論理的な会話が出来ない。必ず感情とか、上司が部下に舐められたらアカンとか絶対そういう方向になるからマトモに会話が出来ない
感情論。 定義としては『理性によってではなく感情によってなされる議論』を意味する言葉であり、多くの場合は否定的な意味合いで用いられると思います。 そんな感情論に関して、私も基本的には否定的なポジションです。人の感情を否定しているわけではなく、ただ、感情論は公平さに欠けており弱者に優しくないと考えるためです。個人的な感情ではありますが、弱者に優しい世界のほうが好みです。 「理性」を用いるべきだと求めているのは「感情」 感情論の対義語を明確に定義することは難しいですが、概ね「理性的」「論理的」あたりが対角にくると考えられているでしょう。 ただ、『言説や議論は理性的/論理的であるべきだ』とする根底はどこにあるかと言えば、それは感情です。その根底に存在する公理は「理性的であるべきだ」「論理的であって欲しい」と望む感情的な願望に他ならず、理性的/論理的であることが絶対唯一の自然法則と言うわけではあり
カレーが好き。好きだから好き。 というのは感情論で、 私はスパイスの効いた辛い料理が好きであり、カレーはそれに相当し、故に私はカレーが好きである。 みたいなのが論理的な語り口とされるらしい。 本当かよって思う。 論理的に、というのならなぜ辛い料理が好きかまで踏み込まなきゃいかんのじゃないかって。 それが出来なきゃ「辛い料理が好き。なぜなら好きだから」という事になるし、そうなると感情論とされる話し方と全く同じとは言わないけれど、さほど変わらないんじゃないか。 それはなぜ?それはなぜ?を繰り返してもタマネギの皮を剥き続けるようなもので、どこかで「私はこれを良しとする。なぜならそう感じるからだ」って切り上げないと一生終わらない。 自然法則を追求するのと違って、個人の感覚が介入する話じゃ一貫して論理的な話というのは出来ないと思う。工具だけ揃えても勝手にプラモが組み上がらないように論理だけじゃ何も話
中学生男女が美人局を行い、逃走した被害男性が不幸な死を遂げた事件のことからふと思った。 美人局とは売春詐欺だなと。 売春の歴史は人類の歴史と同じくらい長いと聞いたことがある。 もしかしたら詐欺の歴史も同じくらい長いかも。 以下は法律論でも犯罪論でもない感情論としての詐欺。 ビジネス上の取り引きで、継続的な取り引きが始まった後で担当者が代わるということはよくある。 しかし、取り引き開始に当たって『その担当者だから取り引きを決めた』というケースは少なくないだろう。 そういう当事者にとっては取り引き開始後に担当者が代わることを詐欺だと感じる人がいても不思議はないだろう。 もちろんこのようなケースでは被害と言えるものは感情以外には発生していない。 それでもその害された感情に対しては共感は少なくないような気がする。 人を裏切ったことなど一切無いと言い切る自信がある人でも、この手の裏切りをしたことは一
昨年12月17日、経済産業省は「第7次エネルギー基本計画」の原案を公表しました。その骨子は「再エネ(再生可能エネルギー)か原発(原子力発電)かといった二項対立的な議論ではなく、再エネと原発をともに最大限活用していくことが極めて重要となる」というものであり、原発については「次世代革新炉の開発・設置に取り組む」としています。 この原案に対し、反原発の論調をもつ新聞各社は「福島の事故を忘れたのか」と共通の認識を示した上で、「原発回帰ありき」(朝日)、「被災地、原発回帰に怒り」(毎日)、「こりずに原発回帰」(東京)などと合理的根拠を欠いた非難に終始しました。 日本のエネルギー政策は、①安全性を大前提に②エネルギー安定供給③経済効率性の向上④環境への適合を図る―ことを原則にしています。新聞がこの観点に立って原発に対する賛否を合理的に論じることには大きな意義があります。しかしながら、感情に訴えて原発を
この普通すぎる説明すら感情論で理解できなくなってるブコメはもうやばいなマジで。 原作者の意思を一番蔑ろにしてるの、テレビ局でも小学館でも脚本家でもバカッターでもなくて、 お前らはてブのゴミじゃん。 お前らが一番原作者をバカにしてるよ。 え?脚本家がSNSで"弁明"した「から」原作者がSNSで"反論"したんやろ?SNSで個人で弁明することは最初から脚本家の仕事じゃないんだから脚本家の"弁明"がなければ原作者の"反論"もなかったのでは。 脚本家が原因かのように誘導したがりすぎの最悪のミスリード。 「誰かを攻めたいわけじゃない、という原作者の意思」を踏み躙って個人を叩き続けることは、「自分の立派な仕事」だとでも言わんばかりだなあ? なんで原作者があれだけ「(脚本家とか)個人を責めたいわけじゃない」(もっと複雑な問題なんだから単純化しないで)って伝えてたのに、 「亡くなった原作者の意見をわざと踏み
