岐阜市の金華山山頂に立つ岐阜城天守閣が、不動産登記された。正式な住所はなかったが、「岐阜市天主閣18番地」となった。岐阜県土地家屋調査士会が10日、明らかにした。官公庁所有の建物は登記の義務がなく、天守閣の登記は全国でも例が少ないという。 同会が設立70周年事業として行った。市が所有する明治時代の土地台帳の地図から所在地の住所を特定。地図には金華山西側の麓に「1番地」とあり、天守閣の位置には「18番地」「天主閣」と記されていた。10月26日、登記が完了した。
福山市 スポット 観光 2022年「福山城築城400年」に向け、天守閣のリニューアル工事がスタート。築城当時の外観「天守北側鉄板張り」は全国で唯一と言われ、この復元と耐震工事などが予定されています 福山城(広島県福山市)が、「天守北側鉄板張り」などを行い見た目にもガラリと変化を遂げる 令和の大普請が2022年に向けてスタートしました。 ※普請(ふしん):建築や修理をすること 完成イメージ 福山城は2022年に築城400年を迎えます。 初代城主は水野勝成(かつなり)。1619年にこの領地を与えられて入り1622年に築城されました。 時を経て1945年(昭和20年)、広島市への原爆投下の2日後 8月8日の福山大空襲により天守閣と御湯殿が消失。1966年(昭和41年)に天守閣と御湯殿、月見櫓が復元され天守閣は「福山城博物館」として運営されています。 福山城が1622年に築城された当時、鉄砲・大砲
南西上空から見た南山城跡。山の斜面に幾重もの防御施設が広がる。画面右上は高梁川(県古代吉備文化財センター提供) 水陸の要衝を守る鉄壁の城―。岡山県古代吉備文化財センターが発掘調査する戦国期の山城、南山城跡(倉敷市真備町、船穂町)で30日までに、敵の侵入を妨げる徹底した防御施設の全容が明らかになった。 城跡は高梁川と小田川の合流点にある小山(標高約70メートル)の上に立地し、北側には旧山陽道も通る。備中国を支配下に置いた毛利氏勢が交通の結節点に築いたとの説が有力で、築城、利用とも16世紀とみられる。 圧巻なのは、山頂を取り巻く要塞(ようさい)のような施設群。2年半にわたる全面調査で、斜面を埋め尽くす「竪堀(たてぼり)」や切り立った人工の崖「切岸(きりぎし)」、土塁などが何重にも築かれた姿があらわになった。「山城のありとあらゆる施設を備え、絶対に落とされてはならないとの城主の覚悟を感じる」と同
名古屋城天守の木造復元事業で、名古屋市は21日、文化庁の文化審議会に諮問されていたコンクリート製現天守の解体申請が同日の会合で許可されず、「継続審議」となったことを明らかにした。市が文化庁に連絡して確認した。これを受け、市は2022年末の完成を予定していた工期を見直す方針を示した。今後、新たな工期の設定に向け事業主体の竹中工務店などと協議する。 市によると、文化審議会の審議では、解体工事で石垣などの遺構にどんな影響があるかを発掘調査によって評価すべきだと指摘されており、適切な追加調査をすれば許可される可能性は残った。文化庁からは「今後の審議予定は見通せないが、速やかに結論を得たい」と伝えられたという。 文化財に絡む許可申請で文化審議会に諮問され、判断が持ち越された例はない。復元の許可申請と切り離して解体だけを先に申請した前例がないため、1カ月の審議期間では不十分だと判断したとみられる。 市
「豊臣大坂城」の石垣公開 高さ6メートル、自然石活用 2021年01月27日14時39分 【図解】豊臣期と徳川期の大坂城の比較 豊臣秀吉が築いた大坂城の石垣が、400年ぶりに姿を現した。大阪市などが2013年から続けていた石垣の発掘調査が終わり、27日までに報道陣に公開された。自然の石を組み上げたのが特徴で、専門家は「現在も地下に眠る『豊臣大坂城』の姿に迫る貴重な調査だ」と話している。 最大級の秀吉座像を発見 高さ82センチ、神社内で―大阪市教委 秀吉が1583年に築いた大坂城は、大坂夏の陣(1615年)で焼け落ちた。徳川幕府はその後、最大十数メートルの盛り土をして新しい大坂城を築いた。 豊臣時代の石垣は1984年、現在の天守閣に近い深さ7メートルの地中で発見。今回の調査で長さ約15メートル、高さ約6メートルの石垣が発掘された。天守閣や奥御殿があった最上部の「詰ノ丸」に至る石垣で、かつては
濁りが目立つ名古屋城(名古屋市中区)の水堀で、10日から水質浄化作戦がスタートする。洗車機メーカーの「タケウチテクノ」(同市港区)が、社会貢献の一環で市に提案。水質安定化剤を一帯に散布し、濁りの原因のヘドロを撃退する。市名古屋城総合事務所によると、記録が残る限りでは初の試みという。(鈴木龍司) 同社は社長の竹内英二さん(68)の祖父が1916(大正5)年に起こした鍛冶屋が起源。63(昭和38)年には国内初の移動ブラシ付きの洗車機を開発し、「ビユーテー」のブランド名で国内外に販売している。「祖父の代から数えて100年以上も、名古屋にお世話になってきた」。洗車に大量の水を使うことから、竹内さんはお堀の水をきれいにすることが恩返しになると考えた。
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