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日本100名城の検索結果41 - 80 件 / 108件

  • 萩原さちこの城さんぽ〜日本100名城・続日本100名城編〜 第57回 伊賀上野城 大坂を守る城から対峙する城へ

    城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。57回目の今回は、全国で一、二を争う高さの高石垣で知られる伊賀上野城です。築城名人・藤堂高虎による大改修で近世城郭となった伊賀上野城の特徴を、改修前の時代と比べながら見ていきましょう。

      萩原さちこの城さんぽ〜日本100名城・続日本100名城編〜 第57回 伊賀上野城 大坂を守る城から対峙する城へ
    • 【続日本100名城・岸和田城編】伏見櫓を備え大阪湾と紀州街道ににらみをきかせた城

      「だんじりの町」として知られる大阪府岸和田市。大阪湾と紀州街道に面する要地に岸和田城がそびえ、江戸幕府から伏見櫓を下賜されるほどに重要視されました。旧紀州街道や大阪湾の規模を示す防潮石垣、だんじりゆかりの三の丸神社、明智光秀ゆかりの本徳寺など、岸和田城を中心とした歴史散策におすすめです。(2020年10月16日初掲) 岸和田城は水堀を挟んで本丸と二の丸に分かれています。本丸を囲む水堀を歩いていると、見る角度によって石垣や天守の見え方が異なり、不規則な形をしていることに気付きます。存在感のある水堀のなかでも、百間堀は城内最大級の幅があり、城下町と岸和田城を隔てていました。現在は一部埋め立てられたものの約160mが残っています。

        【続日本100名城・岸和田城編】伏見櫓を備え大阪湾と紀州街道ににらみをきかせた城
      • [【日本100名城・明石城(兵庫県)】西国の抑えとして築かれた、現存三重櫓が煌めく城] - 城びと

        2019年に、築城400周年を迎える明石城!この城の魅力は、なんといっても現存する2基の三重櫓。そして、五重天守を構えられるほどの大きさを誇る天守台や、350mも続く高さ20mの石垣。剣豪・宮本武蔵が町割りをしたと記録が残る城下町など、明石城の魅力をたっぷりご紹介します!

          [【日本100名城・明石城(兵庫県)】西国の抑えとして築かれた、現存三重櫓が煌めく城] - 城びと
        • 鳥取城の解説【日本100名城】麓から天守までは結構登りますが見晴らしも素晴らしい

          鳥取県 鳥取城の解説【日本100名城】麓から天守までは結構登りますが見晴らしも素晴らしい 鳥取県 山城, 駐車場あり, 国史跡, 日本100名城, 因幡国 コメント: 0 投稿者: 城迷人たかだ 鳥取城の戦い 鳥取城(とっとり-じょう)は、鳥取県鳥取市東町にある山城で、日本100名城にも選ばれています。 戦国時代に、死を覚悟して鳥取城に入った吉川経家が兵糧攻めの末に切腹した「鳥取の飢え殺し」でも有名な鳥取城ですが、その後の戦国時代の鳥取城と、関ケ原の戦いの際の鳥取城を調べてみました。 山中鹿之助と尼子勝久を支援して鳥取城主となった山名豊国でしたが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)に包囲されて、吉川経家が毛利家から派遣された前後、城兵を置いて、山名豊国は織田勢にひとり降伏しています。(家臣に追放されたとも?) このように判明しているだけで、山中鹿之助から2度、吉川元春にも2度、豊臣秀吉からも2度も攻撃を

            鳥取城の解説【日本100名城】麓から天守までは結構登りますが見晴らしも素晴らしい
          • 萩原さちこの城さんぽ〜日本100名城・続日本100名城編〜 第45回 国吉城 約10年の攻撃に耐えた「難攻不落」の城

            城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。45回目の今回は、越前朝倉氏の攻撃を長年耐え抜いた「難攻不落の城」として知られる福井県の国吉城です。土づくりの山城から総石垣の山城へと変貌していった歴史を物語る、貴重な遺構を見ていきましょう。

              萩原さちこの城さんぽ〜日本100名城・続日本100名城編〜 第45回 国吉城 約10年の攻撃に耐えた「難攻不落」の城
            • 【高市郡高取町】高取山登山② 日本100名城の1つ『高取城址』本丸と国見櫓、山中にある不思議な猿石 : 勝手に堺市広報大使

              勝手に堺市広報大使 地元・堺や奈良の史跡、古墳、神社仏閣をはじめとするおすすめスポットを紹介しています。奈良が大好きで明日香村、橿原市、桜井市、天理市の神社仏閣や史跡をよく訪れています。2022年12月~飛鳥応援大使に就任いたしました。飛鳥の魅力を多くの方に伝えていけるよう頑張っていきます! お問い合わせ プライバシーポリシー 個人情報保護方針 前回の続きで高取山に登った時の話になります。宗泉寺を出ていよいよ山登りが始まります。登り口には『高取城址』と書かれた石碑が立てられていました。 この先は『七曲り』と言って曲がりくねった道が続いています。敵が攻めてきた時見通しを悪くするためこのような道が作られたようです。 奥飛鳥と高取町城下町へと続く大手筋の分岐点にあたる場所には猿石という猿の形をした石が置かれていました。飛鳥時代に作られたもののようで、築城の際に石垣に転用するため明日香村から運ばれ

