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山さ行がねがの検索結果1 - 40 件 / 70件

  • 40歳「廃道」に鉱脈を見出した男の快活な人生

    これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第30回。 <藪を突き抜けた勢いで、うっかりあと1歩踏み出していたら終わりだった。(略)なぜなら、右に見える路面には、それを支える地面がまるで存在しなかったから。宙ぶらりんなのだ。足を踏み込んだら突然板チョコのようにポッキリ割れて、あと100m残っている海岸までの落差を身に刻みつけながら、とても呆気なく人生の締め括りを迎えていたかも知れないのだ。……こういうことがあるから廃道は恐い。(東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道レポートより)> 使われなくなった道を踏破するオブローダー 使われなくなった道のことを廃道(

      40歳「廃道」に鉱脈を見出した男の快活な人生
    • 道路レポート 中央自動車道 旧道

      今回紹介するのは、数多くの道を紹介していた「山行が」でも初めてのジャンルである。 それは、高速道路の廃道である。 そんなものがあるのかと思われるだろうが、確かに高速道路で廃道になった路線はない。 昭和38年の名神高速道路栗東IC~尼崎IC開通以来、日本の高速道路45年の歴史の中で、一度開通した高速道路は今日まで継続的に利用されてきた。(ただし一例のみ、北陸道において一般道路に格下げとなった区間が存在する) 今回採り上げる“高速道路の廃道”とは、線形改良によって生じた部分的廃道である。 一般道路においては線形改良による路線の更新は頻繁で、全国にそれこそ無数に存在しているわけだが、ことさら大がかりな工事と、それ故十分な事前調査を行って産み出される高速道路においては、そういったケースでさえ稀で、私がネット上で調べた限り全国でもわずか2例しかない。 そのうちの一例が、中央自動車道の上野原IC~大月

      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠 新潟側

        おそらく、日本でもっとも有名な廃道の一つである。 多くの廃道ファンや国道ファンが、畏敬を込めて、こう呼ぶ。 清水国道 と。 清水国道の歴史は古く、明治の初期にまでさかのぼるのであるが、これは後にしよう。 それよりも、先に現状から説明したい。 清水峠は、群馬県と新潟県の県境(上越国境)上にあり、列島の中央分水界をなす、海抜1,448mの峠である。 この道は国道291号に指定されているが、峠の前後あわせて約28kmが「自動車交通不能区間」となっており、俗に言う“酷道”のひとつである。 これはおそらく、全国でも最長クラスの国道における自動車交通不能区間であるが、それでも群馬県側の大半は登山道になっていて、多少健脚であれば誰でも歩くことが可能である。 そして、素晴らしい景観を誇る清水峠に立つことも出来る。 だが、新潟県側の大半の区間(約12km)は廃道になっていて、 ここ何年、或いは何十年の間、誰

        • 【山さ行がねが】道路レポート 塩那道路 (県道中塩原板室那須線) 序

          日本には、まだまだ凄い道がある。 それを、私に思い知らせた道がある。 栃木県一般県道266号「中塩原板室那須線」、 通称 「塩那道路」 オブローダーなら、おそらく誰しもが、一度は聞いた名である。 塩那道路という、愛称とも略称とも取れる道の名前は、そこがただの県道や林道として生を受けた道ではないことを伝えている。 いや、実は塩那道路などという道は、まだこの世には、完全に存在はしていない。 あるのは、将来の塩那道路になるはずだった、パイロット道路と呼ばれる、工事用道路。 そして、辛うじて完成している一部区間である。 塩那道路を一言で言い表すなら、 とにかく凄いところを走る道。 なんと、最高到達高度は海抜1700m。 東北地方には、ここまで高い場所を走る道はない。 塩那道路を擁する栃木県においても、標高でこれを越える道は日光近辺に幾つかあるだけで、稀である。 そして、塩那道路のもう一つの重要なフ

          • 道路?レポート 山寺の廃すべり台

            このタイトルを見て、「ついにネタが切れて公園遊具まで手を出すのか」と思った方もいるかも知れないが、そんな甘っちょろいものではない。 「山行が」が対象としているのは、“交通に関するもの全般”だが、遊具のすべり台はその範疇にない。 でも、今回紹介するすべり台は、紛れもなく 交通機関としてのすべり台 だった。 ただ、一般的な“道路”でないことは確かなので、「道路?レポート」とさせてもらった。 「山行が」史上最も奇抜な“廃すべり台情報”を提供してくださったのは、山形市在住の“まこと氏”。 氏のメールの一部を転載させていただこう。(情報提供ありがとうございました!m(_ _)m) 山 寺 は、急な階段が二千段くらいあるお寺でして、奥の院まで結構な登りなんです。 あの有名な松尾芭蕉が「静かさや岩にしみいる蝉の声」読んだまさにその場所です。 山形市民にとってはなじみのお寺で、僕も子供の頃から何度も行って

            • 【山さ行がねが】隧道レポート 草木トンネル (旧三遠南信自動車道)

