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宇多天皇 猫の検索結果1 - 10 件 / 10件

  • 黒猫愛でる宇多天皇

    これは宇多天皇の日記である『寛平御記』に載っている話です。子の醍醐天皇・孫の村上天皇の日記とあわせて『三代御記』なんて言い方もあります。 宇多は、初め皇孫として源氏姓を賜い侍従として出仕していたという、官僚生活の経験を持つ異色の天皇です。それが父が光孝天皇として即位し、さらに光仁から譲位を受け、仁和3年(887)に親王宣下を受け、その翌日皇太子となり、更に同日のうちに即位したという、即位への経緯もまた異色の人物でした。 そういう経歴を持つためか、宇多は自分を即位させた最大の功労者である藤原基経とも一定の距離を守って、親政を行おうとします。しかしながら藤原基経の関白就任に関わる問題(いわゆる阿衡事件)で譲歩せざるを得ませんでした。 基経の死後は有名な菅原道真を取り立て藤原氏に対抗させたりと、その政治は後に「寛平の治」として称えられるようになります。のち、譲位出家して寛平法皇・亭子院と呼ばれま

    • 日本最古の猫ブロガーは宇多天皇。:アルファルファモザイク

      日本最古の猫ブロガーは宇多天皇。 宇多天皇日記 889年(寛平元年)2月6日 (一部抜粋) よそのぬこは薄墨色だけど、うちのぬこは深黒色の黒ぬこ♪ 大きさは長さ一尺五寸、高さ六寸。 寝る時は円くなって足や尾が見えず真っ黒くろすけ状態。 歩く時はひっそりしていて少しも音を立てず、丁度、雲の上の黒い竜のよう。 毛色は美しいしそのうえミッキーを捕える術は、はるかに他の猫より優れている。 先帝が、私にこれを賜ってからもう5年になるが、私は毎朝、乳粥をやって養っている。 私はこの猫の才能が優れているからって愛しているのではない。 先帝が賜わったものだからこんなものでも大切にしているのだ。 ほ、ホントなんだからねっ! 詳しくはこちらへ http://funabenkei.daa.jp/yononaka/neko/uda.html >>837 うちの猫はテラスゴイ よその猫

      • 猫の日本史:日本最古の飼い猫記録、宇多天皇の「うちの御ねこ」

        前々回、前回と9世紀初めに成立した『日本霊異記』の狸(ねこ)の話を紹介しました。続いては、時代が少し下り、889(寛平元)年の史料に記された、猫界隈ではすでに有名な、日本最古のツンデレ猫日記として知られる『寛平御記』の黒猫のお話です。 現代語による解説は、現代語訳つきのこちらや、書き下し文のあるこちらが、ネットで閲覧できるものとしては、比較的詳しく参考になります。また、くるねこ大和さんによるこちらの漫画も。原文は淡々とした漢文ですので、参考リンクをご覧いただくと、どんなことが書いてあるのかを知る分には大変にわかりやすいです。猫かわいがりにもほどがある、と評判になるのもうなずけます。

          猫の日本史:日本最古の飼い猫記録、宇多天皇の「うちの御ねこ」
        • 日本文学において初めて猫に言及したのは宇多天皇の日記だが『うちの猫は人間の言葉がわかる』自慢は日本の伝統である事がよくわかるらしい

          Compass Rose @hms_compassrose 日本文学におけるネコに関するはじめての言及は宇多天皇の日記なのだが(887年)、そこでも宇多天皇は「お前本当は人間のことばわかってるんだろう?」と書いており「うちのニャンは日本語がわかるニャン」自慢は日本の伝統なんである。 2022-01-15 08:22:41 リンク Wikipedia 宇多天皇 宇多天皇(うだてんのう、867年6月10日〈貞観9年5月5日〉- 931年9月3日〈承平元年7月19日〉)は、日本の第59代天皇(在位:887年9月17日〈仁和3年8月26日〉- 897年8月4日〈寛平9年7月3日〉)。 諱は定省(さだみ)。 後の佐々木氏などに代表される宇多源氏の祖先にあたる天皇である(詳細は皇子女の欄参照)。 光孝天皇の第七皇子であり、母は皇太后班子女王(桓武天皇の皇子仲野親王の娘)であった。父帝光孝は、先代陽成天

            日本文学において初めて猫に言及したのは宇多天皇の日記だが『うちの猫は人間の言葉がわかる』自慢は日本の伝統である事がよくわかるらしい
          • 猫の日本史:宇多天皇の「うちの御ねこ」 | 猫ジャーナル

            前々回、前回と9世紀初めに成立した『日本霊異記』の狸(ねこ)の話を紹介しました。続いては、時代が少し下り、889(寛平元)年の史料に記された、猫界隈ではすでに有名な、日本最古のツンデレ猫日記として知られる『寛平御記』の黒猫のお話です。 現代語による解説は、現代語訳つきのこちらや、書き下し文のあるこちらが、ネットで閲覧できるものとしては、比較的詳しく参考になります。また、くるねこ大和さんによるこちらの漫画も。原文は淡々とした漢文ですので、参考リンクをご覧いただくと、どんなことが書いてあるのかを知る分には大変にわかりやすいです。猫かわいがりにもほどがある、と評判になるのもうなずけます。 さて、この『寛平御記(宇多天皇御記)』という史料にフォーカスを当てますと、レファレンス協同データベースの解説にあるとおり、『花園天皇宸記』1313(正和二)年十月四日条の記述から、当時は十巻が伝存していたと見ら

