先が「見えぬ」時代と言われるが、先の「見える」時代など、これまでに一度も存在しないのが実相。 「見えぬ」中で、どう見ていくか。 即ち、見えないものを如何に感性を高め、見出していくか。 五里霧中の中を進むこと程に、恐れと不安と疲弊に苛まれることはない。 従って、人間何かにすがることになる。 一つは権威あるもの、先を行くもの、力あるものに、ただ従い言われた通りにする。 または、当たるも八卦当たらぬも八卦と根拠なき運(コインの裏表、おみくじ、占い、易の類)を信望する。 まったく何も考えていないこともある。 そもそも、生き方が雑でいい加減。 行き当たりばったりの神頼みの人生。 これでは、事は起こらぬ。 では、先が読めるようになるにはどうしたら良いのか。 それは、人間の知りうるだけの見える中途半端な原点ではなく、元の元である根源、大局、元点が何かを知ること。 そして、日々の営みの中で人としての感性を