              草木(くさぎ)トンネルとは、おそらく日本中でここにしかない、 高速道路から一般道路へと転落したトンネルである。 レポートのタイトルにある「三遠南信自動車道(さんえんなんしんじどうしゃどう)」は、その名の通り、三(三河)・遠(遠江)・南信(南信濃)の各地方を結ぶ、我が国の高速道路のひとつである。 今回紹介する草木トンネルとその前後の道は、この三遠南信自動車道の旧道である。 高速道路の旧道といえば、【道路レポート:中央自動車道旧道】もそうだったが、それと大きく異なっているのは、こちらには現道が今のところ存在しないという点だ。 にもかかわらず旧道があることを不思議に思われるかも知れないが、草木トンネルとその前後の道は三遠南信自動車道として建設されたが、その後の計画の変更によって、一般道路に格下げされたのである。 そして、新たな「三遠南信自動車道」はと言えば、まだ完成していない。 現道はないが、旧

              • 【山さ行がねが】橋梁レポート 無想吊橋

                千頭山への入山、その第一目的は「千頭森林鉄道」の攻略であった。 そして全部では無いが、この日の目的とする内容は果すことが出来た。 それからもうひとつ、第二の目的があった。 無想吊橋の攻略である。 寸又峡の支流である逆河内の奥地には凄まじく高い吊橋が架かっており、しかもそれが廃道同然になっているという情報は、私が関東に移住した当初から多くの方に教えていただいた。 テレビで放映されていたという典拠もよく聞いたが、私は残念ながらその放映を見ていない。 ただ、とにかく凄まじい橋がそこにあるから、崩れ落ちて消えてしまう前に見ておいたほうが良い。 そんな熱っぽい…勧誘と言っても良いような情報提供を、何件も頂いていた。 だが私には、すぐさまそれに飛びつくことが出来なかった。 正直、既にテレビが取り上げているという事実は、その内容は知らないけれども私の感覚を萎えさせたし、検索エンジンを使えばより最近の状態

                • 道路レポート 国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編>

                  忘れない。 2007年10月8日、午前7時08分。 もうどうにも進むことが出来なくなった我々が、遂に撤退を決心した、あの場面。 傍らには、滝が落ちていた。 “国道”を横断して流れ落ちる、小さな滝。 仰ぎ見る、上れない土斜面。 顔面を伝ったものは、滝の飛沫と前夜から降り出した雨の雫だけではなかった。 二日にわたる挑戦は、唯一の目的を果たせずに終わった。 まさか、我々が二人がかりで挑んでも駄目だなんて…。 そんな傲りをしたたかに打ち据えられた屈服感のなか、上擦った声で放たれた精一杯のことば。 「 くじさん。 このままでは終わらせないぞ…。 」 “ナル水沢の撤退” から1年、 約束に違わず、二人は再び未踏国道へ挑んだ。 ※このレポートは、「道路レポ 国道291号 清水峠(新潟側)」の続きです。 群馬県前橋市と新潟県魚沼市を結ぶ一般国道291号のうち、群馬と新潟の県境にそびえる清水峠の前後約27k

                  • 道路レポート

                    東北地方でただ一カ所だけの国道不通区間である甲子(かっし)峠。 福島県の中通り(なかどおり)地方と会津(あいづ)地方とを結ぶ、奥羽山脈越えの峠である。 現在、国道は会津側の下郷町からは甲子峠(海抜1300m)まで上れるものの、中通り側である西郷村からは海抜900mの甲子温泉で行き止まりとなっている。 この不通区間には、車道の代わりに登山道が整備されており、おおよそ4kmで通じている。 この登山道国道は、業界ではかなり有名であり、木の棒に真新しそうな国道標識が取り付けられ歩道の脇に設置されている景色を、あなたも何処かのサイトで見ているのではないだろうか? 山行がとしても、当然この登山道区間をチャリで乗り越す事を計画したが、決行日は生憎の雨でガスが酷く、結果的には挑む前に断念することになる。 しかし、私は読者の皆様に二つの約束をする。 ひとつ、私は今後必ずこの区間をチャリで踏破し、レポートをお

                    • 道路レポート 主要地方道小出奥只見線 <シルバーライン> 第一回

                      私が生涯に体験したい道10選 というものがあるとしたら、確実にあの塩那道路と共にランクインする道の一つ。 それがこの、“奥只見シルバーライン”こと、新潟県道50号小出奥只見線である。 この道は、かつて日本最大の電源開発事業のために、国力をあげて開発された道である。 行く手にあるものはただ一つ、2006年時点での国内ダム総貯水量第一位の奥只見ダム(6億百万立方メートル)。 ダムを生み出し、管理するためだけに設けられた、開発道路。 それが、“奥只見シルバーライン”と後に愛称され、年間15万台が訪れる観光道路になる道の、始まりだった。 道路の開通は、昭和32年。 国営の電源開発株式会社によって施工され、3年の年月と延180万人の労働力が投入された。 開通した全長22kmの資材運搬道路には、あわせて19本、合計延長18km余りの隧道が掘り抜かれ、他に類を見ないトンネル連続道路が出現したのである。