スピリチュアルって 何故あんなにもうさん臭いのか 日本だと占いも関係してくるみたいだし なおさらうさん臭さ倍増。 耳触りがよく 自分にとっていいことしか起こらないみたいな言われ方だと そりゃぁ浅はかな人間は飛びつくだろうね。 何もかもを否定するつもりはない。 そういう考え方もいいねと思えるところはある。 あそこまでいくともう宗教っぽいかもしれない。 どの宗教の教義もいいことをいってる部分はある。 全てにおいて間違いなどなく素晴らしいって言いきるのは かなり無理があるけど。 聞いてて拒否反応が出てしまうのはなぜだろうか。 思考の根幹にまず疑うことがインプットされているのと 何かを信じたからといって あたしの人生は報われないし 特によくもならない。 せめて自分のことは信じられるように だからこそ自分でさえもまずは疑ってかかる。 それ,ホントに大丈夫? その考え間違いはない? ありとあらゆる角度
Photo by CDC on Unsplash 人体の進化(アップデート)は現代社会に適応しておらず、大きく遅れています。現代の価値観に則してアップデート出来ているならば、男性ホルモンが薄毛を引き起こすこともない筈です。脇や耳などにあるアポクリン汗腺などは時代遅れの最たるもので、大昔はフェロモンを分泌する部位だったそうですが、ヒトへ進化する頃には既に不要となっており、ただワキガの原因になっているだけです。 人体には無駄や非合理的な部分が少なからず存在します。それでも平均寿命は上がっているので、人体はうまく出来ていると勘違いされるのも仕方のない事でしょう。人体や心理が完全かつ合理的という誤った前提のもとで幅を利かせているのが、「オリジナル生物学」です。 「オリジナル生物学」は、本来の生物学とは無関係かつ逸脱した存在でありながら生物学の名を借り、単なる感情論に偽りの学術的権威を着せる迷惑な論
感情論な人と衝突すると厄介かも 感情論な人と衝突すると、相手は感情に任せてこちらに食い掛ってくるので、会話が成立しにくく苦痛な時間を過ごしやすいです。感情論な人には、どのような特徴や心理がみられやすいのでしょうか?感情論な人との上手な付き合い方も、まとめています。 感情論な人に見られやすい特徴や心理は、以下のものがあります。 1.ストレスを溜めこみがち 感情論な人は、うまくストレスを発散することができず、いつもストレスを溜めこんでいる状態であることが多いです。そのため、なにかのきっかけにストレスが爆発し、全く関係ない相手に怒鳴るなどのとんでもない行動に出ることもあります。 怒ってスッキリするのは本人だけで、あたり散らかされ人にとっては迷惑でしかありません。それを見ていた人も、感情論な人とはかかわりを持たないという選択をする人が大半です。 2.基本的に自己中で、相手の気持ちは考えない 基本的
議員の決定で提出される問責決議の判断が微妙 何か議会で問題が起こった時、その政治家に対して、議員の権限で提出できるものがあります。地方議会でいうと、「問責決議」や「辞職勧告決議」「議長不信任案」「市長不信任案」などがそれに当たります。議会において厳重注意や警告等の懲罰的措置ということですね。中でも、問責決議は懲罰措置ではなく、「反省にあたいするがその姿勢がみられない。」と議員間で判断したに対して、「反省しなさい。」ということを公に伝えるようなものです。 しかし、この4年間、以前から私は不思議に思っていたことがありました。この問責決議ですが、どうして政党に所属していない無所属議員ばかりが受けているのだろう、提出者は最大会派が中心となっている議案のときだけ可決することが多いのだろうということです。 そう言えば、私の尊敬する「市民のためを考えて行動しているな」と思う、少数派の政治家の皆さん、議員
こんにちは、虎( https://twitter.com/tiger_stlv )です。 今回は「正義」という言葉に隠れた裏側を解説していきます。 はじめに正義という言葉には絶対性が感じられますね。 ですが、我々が日々使用する言葉の中で絶対性のある言葉には注意が必要です。 人間の心理として、絶対性のある言葉を使用する時には、その裏にある本心を隠す機能があります。 例えば、差別という言葉もこれにあたります。 差別という言葉と、差別が何故されているかということを疑問に考えたことはあるでしょうか? 歴史の中では様々な差別が行われており、黒人や女性など、様々な属性の人たちが差別対象になってきました。 例えばですが、それら差別は彼らが差別対象になるほどの強いポテンシャルを秘めており、周りの人がそれを恐れていたために差別が生まれた。と考えることができると思いませんか? 黒人は身体が強く、長く野外で活動
こんにちは、皆さん!一人ぼっちユウトです。 今日は、経済学の祖とも称されるアダム・スミスの名著『道徳感情論』についてお話ししたいと思います。この書籍は、経済学を学ぶ人々だけでなく、人生の深い洞察を求める全ての人に読んでほしい一冊です。アダム・スミスと言えば『国富論』が有名ですが、『道徳感情論』は彼の思想のもう一つの柱であり、人間の本質や社会の絆を探求する哲学的な名作です。 『道徳感情論』の魅力 『道徳感情論』は、人間の感情や道徳的な行動の源泉について語っています。スミスは、人々が社会の中でどのようにお互いを理解し、共感し、道徳的な判断を行うのかを深く考察しています。その中心にあるのが「共感」という概念です。 スミスによれば、人間は他者の感情に共感する能力を持っており、この共感が社会の秩序を維持する基盤となります。たとえば、他人が喜ぶ姿を見ると私たちも嬉しくなり、逆に悲しむ姿を見ると心が痛み
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く