                【高市郡高取町】高取山登山② 日本100名城の1つ『高取城址』本丸と国見櫓、山中にある不思議な猿石 : 勝手に堺市広報大使
              • 霞城公園の桜-日本100名城 山形城址の風景|山形県山形市 – カメラ×旅ブログ

                山形県山形市霞城町の霞城公園には、国の史跡・日本100名城に指定された山形城址があり、約35.9haの敷地を有する公園内には約1500本のソメイヨシノなどの桜が植えられていて、毎年4月中旬頃からは公園内一帯がピンク色に染まる美しい風景が楽しめます。今回の記事では山形市隋一の桜の名所・霞城公園の開花情報やお花見情報をご紹介しています。 山形県の桜名所 山形市・霞城公園霞城公園とは?山形県山形市の中心部にある霞城公園は、南北朝時代の武将で後に最上 兼頼を名乗った斯波 兼頼(しば かねより)が築城した輪郭式の平城である山形城跡を整備した公園で、元は本丸・二の丸・三の丸を同心円状に配置して三重の堀と塀に囲まれた平城でした。長い年月が経過した風化と共に江戸時代の後期頃には三の丸の水堀が埋没してしまったため、現在も残されている濠は二の丸の濠であるとされています。 現在の霞城公園は、山形城と共に「日本1

                • 萩原さちこの城さんぽ〜日本100名城・続日本100名城編〜 第47回 春日山城 膨大な曲輪を持つ上杉謙信の居城

                  上杉謙信の居城、春日山城(新潟県)。謙信(長尾景虎)の父である越後守護代・長尾景為が本格的な城へと改修し、天文17年(1548)に春日山城主となった謙信が大規模に拡張・整備して完成させたとみられます。春日山(蜂ヶ峰)の山頂に本丸(実城)を置き、山全体に膨大な数の曲輪を配置。一族の屋敷や重臣の屋敷などを含めた200以上の曲輪を並べ、曲輪間は堀切や土塁を設けて防御力を高めています。 毘沙門堂が建っている尾根筋には、毘沙門堂や護摩堂などが点在していました。謙信は戦いの神として四天王のひとりである軍神・武神の毘沙門天を尊崇し、自らを毘沙門天の転生と信じていたとか。出陣前に護摩堂で戦勝を祈願し、毘沙門堂に籠った後に「毘」の軍旗をはためかせて戦場に赴いたといわれています。

                    萩原さちこの城さんぽ〜日本100名城・続日本100名城編〜 第47回 春日山城 膨大な曲輪を持つ上杉謙信の居城
                  • 歴史好きの大学生が4年がかりで日本100名城+続日本100名城の完全制覇に成功!旅の苦労やコツを聞いてみた

                    「このたび日本100名城および続日本100名城の制覇を達成しました」という文言と共に、日本城郭協会の認定スタンプカードの写真がTwitterに投稿され、話題になっている。 このたび日本100名城および続日本100名城の制覇を達成しました。山城のように険しい道のりでしたがなんとか達成できて非常に嬉しいです。これからも多くの城を巡ってその土地の歴史に触れていきたいと思います。 #日本100名城 #続日本100名城 https://t.co/QpJG1WPoth — Ogaw@Travel (@Setouchi__48) 2023年4月13日 100+100=200名城巡りを達成したことを証明するスタンプカード 「日本100名城」「続日本100名城」とはどちらも日本城郭協会が国内の名城から選定したもの。世界遺産や国宝天守を擁する有名な城を中心に、石垣が見事な城郭などもリストに入っている。それぞれ

                      歴史好きの大学生が4年がかりで日本100名城+続日本100名城の完全制覇に成功!旅の苦労やコツを聞いてみた
                    • 日本100名城~現存天守12城 - 備中松山城

                      天守が残る唯一の山城 標高430mの山頂にあり、天守が残る唯一の山城。天守は複合式望楼型二重二階、現存天守の中では最も小さい。写真の右奥が天守、左手前の建物は再建された五の平櫓。

                      • 日本100名城と続日本100名城はどういう基準で定められたの?