                      • 道路レポート 尾盛駅への道

                        尾 盛 駅 をご存じだろうか。 wikipedia:尾盛駅 には、こう書かれている。 駅周辺に民家は無く、その上駅に通じる車道も1つも無い。このため鉄道でしかこの駅へ来ることはできない。 そのため、一部の鉄道ファンに日本で最も理想的な秘境駅といわれている。 2008年度の年間乗降客数は574人である。 オブローダーというのは、元来「ひねくれ者」の資質を有する。 誰もが使う道ではなく、敢えて裏道を探し、無理に使われなくなった道を辿ろうとする。 「イケナイ」 「行けない」 と言われれば、本当にそうなのかと確かめなければ気が済まなくなる。 「道が無いのに駅があるわけなんてないだろう」 と、そう心から疑う。 そして、「秘境駅ファン」というのも相当に「ひねくれ者」であろう。 非共益の誹りなどどこ吹く風で頑張る秘境駅を愛する者が、 年に500人以上も、 この「どこにも行けないホーム」に降り立っていると

                        • 【山さ行がねが】ミニレポート第136回  大庭トンネルの横穴

                          読者さんから寄せられた情報をもとに私が突撃調査を敢行する、『読者からの調査指令』シリーズの第一弾。 いくつかのネタ情報を懐に、梅雨の合間となった2008年6月27日に神奈川県中南部へと向かった私が、その第一番目の突撃ポイントとしたのがこの、藤沢市の街中にある大庭トンネルであった。 まずは Nh3526氏 からの情報を、ほぼ原文のままご覧頂こう。 神奈川県藤沢市に「大庭トンネル」というごく普通の隧道があるのですが、北行の隧道内に、左へ分岐してるっぽい穴を見つけました (^_^)v が・・・バリケードが堅くて入れませんでした。また、外側からも狙いましたが、坑口が見つからず・・・・・ そこで是非、山行がに探索していただきたいのです。また、それが何の為の穴なのかも調べて頂けると幸いです。 場所ですが、「辻堂駅」から1Kほど北上した所です。 写真などは添付されておらず、この文章から私はいろいろと想像

                          • 隧道レポート 田代隧道

                            2005年12月末に実施した読者アンケートには、この一年の山行がに対する満足度を問う設問があった。 多くのご意見を戴いた中でも、ある一つの意見が、私の胸にグサリと刺さった。 ただ今回「大満足」にしなかったのは隧道のネタが以前に比べて規模が縮小したような感じがしたからです。山行がの特に「隧道」ファンとして、これからの隧道ネタに期待したいと思います。 イタタタタタタタタ… すっげー、痛いところを突いてきてる。 私自身、隧道探索という点ではパンチの弱い一年だったことを認めざるを得ない。 もはや、近場に決定的な隧道が(おそらく)存在しないこともあるし、たとえ遠方まで出張っていったとしても、なかなかどうして並みの廃隧道や、他のサイト様で貫通されている物などでは、私自身が無理に興奮出来るとも思えないところがある。 申し訳ないが、わたしはもう。他のサイト様が「すげー」とか「こえー」と言っている隧道の大半

                            • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道140号 駒ヶ滝隧道

                              なにやら秩父の山奥には、現役の国道でありながら一風も二風も変わったトンネルがあるらしい。 以前、当サイトで大々的に読者様から情報を募った際にも、そのトンネルの情報は複数の方から寄せられた。 いずれも関東近郊の方からの情報で、「関東に来たならぜひ」とか、「こちらの名物です。ぜひ見てくれ!」というような熱い内容だったと記憶している。 そして今回私は、初めて自転車でこのトンネルを通った。 その結果、現役のトンネルとしては特別に強烈なインパクトを有するものであると、そう認識するに至った。 故に、ここ1年間ではたった1例しか前例のない、現役でありながら隧道レポに登場という(きっと名誉でもなんでもない)快挙となったのである。 前置きはこのくらいにして、早速レポを始めよう。 いきなり隧道というのではそのインパクトを伝えきれないので、少し手前から始めたい。 2007/9/3 6:24 【埼玉県秩父市大滝 

                              • 【山さ行がねが】道路レポート 国道16号 八王子バイパスの未供用ランプの謎

                                表題の物件を紹介するのであるが、その謎解きについては、まだ完全に解決したわけではない。 しかし、都内で交通量も沿道の人口も多い地域の話であるから、私がここで解けなかった謎を提示することによって、地元の方などから決定的な情報が寄せられるのではないか。 そんな期待を込めつつ、本編を公開することにした。 このレポートの最終回(考察編)では、私が解けなかった謎をまとめて書き出すので、ぜひとも皆様からの情報提供をお願いしたい。 なお、この物件は、私が2007年に東京都日野市に引っ越してきてすぐに発見した。 のらネコが縄張りを見回るように、私がアパートの周りを自転車でうろついていて、偶然に見つけたのだった。 2011/8/23 5:53 【現在地(マピオン)】 自宅を自転車で出発して15分くらいで、八王子市打越町にある国道16号八王子バイパスの打越ICに到着した。 八王子バイパスには無料の区間と有料

