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山上烈の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • スポーツナビ | 野球|第90回高校野球 2008年夏|コラム|球児への提言――基本を怠らず全力プレーを

    大会新記録の15打点を稼いだ大阪桐蔭・萩原(左)など好選手も多く見られた反面、基本を怠ったプレーも目立った大会だった【写真は共同】 いつから高校野球はこんなふうになってしまったんだろう。最も驚いたのは、取材時間中に携帯電話をさわる選手が複数いたことだ。試合終了後、報道陣には合計23分間の取材が許されている。勝ったチーム、負けたチームともに監督と指名選手がお立ち台へ。そのほかの選手には取材ルームで話を聞くことになるが、当然ながら試合で活躍した選手に記者は集まる。取材されず、手持ちぶさたになったのか、一刻も早くメールチェックをしたかったのか。イマドキの高校生といえばそれまでかもしれないが……。ちなみに、取材ルームは報道陣でさえ、携帯で話していると係員から怒鳴られる。 同じぐらい衝撃的だったのが、ある高校の主力選手が手にしていた白い皮手袋をベンチに投げつけたこと。三塁からのタッチアップが早いと

    • 小林誠司には元木大介の匂いがする!?なぜ阿部は彼に坊主頭を命じたのか。(鷲田康)

      「理想はあいつをレギュラーで使わなくてもいいチームを作ることだ」――巨人の長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)からこう言われ続けた選手がいた。 1990年代から2000年代にかけて活躍した元木大介である。 上宮高校では甲子園に3度の出場を果たし、特に3年夏の大会では1試合2本塁打を放つなど大活躍。その甘いマスクとともに一躍、甲子園のスターとなった。 その元木が一浪の末に念願の巨人入りを果たしたのが、1991年のことだった。2年目の'92年には一軍昇格を果たし、長嶋が監督となった'93年には内野ならどこでもこなすユーティリティープレーヤーとして一軍に欠かせない存在へと成長した。そうして'97年に二塁、遊撃、三塁の3つのポジションをこなしながら101試合に出場すると、6年連続で100試合以上に先発。その間も内野の全ポジション('99年から3年間は外野も兼任)をこなし、定位置のないレギュラー選手として

        小林誠司には元木大介の匂いがする!?なぜ阿部は彼に坊主頭を命じたのか。(鷲田康)
      • 広島・黒田博樹「不屈の野球道」(7)上宮高校時代の挫折 | アサ芸プラス

        90年、アマチュア球界にも太いパイプを持っていた父親の口添えもあったようで、黒田は高校野球の名門・上宮高校にスポーツ推薦で入学した。だが、当時の硬式野球部は、のちにプロ入りする逸材ぞろいで大きな壁に直面する。 黒田本人も自身の著書「決めて断つ」の中で、高校野球への不安をこう明かしている。 〈練習に参加してみた僕は早々から不安を抱かずにはいられなくなっていた。「あれ、俺はここではやっていけないのではないか。どうして、こんなところに来てしまったんだろう?」〉 現近畿大学硬式野球部監督で、黒田の入学直後の上宮高校野球部コーチだった田中秀昌氏が、当時の印象をこう振り返る。 「背が高くて、オーバースローから素直な球を放るピッチャーだったけど、中学時代は目立った実績があったわけではない。控えめな性格で、線の細い子だったんで、上宮のハードな練習に耐えられるかなっていうのが第一印象でしたね」 上宮高校では

          広島・黒田博樹「不屈の野球道」(7)上宮高校時代の挫折 | アサ芸プラス
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