                        【日本100名城ってなに?!その基準は?】 日本100名城は、日本全国にあるお城の中でも財団法人日本城郭協会が2006年に定めた100の名城のことだよ。 日本城郭協会が2007年に設立40周年を迎えたため、その記念事業の1つとして「日本100名城」が選ばれたんだ。 日本100名城は ・観光地としての知名度 ・優れた文化財・史跡 ・復元の正確性 ・著名な歴史の舞台 ・時代・地域の代表 ・各都道府県から1城以上5城以内 ・環境保存状況や城郭発達史からの観点 などを基準としているよ。 2005年に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募して、歴史や建築の専門家が審査して100の城を選定したんだ。 2007年6月からは選定された全国の100城を巡る「「日本100名城」選定記念スタンプラリー」も開始されているよ。 日本100名城に選ばれたお城には、名城番号がついたスタンプが設置されて、そのスタンプを集めて

                          日本100名城と続日本100名城はどういう基準で定められたの?
                        • 能島城【続日本100名城】潮流激しい瀬戸内海にある村上海賊の本拠の海城

                          愛媛県 能島城【続日本100名城】潮流激しい瀬戸内海にある村上海賊の本拠の海城 愛媛県 駐車場あり, 国史跡, 続日本100名城, 観光名所 コメント: 0 投稿者: 城迷人たかだ 能島城 日本遺産や続日本100名城にも選ばれた「村上海賊」こと村上水軍(むらかみすいぐん)は、伊予能島(のしま)、来島(くるしま)、備後因島(いんのしま)の3家に分かれて、主筋となる能島村上家と、来島村上家、因島村上家がありました。 その村上水軍の中でも主派となる能島水軍の本拠地となっていたのが、国史跡・能島城(のしまじょう)となります。 能島城の周辺は、干満時には激しい潮流になり渦を巻くことから、敵が船に乗って能島城へ接近することが難しい、天然の要害とも言える海のうえにある水軍城でした。 すぐ隣に、属島となる鯛崎島があります。 村上水軍の村上氏は、信濃村上氏が起源だとする説が有力です。 すでに南北朝時代には瀬

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                          • 現存天守12城~日本100名城

                            日本のお城は、かつては4~5万ほどありましたが、現在は一般的に見学できるのは200城ほどです。そのうち江戸時代以前からの天守が現存しているのは12城です。 今日見られる天守の最初のものは、織田信長が建造した安土城の天守といわれています。その近世城郭は、江戸時代初期にいたる半世紀ほどの間に、大小あわせて400ほどが造られました。しかし、江戸時代の「一国一城令」、明治時代の「廃城令」により、多くのお城が失われました。さらに戦時中は、アメリカ軍の空襲などでも失なわれてしまいました。そこで、天守が現存している12城をはじめ日本のお城の姿をとどめておきたく、写真集にまとめています。 なお、天守は天守閣とも呼ばれていますが、江戸時代後期になってから生まれた俗称ですので、ここでは天守という表記でまとめました。天守の分類については城攻団ブログを参考にさせて頂きました。 日本のお城は、かつては4~5万ほどあ

                            • 日本100名城・続日本100名城一覧リスト

                              公益財団法人日本城郭協会が定めた「日本100名城」と「続日本100名城」。昨今のお城ブームもあり、これらのお城をめぐるスタンプラリーに挑戦する人も年々増えています。そんな日本100名城、続日本100名城の一覧リストを作成しました。 公益財団法人日本城郭協会が、①優れた文化財・史跡であること、②著名な歴史の舞台であること、③時代、地域の代表であることを基準に、各都道府県から選定したお城のこと。平成18(2006)年に選ばれた100城を日本100名城、平成29(2017)年に選ばれた100城を続日本100名城といいます。

                                日本100名城・続日本100名城一覧リスト
                              • 【続日本100名城・龍岡城(長野県)】大政奉還の年に完成した『もう一つの五稜郭』

                                日本には、函館五稜郭のほかにもう一つ五稜郭があるのをご存知でしょうか? 長野県佐久市にある龍岡城五稜郭(別名:龍岡城、田野口陣屋)は、大政奉還をおこなった慶応3年(1867)に完成した西洋式の城。日本赤十字社のもととなる博愛社を設立した旧龍岡藩主・松平乗謨(のりかた)が築きました。日本にいながらヨーロッパ流の築城技術が楽しめるなんて、なんだかお得! 日本人が築いた稜堡式(りょうほしき)の城とは、どのような城なのでしょうか。(初回掲載:2021年9月7日。2023年8月17日更新)

                                  【続日本100名城・龍岡城(長野県)】大政奉還の年に完成した『もう一つの五稜郭』
                                • [【続日本100名城・諏訪原城編】城の役割はたった20年!なのに歴史ロマン溢れる絶賛の城] - 城びと

                                  諏訪原城は、武田勝頼が徳川氏の領土である遠江への侵攻を計り、天正元年(1573)に築かれました。しかし、武田氏は天正3年(1575)の長篠の合戦で、織田・徳川連合軍に大敗。諏訪原城も徳川氏に奪取され、徳川氏による駿河侵攻の拠点「牧野城」として改修されました。武田氏が滅亡するとその役割を終え、天正18年(1590)頃に廃城したと考えられています。 武田流築城術の典型と考えられていた諏訪原城ですが、2016年までに行われた発掘調査によって、今見る土塁や堀のほとんどに徳川家の手が入っていたことがわかりました。諏訪原城は、研究者の間でも物議を醸す話題の城なのです!