                                • 道路レポート 国道128号旧道 おせんころがし

                                  残念ながら、外房の海岸沿いを周遊する最初の車道がいつ開通したのかという記録にはお目にかかれていないが、おおむね明治10年代には「房総東往還」が完成したようである。 その後は、道路の開発を鉄道が追いかける形をベースに推移するのであるが、明治43年に勝浦~鴨川間に乗合馬車が運行されたという記録は重要なものであろう。 この時点では間違いなく「おせんころがし」を通過する車道が開通していたことになるからだ。 続いて、今回紹介する区間の歴代地形図を見ていこう。 上図は、ここを描いたものとしては最古の5万図である明治35年版である。 既に「府県道」のはっきりした線で、海岸沿いの道が描かれている。 そのルートは、西側の「小湊」から隧道を抜けて海岸線へ出て、郡境を越えて大沢へ、さらに浜行川(なめかわ)へと至るルートである。 『外房総大沢の生活と民俗』という資料によれば、「おせんころがし」は「大沢から行川に向

                                  • 【山さ行がねが】廃線レポート 飯田線旧線 中部天竜~大嵐間

                                    ※このレポートは、「道路レポ 静岡県道288号大嵐佐久間線 (序)」の続きです。 JR飯田線は愛知県の豊橋(東海道線)と長野県の辰野(中央線)を結ぶ、全長195kmに及ぶ全線電化のローカル線である。 沿線には赤石山脈などの急峻な山岳地帯にあることや不良地質が多かったため、建設には大変な苦労が払われたのであるが、当初は全線が私鉄として建設されていた事はご存じだろうか。 今回紹介する旧線は「私鉄時代」に建設されたものなので、少々長くなるがその歴史を説明したい。 現在の飯田線の母体となったのは、南から豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道の4つの私鉄である。 このうち一番古く全通したのは豊川鉄道(豊橋~大海)で、明治33年にまでさかのぼる。 次いで豊川鉄道の傍系会社である鳳来寺鉄道が、大正12年に三河川合までを延伸開業させた。 北側については伊那電気鉄道(当初は伊那電車軌道)が明治42年か

                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 金沢区朝比奈の“脅迫的な”市道

                                      道路レポートは今回が記念すべき(?)150作目。 そこで今回は、普段あまり取り上げないジャンルとして、都会の市道を見てみようと思う。 おそらく日本に一番沢山あるのが「市道」カテゴリの道だと思うし(平成の大合併により、町道や村道を確実に上回ったはず)、ほとんど誰しもがお世話になっているはずだが、個々の路線名が分かりにくい事もあってか、道路趣味の対象としてはマイナーと言わねばならない。 そして、私が今回のレポートを発表した事によって、そうした傾向に風穴を穿つ… つもりなど毛頭なく、そもそもそれほどのインパクトを有さない道なのであるが、 し か し ! この道の入口にある“看板”だけは、オブローダーなら決して素通り出来ないはず! かく言う私も、何の予備知識も持たないまま、もちろん探索の対象とするつもりも全くないまま通りかかり、そしてこの市道に捕まった。 そんな舞台はどこかと言いますと… 2009

                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 清川村道土山高畑線

                                        <周辺地図> 首都圏を代表する水瓶の一つ、宮ヶ瀬ダム。 神奈川県の中北部、丹沢山系の麓に県内最大級の貯水池「宮ヶ瀬湖」が湛水を開始したのは、平成10年のことである。 都心からわずか50kmという好立地に加え、豊富な自然が色濃く残っていることから、現在では「ダム湖百選」にも選ばれる一大レクリエーションゾーンになっているのだが、この巨大な人造湖の湖畔に通常では辿り着く術のない…“不思議な橋”がある。 そしてこの橋は、観光客や釣り人など湖を訪れる大勢の目に、大変奇異な光景として映っている。 私が“この橋”について興味を持ったのは、かれこれ5年以上も前のことだ。 当時の私は当然秋田に住んでいて、また、20年ほど前まで横浜に住んでいた時分には、この宮ヶ瀬のまだ沈んでいない道を走った事はあった筈だが、ともかく、見ず知らずの「宮ヶ瀬ダム」が興味の対象になる環境ではなかった。 それなのに私が“この橋”につ

                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 国道410号 松丘迷走区

                                          松丘 迷走 国道 なんぞそれ? それは、 おそらく 関東一理不尽な国道の線形。 まずは次の地図を見て欲しい。 【所在地(外部リンク)】 ご、ごめん…  もったいぶって… でも、“めくる”前に…  ちょっとだけ想像してみて欲しい。 房総半島の内陸にあるこの「一般国道410号」に、どんな異常線形があるのかを。 上から来た道が左へ曲がっていく。 隠された部分には、そんな線形が潜んでいる。 それでは、めくってみよう。 なんじゃこりゃ。 いままで数多くの道路線形を見てきた私だが、こんなに変態的なのは、初めてだ。 まるで、& の “なり損ね” のような線形と言えばいいだろうか。 しかも、この“変態線形”は一時的なものではなく、 国道410号が昭和57年に誕生して以来、ずっとここにある。 一体現地では、どのような「案内」がされているのだろうか? まさか千葉方向から館山方向へ向かうドライバーは、こんな変態