              猫の日本史:宇多天皇の「うちの御ねこ」 | 猫ジャーナル
            • 黒猫愛でる宇多天皇

              これは宇多天皇の日記である『寛平御記』に載っている話です。子の醍醐天皇・孫の村上天皇の日記とあわせて『三代御記』なんて言い方もあります。 宇多は、初め皇孫として源氏姓を賜い侍従として出仕していたという、官僚生活の経験を持つ異色の天皇です。それが父が光孝天皇として即位し、さらに光仁から譲位を受け、仁和3年(887)に親王宣下を受け、その翌日皇太子となり、更に同日のうちに即位したという、即位への経緯もまた異色の人物でした。 そういう経歴を持つためか、宇多は自分を即位させた最大の功労者である藤原基経とも一定の距離を守って、親政を行おうとします。しかしながら藤原基経の関白就任に関わる問題(いわゆる阿衡事件)で譲歩せざるを得ませんでした。 基経の死後は有名な菅原道真を取り立て藤原氏に対抗させたりと、その政治は後に「寛平の治」として称えられるようになります。のち、譲位出家して寛平法皇・亭子院と呼ばれま

              • 『宇多天皇の黒猫(寛平御記)』

                24日に行なわれた長崎の町ねこ調査隊塾主催の「長崎の町ねこ講座 ねこを知る、ねこを楽しむ」で資料として使ったので、まとめておきます。 宇多天皇(867~931年・第59代天皇・在位887~897年)が在位期間中に書いた日記「宇多天皇宸記(寛平御記)」は、現存する天皇の日記としては最古のものですが、書かれた全てが伝わっているわけではなく、断片的にいくつかの日記が残っているだけです。 そのわずかな断片のなかに、当時宇多天皇が飼っていた黒猫に関する記述があること、そしてそれはそのまま、現存する最古の「猫飼い日記」となることは、いろいろなブログで紹介されています(→たとえばくるねこ大和「寛平御記」2010年2月15日)。 その親バカぶりはほほえましく、ねことひととの関係すべからくかくあれかし、とさるねこ父には思えます。原文と対訳を載せてみます。 寛平元年二月六日。朕閑時述猫消息曰。驪猫一隻。大宰少

                  『宇多天皇の黒猫(寛平御記)』
                • うちの黒猫がかわいすぎる!猫好きブロガーもびっくりの溺愛ぶり、宇多天皇の日記の中身とは? | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

                  宇多天皇(うだてんのう)は、皇族でありながら「姓」を賜り、臣下の立場から天皇となった人物です。宇多天皇自ら政治を行った世は「寛平(かんぴょう)の治」と呼ばれ、理想的な時代と捉えられました。 「寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおんとききさいのみやうたあわせ)」「亭子院歌合(ていじいんうたあわせ)」など、和歌を好んだ宇多天皇の時代は文化面でも興隆し、多くの歌人が活躍しました。 ところでそんな宇多天皇が、実は無類の猫好きであったことをご存知でしょうか? この記事では、宇多天皇の猫愛がわかるエピソードを紹介します。 臣下の身分から天皇となった宇多天皇 宇多天皇は、実はもともと天皇になるはずではなかった人物でした。 宇多天皇の二代前の天皇・陽成天皇は幼くして即位しますが、奇行が目立ったこと、宮中での殺人事件への関与が噂されたことなどから、17歳(満年齢では15歳)で譲位に追い込まれました。この譲位は、

                    うちの黒猫がかわいすぎる!猫好きブロガーもびっくりの溺愛ぶり、宇多天皇の日記の中身とは? | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
                  • 日本最古の猫ブロガーは宇多天皇。

                    【AKB48】柏木由紀のステージ衣装が盗まれネットオークションに クンカクンカ スーハースーハー ああっ!ゆきりん!ああっ あああっ!!! 97 users

                    • 【宇多天皇】ツンデレだけれど、実は猫好き天皇 - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

                      こんにちは、ばくです。 先月、超新星や藤原定家の「明月記」のことなどを書いたのですが、 その中で「明月記」に残る客星の記録について書きました。 (注:客星っていうのは普段ないはずの場所に一時的に出現した星のことです) その日のブログがこちらです。 藤原定家が陰陽師から聞いて書き記した、 過去の客星の記録っていうのがあるんですが、、、 その中に、 宇多天皇 寛平3年(891年) ってのがあったんです! 猫好きの皆さん、宇多天皇ですよ、宇多天皇!! もっと早い時期に宇多天皇の話を書こうと思っていたのですが、 遅くなってしまいました。 今日は宇多天皇スペシャルです^^// <目次> 猫好きだった宇多天皇の書いた、日本最初の飼い猫日記 猫ブログの第一人者!?宇多天皇の波乱万丈な人生 猫好きの青年「宇多天皇」と一匹の黒猫の日々 ベタ褒めだったのに、突然の塩対応! 宇多天皇のその後は? 猫好きだった宇

                        【宇多天皇】ツンデレだけれど、実は猫好き天皇 - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)
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