                                    [【続日本100名城・諏訪原城編】城の役割はたった20年!なのに歴史ロマン溢れる絶賛の城] - 城びと
                                  • 日本100名城 | 日本のお城、御城印と、お寺、神社の歴史ガイド

                                    日本100名城ホームお城一覧日本100名城 弘前城 根城 会津若松城(鶴ヶ城) 白河小峰城(小峰城) 足利氏館(鑁阿寺) 箕輪城 新田金山城 (金山城) 江戸城 小田原城 高岡城 七尾城(石川県) 丸岡城 一乗谷城 躑躅ヶ崎館(武田氏館) 小諸城 松本城 上田城 松代城(海津城、貝津城) 岐阜城 岩村城 掛川城 山中城 駿府城 岡崎城 1 2 3 4 5 0

                                    • 日本100名城~現存天守12城 - 松江城

                                      国宝に指定された天守 山陰地方唯一の現存天守である松江城の天守、平成27年(2015年)、松本城、犬山城、彦根城、姫路城の天守についでに国宝に指定された。現存する天守12城の一つでもある。

                                      • 【続日本100名城・唐津城(佐賀県)】名護屋城との関係が浮かび上がる海上の要塞

                                        九州北西部、玄界灘に突き出した佐賀県の東松浦半島の北部には、文禄・慶長の役の拠点として名護屋城がありました。そして東松浦半島の東部に築かれたのが唐津城で、名護屋城の資材を用いたとされます。唐津城は謎が多い城でしたが、近年の発掘調査によって実態が少しずつ見えてきました。周辺の遺構や、城主ゆかりの「虹の松原」とともにご紹介します。(初回掲載:2021年12月27日。2023年8月17日更新) 唐津城(佐賀県唐津市)は、松浦川河口の半島状に突き出した丘陵(満島山)に築かれました。関ヶ原の戦いの戦功で加増された武将・寺沢広高によって、慶長7年(1602)から7年がかりで唐津城は完成したとされています。このとき、文禄・慶長の役後に使われなくなった名護屋城(佐賀県唐津市)の解体資材を転用したといわれ、天守は建てられなかったと伝わっています。 寺沢広高の子、2代藩主・寺沢堅高の時代に、島原・天草一揆が起

                                          【続日本100名城・唐津城(佐賀県)】名護屋城との関係が浮かび上がる海上の要塞
                                        • オンネモトチャシ跡【日本100名城】クナシリ・メナシの戦い~根室半島チャシ跡群

                                          北海道 オンネモトチャシ跡【日本100名城】クナシリ・メナシの戦い~根室半島チャシ跡群 北海道 駐車場あり, 国史跡, 日本100名城, 蝦夷地, アイヌ コメント: 0 投稿者: 城迷人たかだ 根室半島チャシ跡群 日本100名城で最初に登場する城郭は「根室半島チャシ跡群」(ねむろはんとうちゃしあとぐん)と言う、アイヌ民族の丘先式城となります。 北海道根室市にあるチャシ跡24か所の総称で、国の史跡にも指定されています。 チャシと言うアイヌ語は、山の上にあって割木の柵を巡らせた施設と言う意味で、和風に言えばお城と言う事になりますが、規模的には砦と言う感じです。 チャシ跡は、チャシコツと言います。 ただし、アイヌ人が使用していた「チャシ」としては、見張台程度の砦が多く、聖地や会談の場としても使われていたようでする なお、100人が1ヶ月くらいで造営できる程度と、どれも規模は小さめですが、700

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                                          • 【日本100名城・小諸城編(長野県)】浅間山麓の地形を生かし、武将・文人が行き交った歴史舞台

                                            日本100名城・続日本100名城のお城 【日本100名城・小諸城編】浅間山麓の地形を生かし、武将・文人が行き交った歴史舞台 城下町よりも城が低い位置にあり「穴城」と呼ばれる小諸城(長野県小諸市)。独特の地形を生かした城には、改修に関わった山本勘助や仙石秀久だけでなく、関ヶ原の戦いに向かった徳川秀忠が滞在しました。北国街道と小諸宿の跡もたどり、小諸城の重要性を体感してみてはいかがでしょうか。(初回掲載:2020年12月28日。2023年8月17日更新)

                                              【日本100名城・小諸城編(長野県)】浅間山麓の地形を生かし、武将・文人が行き交った歴史舞台
                                            • 戸倉上山田温泉に泊まって日本100名城を巡る旅 後編