                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道45号線 小本危険区間

                                            私が最初にこの道と出会ったのは、細田氏の運転するブルーバードの車内でのことだった。 その日、北三陸の田野畑村で一つ目の探索目的を果たした我々は、次の目的地である宮古市へと、三陸を縦貫する唯一の幹線道路である国道45号線をハイピッチに南下していた。 本州最大の面積を誇る町、岩泉町の小本港はその通過点である。 国道45号線は小本港の前後では、リアス海岸特有の海岸線すれすれまで迫る険しい山なみを避けるように、やや内陸の山林を駆け抜けている。しかし、小本付近では一度海岸線のそばまで降りて、龍泉洞で有名な宇霊羅山などから流れ出す小本川の河口を跨がねばならない。狭い河口部の平野には小本の集落がこじんまりとまとまっている。 小本が近付くと、国道は下り坂になる。 そして、私はこのわずか2kmほどの下り坂で、天にも昇るような興奮を憶えた。 真性の道路好きならば、誰しもがその血潮を騒がせ、ともすれば放屁・吐血

                                            • 【山さ行がねが】道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線 旧道

                                              後にも先にも、山行が史上最悪の路面崩壊といえば、松の木峠の旧道を置いて他にない。 そう信じてきた私だが、レポート公開以来、読者から「もっと凄い場所がある!」 そんな挑戦状のようなメールが、年に数回以上も届けられるようになった。 中でも、複数の人から繰り返し紹介された場所がある。 東京都奥多摩町の日原川流域に、おそらく松の木峠を越える絶望的な崩落地点が、存在するのだという。 促されるようにして、WEB上で見ることが出来た幾つかの現地レポートを見たが… 皆 撤退していた。 だが。 私は、この崩壊地をモニタ越しに何度か見るうち、 「突破できるのではないか」 「言うほど難しいのだろうか?」 そんな疑問を感じるようになっていた。 確かにその崩壊地の幅は、松の木の比ではないように見えた。 だが… 松の木の時のように、チャリ同伴を強制される訳ではないのだ。 極端な話し、山頂まで高巻することだって、谷底ま

                                              • 【山さ行がねが】廃線レポート 橋場線 および橋場駅

                                                ここに、数奇な運命を辿ったひとつの終着駅がある。 その駅は、橋場駅という。 国鉄橋場線の終着駅である。 だが、この駅が機能を停止して、既に60年以上の時間が過ぎている。 橋場駅は、鉄道省の橋場軽便線(軌間1067mm)の終着駅として、大正11年6月25日、地元の熱烈な歓迎の中に開業の日を迎えた。 県都盛岡から西へ約24km延びた鉄路がたどり着いた橋場地区は、当時人口1000人ほどであった岩手郡御明神村(現在の雫石町の西部)にあり、その沿線には小岩井農場などの牧畜で有名な雫石村があったが、いずれにしても、単独で採算性があるような路線ではなかった。 やがては橋場駅の西に奥羽山脈を貫通する大隧道を穿ち、隣県秋田の生保内(旧:田沢湖町・現:仙北市)から大曲(大仙市)へ至るという、壮大な「盛大横断鉄道」(または盛曲線)を構想した上での、その第1段階としての開通であった。 そのためか、開通翌年の大正1

                                                • 【山さ行がねが】隧道レポート 釜トンネル

                                                  釜(かま)トンネルは、日本で最も良く知られたトンネルのひとつではないだろうか。 一度でも体験すると忘れがたいその姿から、“釜トン”の愛称で親しまれてきた。 釜トンは、長野県道24号上高地公園線上にあり、その起点である国道158号との中ノ湯交差点に面している。 この県道は、世界的山岳観光地である上高地へと至る唯一の自動車道であり、釜トンは開通以来、上高地への「門」として存在し続けてきた。 しかも、その門は大変に狭く、そして急勾配であり… 単純な門と言うより、上高地への進入を物理的に選別する「衛兵」といっても良いかも知れない…。それが、釜トンネルであった。 釜トンならではの狭隘と急勾配のために紡がれた逸話は、枚挙に暇がない。 それを語り始めれば、あっという間にスクロールバーが目一杯まで小さくなってしまうだろうが、敢えて皆様には多くの予備知識のない状態で、この釜トンネルを体験して貰いたいと思う。

                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 六厩川橋攻略作戦

                                                    このレポートは、「道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)」の続編ですので、先に上記レポートをお読みになることをオススメします。 本編において単に「一昨日の探索」や「前回」という表現を使った場合も、上記レポートで紹介した探索を指します。 東経136度56分54秒 北緯36度7分52秒 今回も懲りずに この地点→ 「六厩川橋」 を目指す。 「前回」は、六厩川橋の約2km手前にあるこの「秋町隧道」で敗退した。 原因は身を以て体験した背丈を超える水没だったわけだが、それをレポートで伝えたところの皆様の感想は、私の健闘を讃えるものが少なくなかった。 だが、私は気付いてしまった。 多くの「がんばった!」の根底に流れているのは敗者への労りであり、慰めを装った“がっかり”感だった。 「おおゆうしゃよ! しんでしまうとはなさけない。」 ぞくぞくと寄せられる「がんばった!」を読みながら、そんな言葉がリ

