時の北朝側で即位していた天皇は誰だったのでしょう。 この記事では、その辺りを確認した上で、南北朝と呼ばれ始める時代を簡単に振り返ってみたいと思います。 前南北朝時代 後醍醐天皇と足利尊氏 北朝の成立 北方謙三「道誉なり」で描かれる時代 前南北朝時代 鎌倉時代後期、天皇家は持明院統と大覚寺統の二派に分かれて、交互に天皇に即位していました。 この状態が生じていたのが、南北朝に分裂するきっかけとも言えます。 幕府はこの皇位継承に直接干渉し、皇室側も幕府に頼って自らの立場を維持しようとしていました。 鎌倉幕府を倒し、政治の実権を取り戻

        建武の新政に失敗した後醍醐天皇が吉野に逃れたあと、足利尊氏が北朝で即位させた天皇は? 北方謙三「道誉なり」を読む - 安心感の研究 by 暖淡堂
      • 11 風の群像(足利尊氏) 杉本 苑子 (1997) - 小説を 勝手にくくって 20選!

        風の群像(下) 小説・足利尊氏【電子書籍】[ 杉本苑子 ] 価格: 734 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 源氏の名門、足利家の嫡男足利高氏は、その血筋と野放図で開けっ広げな性格によって、周囲から慕われていた。理論家で理想肌の弟足利直義。反対に現実主義で何事にも如才ない、足利家の執事の家に生まれた高師直。師直の弟で無口だが、戦いでは誰にも負けない高師泰。年は若いが一本気な上杉重能。高氏と仲間たちは好き勝手に語らいながらも、後醍醐天皇が1度ならず2度目の挙兵をするに及び、北条家に代わり武家の棟梁になる野望を口にする。 高氏は後醍醐天皇に呼応して仲間たちと共に倒幕を決断し、京における幕府の役所、六波羅探題を攻め落とす。同じとき高氏と同じ源氏の名門、新田義貞が鎌倉を攻め滅ぼし、倒幕を果たした。 天皇は高氏を功一等とし、自らの諱「尊治」から偏諱(へんき)され「尊氏」と名を変える。そして後醍醐天皇

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