                                              二の丸から博物館、真田神社と櫓を堪能し、ぐるっと回って西櫓の脇から階段を降りて駐車場に戻る。 真田御屋敷公園 上田城から菅平方面に約10km、車で20分ほど行くと、真田氏館跡がある御屋敷公園に着く。 真田氏館は真田氏が上田城を築城する前の居館で、地元では「御屋敷」と呼ばれ、親しまれているらしい。 現在は皇大神社が鎮座している。 小諸城址懐古園 御屋敷公園から約20km、車で30分程走ると小諸城址懐古園に到着する。 小諸城は1487年、大井光忠が築城したとされている。 当時の建造物としては、懐古園から線路を挟んだ反対側にある大手門と、懐古園の入口になっている三之門、石垣が現存している。 現在は、小諸市営の小諸城址懐古園として整備、公開されている。 懐古園入口脇の駐車場は1日500円、懐古園の入場料は大人300円で、動物園の入場料が含まれる。 懐古園に加え、徴古館、藤村記念館、小山敬三美術館、

                                                戸倉上山田温泉に泊まって日本100名城を巡る旅 後編
                                              • 赤穂城跡|忠臣蔵で有名な日本100名城に選ばれた海岸平城【兵庫県赤穂市】

                                                兵庫県赤穂市に浅野長直が13年の歳月をかけて築城した「赤穂城跡(あこうじょうあと)」があります。 元禄時代に起きた忠臣蔵で有名な、江戸城内の松の廊下での刃傷事件が原因で、藩主の家が断絶した城主です。 1648年より時間をかけて造られた赤穂城跡は、三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海に面しています。 本丸を同心円状に囲むように二ノ丸がある輪郭式ですが、三ノ丸が二ノ丸の北側に張り出している原型輪郭式になっているのが特徴的です。 明治の廃藩置県後に取り壊されましたが1955年に大手門の一部などが復元され、1971年には国史跡指定を受け、2002年には本丸庭園と二ノ丸庭園が国の名勝に指定されました。 2006年には、日本100名城にも選ばれています。 都市公園としての整備も進み、赤穂市のシンボルとして多くの人々に親しまれています。 近くには、大石神社や歴史資料館、赤穂浪士のお墓もあります。

                                                  赤穂城跡|忠臣蔵で有名な日本100名城に選ばれた海岸平城【兵庫県赤穂市】
                                                • 【日本100名城】天下普請の城 篠山城 - 城和子の日本史徒然記

                                                  篠山城へ行ってきました。 所在地 兵庫県丹波篠山市北新町 築城主 徳川家康(天下普請) 築城年 1609年 大阪城攻略のため西国の抑えとした城です。 ちなみに築城の名手藤堂高虎の縄張りです。 それだけでもうテンション上がりますね! 日本100名城で、スタンプは大書院に設置してあります。 駐車場は有料駐車場が近くにいくつかあります。 大書院が復元されており、中にも入ることができます。 有名な武将の甲冑が飾ってありました。 ■大好きな信玄公の甲冑 この大広間は時代劇に出てきそうな感じでテンション上がりました☆ 障壁画が美しいですね。 石垣も良かったです。 石垣に残された刻印。 天守台ですが、天守は作られなかったようです。 ちなみに天守台の上から波多野氏の居城だった八上城が見えます。 明智光秀の丹波攻めで有名なお城です。 御城印帳、御城印をGET! 八上城の御城印も大書院受付で買えます。 ちなみ

                                                    【日本100名城】天下普請の城 篠山城 - 城和子の日本史徒然記
                                                  • 続日本100名城のスタンプまとめ

                                                    ※ 当サイトの各種サービスをその利用規約等で定める範囲内でご利用いただく場合や、著作権者の許諾なく著作物を利用することが法的に認められる場合を除き、無断で複製、公衆送信、翻案、配布等の利用をすることはできません。また、利用が認められる場合でも、著作者の意に反した変更、削除はできません。記事を要約して利用することも、原則として著作権者の許諾が必要です。 ※ 当サイトの情報は執筆当時の情報を元にしているため、現在の内容とは異なる場合があります。

                                                      続日本100名城のスタンプまとめ
                                                    • 福井県内の日本100名城と続日本100名城を制覇してきました! - 今日もアジアの片隅で

                                                      2019年9月に、車を走らせて北陸地方の100名城めぐりを行ってきました。既に報告済みではございますが、富山県と石川県の100名城を廻りまして、最後は福井県です。 福井県はなかなか訪れるのには不便な場所にあるなと思っておりましたが、こうしてまとめて廻ったことで、比較的効率よく廻れたかなと思っております。 というわけで、本稿では、福井県の日本100名城と続日本100名城の攻城の様子をお届け致します。 福井県内の日本100名城と続日本100名城 福井県内で日本100名城と続日本100名城に選定されているのは、以下の6城です。 日本100名城No.36「丸岡城」 日本100名城No.37「一乗谷城」 続日本100名城No.137「福井城」 続日本100名城No.138「越前大野城」 続日本100名城No.139「佐柿国吉城」 続日本100名城No.140「玄蕃尾城」 6城はなかなか多い方ですね。