                                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第160回 横須賀市の盛福寺隧道

                                                      2007/3/23 16:30 国道16号を横須賀市中心部から横浜方面に北上してくると、本町山中有料道路との分岐を過ぎてから、5連続で一方通行のトンネルを通過する。 5本目は新田浦トンネルで、これを出るとまもなくJR横須賀線のガードをくぐる。 くぐって最初の信号のある交差点が田浦4丁目交差点で、ここを左に入るのが、今回の小さな寄り道のはじまりである。 右の写真はこの田浦4丁目交差点で、手前が4車線の国道16号、奥の昔ながらの商店街アーチへ進む。 特に国道や県道ということはなく、ただの横須賀市道である。 入口は狭いし、行き先の標識なども特にないので、信号が無ければ見過ごしそうな所である。 ここを曲がると何があるというのか。 地図を見ていただこう。 現在地は横須賀市田浦町4丁目の角。 ここから西へ入る道があり、その行く手にはトンネルが描かれている。 2本。 トンネルの向こうは逗子市沼間で、逗子

                                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道459号 和風月名隧道及び橋梁群 前編

                                                        平成12年に国道指定を受けた459号は、400番台の路線としては唯一太平洋岸と日本海岸(浪江町~新潟市)とを繋いでいる全長260km余りの道だ。 列島横断国道の例に漏れずその道中は険しく、幾多の山を越え谷を跨ぐ道のりとなっているのだが、この路線を辿ることの難しさはそればかりではない。 既存の国道や県道を繋ぎ合わせ(全線合わせて10もの他国道と重複している)、国道を求める幾多の市町村の要望に応えながら路線指定を行った結果、太平洋と日本海沿岸を結んでいるという実感があまりにも湧きにくい、むしろ、「あれれ?なんで新潟と浜通りに同じ路線番号があるの?間違い?」などと思われそうな、迂遠屈曲を団子の如く列ねた継ぎ接ぎだらけの国道となってしまった。 故に、この道を辿る難しさは、未改良区間が多く残るという物理的側面のみならず、道なりに走っているといつの間にか国道から外れ、別の道へ誘導されているなどといった

                                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 都道201号 十里木御嶽停車場線

                                                          【位置】 一般都道201号十里木御嶽停車場線(じゅうりぎみたけていしゃばせん)は、あきる野市十里木から養沢(ようざわ)へ入り、日の出山山頂付近、御岳山山頂付近を経て青梅市滝本へ下り、さらにJR御嶽駅前に達する全長15kmあまりの都道である。 この道には都道としては珍しい自動車交通不能区間が約3kmという長距離(あきる野市養沢~青梅市御岳山)にわたって存在するばかりでなく、一部で2路線の都道が交通不能区間のまま重複するという、日本唯一の区間がある。(これは県道でも珍しい) 正直、3kmという交通不能区間をチャリで踏破する事への不安は小さくなかったが、都内ということでそれなりに踏まれているだろうと考えてチャレンジしてみることにした。 またこの道には、私にとって前述の交通不能都道同士の重複区間ということ以上に興味深い“エリア”があった。 それはあきる野側(図中右下)から行って自動車交通不能区間の

                                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道701号 大山秦野線

                                                            【所在地(外部リンク)】 また、オカシゲな県道に行ってきまつた。 神奈川県の一般県道701号、大山秦野(おおやま-はだの)線だ。 その異様な様子は右の地図の通り。 県の資料によれば、「起点」が伊勢原市大山の一般県道611号大山板戸線(通称:大山街道)上にあることになっているが、地図上に県道色で塗られた道が現れ始めるのは、その県道611号から400mほど山に入った地点からである。しかも点線として。(縮尺の小さな地図では、伊勢原市側の道は全く描かれていないこともある) 海抜450mの「峠」付近は林道と重なっているのか、とにかく地図上では林道が県道色で塗られている。 そして秦野市側だが、麓へ下っていく林道を尻目に、県道は忽然と消失。 …したかと思えば、またヒョロヒョロと現れては県道70号秦野清川線にぶつかって「終点」である。 山腹に突如現れたり、峠で消えたり、まるで幽霊か蜃気楼。 「おお、山肌の

                                                            • 【山さ行がねが】廃線レポート JR上越線 旧湯檜曽駅跡

                                                              ↓ いかがだろう。 駅の移転という大筋については、上図のうち赤く着色した部分だけを追っていけば良い。 つまり、昭和6年に湯檜曽駅は旧位置に開業し、昭和42年の複線化開業に合わせて、新位置に移転したということである。 ただ、上の図が少し複雑になっているのは、旧新位置ともに、それぞれ湯檜曽駅として使われる前後史があるせいだ。 例えば、昭和24年12月から昭和38年3月までの期間、大穴仮乗降場と呼ばれる仮駅が現在の湯檜曽駅の位置に存在していたこと。 そしてもうひとつ、旧駅が廃止された昭和42年9月以降も、昭和59年11月までそこに北湯檜曽信号場が置かれていた事だ。 大穴仮乗降場については、それの現役当時に書かれた『町誌みなかみ』に、右の1枚の写真と共に僅かながら記録されていた。 p.359より引用しよう。(ちなみに当駅絡みの記述はこれで全てだ) 大穴仮停車場 昭和24年12月より、冬季スキー客乗

