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宅八郎の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 熊谷朋哉 on Twitter: "今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせ… https://t.co/ljpzjEuIKr"

    今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせ… https://t.co/ljpzjEuIKr

      熊谷朋哉 on Twitter: "今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせ… https://t.co/ljpzjEuIKr"
    • 宅八郎は何をした人物なのか

      宅八郎が亡くなったというニュースが流れて、彼に関するツイートが増えているがどれも彼の全体を捉えていないように思う。宅の活動はざっくりと前期、中期、後期と分けられるだろう。 前期:おたく評論家期 宅八郎のデビューは90年に出たSPA!のおたく特集。ここで宅は長髪眼鏡、よれよれのシャツ、マジックハンドというすでに完成された姿で登場する。 この特集は日本のアニメ、特撮文化のすごさやそれらがこれからの日本の経済を引っ張っていくだろうというもの。のちに言われるオタク文化論がここで完成されているところにも今なら注目できるが、当時は宅の風貌とキャラクターだけが注目されたようだ。この記事は宮崎事件によってオタクへ偏見を持っていた世間へのカウンターとして作られていて、宅の問題意識もそこにあることが記事を読むとわかる。 いかにもオタクっぽい風貌をして特撮やアイドルを語る宅を面白がったのは電気グルーヴやフリッパ

        宅八郎は何をした人物なのか
      • 宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎|Takuma Kaga

        今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせる選曲とトラックメイキングを見せる一面もありました。 — 熊谷朋哉 (@tomoyakumagai) December 3, 2020 Twitterのタイムラインに宅八郎氏が亡くなったと上がってきた。これは実は生きていて「宅八郎死亡説が流れた」なんてことになるネットの祭りなのかなと思った。しかし複数の人が同じ内容をツイートしているところを見ると、どうやら本当のようだ。 宅八郎は1990年に「オタク評論家」と言う肩書きでテレビに出始めた。1989年に幼女連続誘拐殺人事件があり「オタク」という呼称は蔑称の意味合いを強く含んでいる中での登場だった。 宅八郎を知ったのは

          宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎|Takuma Kaga
        • さらば宅八郎 - Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)

          2020年12月3日 宅八郎の訃報を知った。ご家族の話ではどうやら8月に脳出血で倒れ、そのまま還らぬ人となったらしい。 彼はミニコミ『東京おとなクラブ』のスタッフだった人で、本名を矢野守啓という。ぼくは同時期に刊行されていた歌謡曲ミニコミ『よい子の歌謡曲』のスタッフだった関係で、『東京おとなクラブ』の編集部にも出入りしていた。時期を考えると彼と知り合ったのは1985年くらいのはずだが、直接会って話をしたような記憶はない。 やがてぼくはフリーライターになって、下北沢に仕事場用のアパートを借りた。ある日、仕事もなく部屋でゴロゴロしていたら、彼から電話がかかってきた。そのとき彼は「覚えてますか、矢野です」と言い、ぼくは少し考えたのち「ああ、おとなクラブの!」と言った記憶がある。ということはやはり一度は会っているのだろう。 電話の要件は仕事の依頼だった。その頃の彼は『週刊SPA!』で仕事をしていて

            さらば宅八郎 - Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)
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