                                                        福井県内の日本100名城と続日本100名城を制覇してきました! - 今日もアジアの片隅で
                                                      • 日本100名城~現存天守12城

                                                        日本の城はかつては 4~5万ほどありましたが、現在一般的に見学できるのは 200ほど。そのうち江戸時代以前からの天守が残されているのは12城。天守の最初のものは、織田信長が建造した安土城の天守といわれています。それから江戸時代初期までの半世紀で 400ほどの近世城郭が建造されましたが、江戸幕府の「一国一城令」、明治政府の「廃城令」により多くが失われ、アメリカ軍の空襲でも失なわれてしまいました。ここでは、現存天守12城はじめ 日本100名城をまわって、その訪問記をまとめています。 なお、天守は天守閣とも呼ばれますが、江戸時代後期になってから生まれた呼称なので、天守という表記でまとめました。

                                                        • 日本100名城~現存天守12城 - 高知城

                                                          大手にふさわしい追手門 高知城は、本丸の建物が全て残る唯一の城。明治政府の廃城令で取り壊しを免れ、第二次大戦による空襲も免れ天守、本丸御殿、追手門など15棟が現存している。写真はその一つである追手門(大手門)、重要文化財に指定されている。 黒塗りの詰門(つめもん) 追手門から鉄門を抜け、天守をめざすと、黒塗りの詰門(つめもん)に誘導される仕組みになっている。詰門内部は、敵が簡単に通り抜けられないよう、入口の扉と出口の扉が筋違いになっている。 天守をかこむ矢狭間塀 天守を囲むように設けられている矢狭間塀、「横矢掛り」といい、カギ状に曲がっている塀に矢狭間(やざま)が設けられている。死角をなくして、どこからでも敵に弓矢を浴びせられる仕掛けになっている。

                                                          • 【日本100名城】秋田県の久保田城(くぼたじょう)を制覇したぜ!!!

                                                            優太(@kirintrip1)です。本日も、ブログをご覧いただきありがとうございます┏○))ペコ 2020年、3回目のGoToトラベルで行った来たゼ!! イエーーーーイ! 「乗るしかない、このビッグウェーブに!」ってコトで秋田県へ100名城のスタンプゲットしに行ってきました。 秋田県にある100名城-No9 久保田城(くぼたじょう)久保田城は、慶長七年(1602)に出羽国へ国替えとなった佐竹氏二十万五千八百石の居城であり、複数の廓を備えた平山城です。秋田藩主佐竹氏は、源氏の流れをくむ名門であり、全国でも古い歴史を持つ大名。関ヶ原の合戦のあと、秋田に転封された佐竹義宣は久保田の地、神明山(現在の千秋公園)に新たに城を築き、城下町を建設しました。 久保田城に隣接する千秋公園と言えば『桜祭り』2016年に撮影しました秋田県千秋公園の桜祭りの様子です🌸#ファインダー超しの私の世界 #写真好きな

                                                              【日本100名城】秋田県の久保田城(くぼたじょう)を制覇したぜ!!!
                                                            • 鬼城山(鬼ノ城)|日本100名城にも選ばれた謎の古代山城【岡山県総社市】

                                                              岡山県総社市にある「鬼城山または鬼ノ城(きのじょう)」は、大和政権により国土防衛のために築かれた古代山城で、日本でも珍しい神籠石式山城(こうごいししきやましろ)です。 神籠石式山城というのは古代の西日本(主に九州北部)に築造された遺跡で、現状『日本書紀』『続日本紀』などの文献資料に記載がないので、遺構でしか存在を確認できない山城のことを指します。 鬼ノ城も歴史書には記されておらず、その真相は未だに解明されていない謎の山城で、日本100名城のひとつとして数えられています。

                                                                鬼城山(鬼ノ城)|日本100名城にも選ばれた謎の古代山城【岡山県総社市】
                                                              • 【日本100名城 上田城編】天然の要害を利用した長野が誇る不敗の城

                                                                NHK大河ドラマ『真田丸』をきっかけに、人気の観光地となった長野県上田市。真田昌幸が築いた「上田城」には、徳川家の大軍を2度も退けたエピソードがあります。現存する櫓が建つ本丸跡は城跡公園として整備され、2016年1月中旬〜2017年1月中旬まで開館していた大河ドラマ館には100万人以上が訪れました! いまだ熱が冷めない、上田城の見どころをご紹介します。(※2018年11月14日初回公開)

                                                                  【日本100名城 上田城編】天然の要害を利用した長野が誇る不敗の城
                                                                • ★呑み鉄「日本100名城の和歌山城と地酒を味わう」旅! - ★隠れた日本酒・銘酒を求めて、電車でGO!!