                                                              • 道路レポート

                                                                2004年5月中旬、山行が宛てに一通のメールが寄せられた。 そこには、私を即座に夢中にさせるネタがしたためられていた。 差出人は、青森県にお住まいのぴょんぴょん氏。 その彼が以前登山で利用した道が、戦前の車道の跡であるというのだ。 その道の場所は、右の地図の通りである。 地図の最も下に水色がかっている部分があるが、これは十和田湖である。 その十和田湖の北岸の突端である御鼻部山付近から北上し、海抜900m前後の山上を縦走。 いよいよ南八甲田山の峰峰に対峙し、これをヘアピンカーブで上り詰める。 最高所は、標高1200mを超える稜線上にあり、この名が、地獄峠。 ここから猿倉温泉へ向け、数度のヘアピンカーブを経つつ緩やかに下りるというコースである。 すなわち、北東北有数の観光地である「十和田湖」と「八甲田山」とを短絡する稜線ルートといえば分かりやすい。 このルートは、確かに一般の道路地図にも示され

                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート

                                                                  大崩海岸。 なんと直感的な名だろう。 誰しもがその名から容易に想像する険しい断崖絶壁は、“東海の親不知”とも呼ばれ、絶海を隔てて富士を眺める風流景勝の地であると同時に、交通の難所として日本の交通史に存在感を示し続けてきた。 大崩海岸とよばれる約5kmの海岸線は、静岡県静岡市と焼津市の境にある。 南アルプスの南端が太平洋駿河灘に落ち込む、陸と海の鬩(せめ)ぎ合いの合戦場だ。 険しい場所ではあるが、内陸へ入ればそこには数千メートル級の山脈が連なっているため、沿岸地域は古くから東西日本を繋ぐ交通の要衝であり続けた。 日本武尊の時代から戦国、平安、そして江戸時代、明治・大正・昭和・平成まで、国の要となる大路がこの一帯を通過してきた。 徒道、そして鉄道、さらに自動車道へと形を変えながら。 近世以降、日本最大の道であった「東海道」。 現在の国道1号は東海道をほぼ忠実になぞっており、海岸線から10kmほ

                                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 沢渡~中ノ湯

                                                                    廃道の中の廃道。 皆様にとっての廃道とは、どんなイメージだろう。 草むした砂利道、苔の生えたアスファルト、ひび割れたコンクリート、消えかけた白線、色あせた道路標識、忘れられた路傍の石碑、照明の消えた真っ暗な隧道、落石に埋もれたガードレール、路面を奔る沢水、崩れ落ちた橋や路肩、草いきれのする藪、弱音、諦め、安堵とガッツポーズ… ここには、それら考えられる要素のほとんど全てのものがある! 廃道の中の廃道とは、決して険しいだけの廃道だとは思わない。 ここには、演出過剰なほどに分かりやすい、“廃道の真景”がある。 それゆえ、以前執筆させていただいた『廃道をゆく (イカロス・ムック) 』にも、巻頭企画としてこの道を紹介した。 この道を辿ることは、廃道の酸いも甘いも同時に体験することに他ならない。 同書にて一度紹介済みではあるが、本とネットでは表現方法も異なることであるし、今回はより詳細なレポートを作

                                                                    • 【山さ行がねが】廃線レポート 奥羽本線旧線 赤岩地区

                                                                      これから紹介するのは、奥羽本線の旧線である。 場所は、福島県福島市赤岩。 最寄り駅は、同線赤岩駅である。 奥羽本線については、名前くらいは全国区だと思うし、今さら多くを紹介する必要はないだろう。 福島と山形と秋田と青森を結ぶ、全長485kmの幹線鉄道で、全通は明治38年である。 赤岩という地名はかなりローカルではあるものの、鉄道ファンにはよく知られたる4駅連続スイッチバックの一つ赤岩駅は、まさに 赤岩地区の中心駅である。 最も、この書き方は二つのアヤを含んでおり、まず一つ、4駅連続スイッチバックは既に過去のものであると言うこと。 そして、「中心駅」と言うには相応しくない、秘境閑散駅であるということ。 いわば、奥羽本線きっての、ローカル駅なのである、赤岩は。 普通なら、駅などありよう筈もないような山中。 失礼だが、そんな場所だ。 そして、この赤岩に、豊富な旧線遺構が眠っている。 その古さ、残

                                                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道17号旧道 二居峡谷

                                                                        俺はまたしても、トンデモナイ廃道に遭遇してしまった! 上越国境とは上州(関東圏・群馬県域)と越後(北陸圏・新潟県域)とを隔てる線であり、すなわち県境である。 このエリアでは古くから「三国峠越え」と「清水峠越え」の二本の道が、国家の幹道としての主導権を争って来たのであるが、現在では決着済みである。 近代において両者の優劣を決定づけたのは、上越国境を結ぶ初めての自動車道が三国峠に拓かれたことによる。 昭和34年、戦前から計画されてきた三国トンネルおよび前後13km余りの山岳道路が一級国道17号として開通し、馬さえ通れなかった三国峠が近代的自動車道へと変貌を遂げたのである。 しかし、この段階ではまだ新しい国道も十分な機能を発揮できなかった。 なぜなら、この新潟側に連なる火打、二居、芝原などの峠が未改良で、自動車による通行に大きな危険を強制したためである。 続いて上記各峠も改良が進められ、昭和40