                                                                  ★京都から2時間で「和歌山駅」へ ★和歌山駅からバスで10分ぐらいで日本100名城の1つ「和歌山城」 元和5年(1619)、徳川家康の10男頼宣が55万5千石を拝領し、紀州藩が成立。頼宣は二の丸を西に広げ、砂の丸・南の丸を新たに造成しました。 紀州徳川家は、尾張・水戸とともに「御三家」と呼ばれ、【8代将軍吉宗、14代将軍家茂】を輩出しました。 ★きれいに並んでいる石垣もあれば、荒々しい石垣もあります(^0^) ★1945年(昭和20年)7月9日のアメリカ軍による大規模な戦略爆撃(和歌山大空襲)により天守などの指定建造物11棟すべてを焼失。 大東亜戦争中に国際法に違反し、日本の民間人を無差別殺人をしたアメリカに多くの城は空爆されたため、当時から残っている城は少ないです。 この時の大統領はフランクリン・ルーズベルトは、悪いことをしてもいない日本に対し、対日資産凍結や石油の全面禁輸などの経済封鎖

                                                                    ★呑み鉄「日本100名城の和歌山城と地酒を味わう」旅! - ★隠れた日本酒・銘酒を求めて、電車でGO!!
                                                                  • 【大和郡山市城内町】筒井順慶が築城 続日本100名城に認定された『郡山城跡』 : 勝手に堺市広報大使

                                                                    勝手に堺市広報大使 地元・堺や奈良の史跡、古墳、神社仏閣をはじめとするおすすめスポットを紹介しています。奈良が大好きで明日香村、橿原市、桜井市、天理市の神社仏閣や史跡をよく訪れています。2022年12月~飛鳥応援大使に就任いたしました。飛鳥の魅力を多くの方に伝えていけるよう頑張っていきます! お問い合わせ プライバシーポリシー 個人情報保護方針 前回の続きで奈良県大和郡山市を訪れた時の話になります。今回は近鉄郡山駅から徒歩5分ほどのところにある『郡山城跡』を紹介します。 1983年に豊臣秀長築城当時に近い姿で復元された追手門から場内に入りました。 郡山城は1580年に筒井順慶によって築城されました。1585年には豊臣秀吉の弟・豊臣秀長が百万石の居城とし大幅に拡張されたようです。 当時石垣は荒々しい野面積みという様式で積み上げられました。ガイドの方から説明を伺ったんですが、まばらな大きさの石

                                                                      【大和郡山市城内町】筒井順慶が築城 続日本100名城に認定された『郡山城跡』 : 勝手に堺市広報大使
                                                                    • 戸倉上山田温泉に泊まって日本100名城を巡る旅 前編

                                                                      ドンキホーテで昼食 朝、8時過ぎに自宅を出発し、関越道から休憩をはさみながら上信越道へ。 更埴(こうしょく)ICで高速を降り、国道18号線、篠ノ井バイパスを川中古戦場方面に向かっていく途中においしそうなところを発見。 立ち寄ったのはドンキホーテ篠ノ井バイパス店。 ドンキホーテは、ディスカウントショップのドンキとは全く関係なく、ハンバーグとステーキのお店で、長野県内に2店舗展開しているらしい。 駐車場に車を止めたところでちょうど開店の11時。名物の俵ハンバーグ、1,280円を注文。 さすがに専門店、激ウマ。 川中島古戦場 俵ハンバーグに満足した後は、ドンキホーテから車で10分弱の川中島古戦場へ。 川中島古戦場は、武田信玄と上杉謙信が戦ったところとして有名だが、実際にこの地で合戦が行われたわけではなく、武田軍がこの付近に本陣を置き、勝鬨(かちどき)を上げたのが、川中島古戦場にある、八幡社の境内

                                                                        戸倉上山田温泉に泊まって日本100名城を巡る旅 前編
                                                                      • 日本100名城 小田原城に行ってきました - まーきちのお気楽生活

                                                                        小田原駅の東口です。 小田原市は神奈川県西部の中心都市で人口18.6万人。 もう少し多いのではと思っていましたが、そうでもないんですね。 小田原の町はいつも通過するばかりで、駅の外を歩いたことがありません。 そこで小田原のシンボルとも言うべき小田原城に行くことにしました。 駅前ではクソがつきそうな暑さにも関わらず、マルシェが行なわれていました。 (でも名古屋に比べると暑さはマシなほうかも) これがミナカ小田原(後ろのビル)と小田原新城下町ですね。 観光客で賑わっていました。 10分ほど歩いていよいよ小田原城へ。 天守までに門が3つあります。 日本で7番目に背が高いという小田原城天守です。 (1番は大阪城、2番は名古屋城で復元天守を含みます) 屋根が入母屋造の特徴的な形をしています。 小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。1500年

                                                                          日本100名城 小田原城に行ってきました - まーきちのお気楽生活
                                                                        • 【日本100名城・伊賀上野城編(三重県伊賀市)】「築城の名手」に託された、時代の転換を象徴する大改修

                                                                          日本100名城・続日本100名城のお城 【日本100名城・伊賀上野城編】「築城の名手」に託された、時代の転換を象徴する大改修 伊賀上野城の代名詞といえば、高さ約30mもある全国有数の高石垣。この高石垣は、「築城の名手」藤堂高虎による大改修によって、大坂城をにらみつけるように築かれたもの。大改修の背景には、豊臣氏と徳川氏との間に高まる緊張感がありました。天守の復興に尽力した川崎克や、俳人・松尾芭蕉など、伊賀出身の人物とともに伊賀上野城をご紹介します。

                                                                            【日本100名城・伊賀上野城編(三重県伊賀市)】「築城の名手」に託された、時代の転換を象徴する大改修
                                                                          • 『江東良一「FJ時事新聞 社備中松山城(日本100名城・岡山県高梁市)~FJ時事新聞おすすめ名城~』

                                                                            今回のニッポンニュースで取り上げるのは、岡山県高梁市の臥牛山山頂(標高430m)にある、日本100名城で国指定重要文化財の備中松山城だ。 備中松山城は日本三大山城にも数えられ、また、最も高所にある現存天守の山城で、特に秋には雲海に浮かぶ幻想的なその姿から「天空の城」とも呼ばれている。江東良一「FJ時事新聞 社長監修」 備中松山城の築城は、鎌倉時代に有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭・秋庭重信が奥地の大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和三)年に水谷勝宗が3年の年月を費やし、現在の天守に修築した。 この地は、山陰と山陽の南北、さらに東西の主要街道も交差する要地であるため、戦国時代は絶えず激しい争奪戦が繰り広げられ、目まぐるしく城主の交代が繰り返されてきた歴史がある。 では早速、備中松山城に踏み入れてみよう。 登城坂の周囲は、高さ10m以上の巨大で切り立った岩壁が聳え立ち、その天然の岩盤を

                                                                              『江東良一「FJ時事新聞 社備中松山城(日本100名城・岡山県高梁市)~FJ時事新聞おすすめ名城~』
                                                                            • 【日本100名城・甲府城(山梨)】駅チカなのに豊臣・徳川のスゴイ城が楽しめる

                                                                              実は、甲府駅が城の中に建てられているのをご存知ですか。山梨県といえば、武将・武田信玄のイメージが強い地域ですが、「甲府城」が誕生したのはその武田家が滅亡したあと。戦国時代が佳境に突入し、天下を治めるのは豊臣家か!? それとも徳川家が台頭してくるのか!? と、世の中が騒然としていた時に築かれました。 今回は、豊臣期に築かれた石垣や、江戸時代に城内にあった天然温泉など、知られざる甲府城に迫ります。 2019年に、記念すべき開府500年を迎えた甲府に注目です!(※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、開館時間などが変更になっている場合がございます。開館時間等改めて公式サイトなどでご確認の上、お出かけください)

                                                                                【日本100名城・甲府城(山梨)】駅チカなのに豊臣・徳川のスゴイ城が楽しめる
                                                                              • 萩原さちこの城さんぽ〜日本100名城・続日本100名城編〜 第46回 出石城・有子山城 戦国時代から江戸時代へ、改変が辿れる2つの城

                                                                                萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第46回 出石城・有子山城 戦国時代から江戸時代へ、改変が辿れる2つの城 城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。46回目の今回は、セットで続日本100名城に選定された出石城と有子山城(ともに兵庫県)です。戦国時代から江戸時代にかけての城の移り変わりがよくわかる、各城の構造や遺構の特徴を見ていきましょう。

                                                                                  萩原さちこの城さんぽ〜日本100名城・続日本100名城編〜 第46回 出石城・有子山城 戦国時代から江戸時代へ、改変が辿れる2つの城
                                                                                • 【日本100名城】弘前城(ひろさきじょう)と根城(ねじょう)を制覇したぜ!!!

                                                                                  優太(@kirintrip1)です。本日も、ブログをご覧いただきありがとうございます┏○))ペコ GoToトラベルで行った来たゼ!! イエーーーーイ! 「乗るしかない、このビッグウェーブに!」ってコトで長野県へ100名城のスタンプゲットしに行ってきました。 青森県にある100名城-No4 弘前城(ひろさきじょう)天守は、もともと華麗な五層の天守で本丸西南隅にあった。寛永4年(1627年)に落雷で焼失し、再建しようとしたが、「武家諸法度」では天守の新築を禁じていたため、やむなく隅櫓の名目で幕府の許可を得て、今の三層の天守に。 弘前城の住所はこちら青森県弘前市下白銀町1 それではOK!!グーグルマップ!!!オン!!! Googleマップより#得意技は指で青森県の形を作る事。 ではもう少し近づいて見ましょう! Googleマップより中央弘前駅から徒歩でも行ける距離なんですね。 ストリートビュー

                                                                                    【日本100名城】弘前城(ひろさきじょう)と根城(ねじょう)を制覇したぜ!!!