                                                                        • 【山さ行がねが】廃線レポート 飯田線旧線 向皆外隧道

                                                                          【周辺図】 JR飯田線の向市場駅と城西駅の間には、“世にも珍しい”橋が架かっているという。 その名も「第六水窪川橋梁」。 しかしこれ、“珍形式”の橋かと言えばそうではなく、よくあるディックガーダー(上路プレートガーダー)らしい。 それが15連も連なっていて全長は400.7mあると言うから、山中の橋としてはかなり長いのだが、その理由が“珍”なのである。 この橋が変わっているのは、地形図で見て一目瞭然であるとおり、水窪川を渡るように見せかけてそのまま戻って来るという“珍線形”だ。 一名、「渡らずの鉄橋」というそうだ。 道路橋でもたまにこういう線形を見ることがあるが、なるほど鉄道では初めて見るかもしれない。 そしてこの“珍線形鉄橋”(←この言葉10回言ってみれ)にも、その建設に関わる旧線が放棄されているとの情報を読者さんから頂いていた私は、前回の「第一久頭合隧道」解決後、すぐこの場所へ向かうこと

                                                                          • 道路レポート

                                                                            大峠である。 日本中に無数にある「大峠」の中でも、国道が通っていた物としては 歴史上最も 大きく 高い 峠であった大峠。 山行が永遠のライバル(自称だが…)『ORRの道路調査報告書』が遂に事業着手したことに刺激を受け、この大作に挑む時が私にも来たと、悟るなり。 まずは手始めに、山行が史上おそらく最も大きいフォント(300px)で、本当に大きいんだぞという、有り様を示してみたつもりだが、如何だろう。 本格的なレポを始める前に、今回はまず、諸元について大まかなまとめておきたい。 大峠は、17世紀初め頃、伊達政宗によって開削された道である。 当時記された「会津風土記」には、「路狭くて牛馬通せず難」とあり、米沢街道檜原峠越えに対する脇道でしかなかった。 そもそも、東北6県各県間にある山嶺の中でも、福島・山形の間に横たわる吾妻連峰や飯豊山地は最も高く、最低鞍部の檜原峠でさえ海抜1100mという高さだ

                                                                            • 【山さ行がねが】橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋

                                                                              日本有数の観光名所である栃木県は日光。 広大な日光観光圏のなかでも特によく知られた景勝地が、華厳滝(けごんのたき)である。 大谷(だいや)川にかかる落差97mの直瀑は「日本三大名瀑」に数えられる偉容を誇り、初めて目にした老若男女誰しもが感嘆の吐息を漏らす。 私は日光市の回し者ではないが、今まで自身が二度観光で日光を訪れ畏怖を持って滝を眺めた経験と、その展望台で一様に魂を抜かれたように滝を眺める群衆を目撃した経験からそう言える。 先に言ってしまうと、残念ながら今回のレポートでは天候の都合上、ナマの華厳滝は拝めなかった。 なので、華厳滝をまだ見たことがないという読者の期待には応えられないかもしれないことを、あらかじめお断りしておく。 さて、華厳の滝を実際に観覧された経験のある方ならばお分かりだと思うが、通常この滝を間近に眺める方法は一通りしかない。 それは、「華厳滝エレベーター」という有料のエ

                                                                              • 【山さ行がねが】廃線レポート

                                                                                入口は、県道416号(旧国道)の石部(せきべ)隧道から50mほど焼津側に戻った地点にあった。 これから向かう場所は、私の感覚としてだが、廃線の中で日本屈指の有名物件である。 ここ最近の鉄道廃線ブームを考えれば、既に現地は観光地化しているのではないかという懸念を持っていた。 だが幸いにして、廃モノ相手に関係行政も足並みを揃え難かったのか、入口にそれと分かる看板一つ出されてはいなかった。 ただ、この物件との関連性は断定できないものの、なぜか入口の真っ正面に私設の時間極駐車場(1時間100円)が存在する。(当には人家など無い) 付近の駐車スペースとしては、石部隧道の静岡側に10台ほど入る路側駐車スペースがあるが、廃線跡に最も近いのはこの時間極駐車場と言うことになるだろう。 …やはり、相当に訪問者は多いのかも知れない。 今回、探索前に私が事前資料としたのは、廃線ファンにはお馴染みの『鉄道廃線跡を歩

                                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 十二ノ森公園の謎の道

                                                                                  ちょっと右の地図をみておくれ。 愛用している「スーパーマップルデジタル ver.11」の画像なんだが、中央付近の山の中に、この場所には似つかわしくない注記がある。 「野球場」「並木公園」「十二ノ森公園」の3つだが、下地の等高線はかなり険しく描かれており、2つの公園についてはともかく野球場というのは流石にこんな場所に作れるだろうか? 麓の道からは140mくらい高いところだぞ。 それに、いくら縮尺を上げてみても、この3つの場所に行くような道は現れない。 もしかして廃公園とか、そういうのか? 何となく気になったので、行ってみた。 <この場所について> ここは群馬県利根郡片品村の北部に位置する戸倉地区【周辺地図(マピオン)】で、沼田と会津を結ぶ街道の宿場としてひらけた場所で、現在は尾瀬の玄関口として知られている。 2010/8/23 14:39 《現在地》 私がここに行ったのは8月末の平日だが、