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植民都市の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • ローマ帝国時代の「完全な」植民都市発見 エジプト

    エジプト南部ルクソールで発掘された1800年前の「完全な植民都市」。観光・考古省提供(2023年1月24日提供)。(c)AFP PHOTO / HO / EGYPTIAN MINISTRY OF ANTIQUITIES 【1月25日 AFP】エジプト当局は24日、南部ルクソール(Luxor)で1800年前の「ローマ帝国時代の完全な植民都市」を発見したと発表した。 エジプト考古最高評議会(Egyptian Supreme Council of Antiquities)のムスタファ・ワジリ(Mostafa al-Waziri)事務局長は、2~3世紀のもので、ルクソールを流れるナイル川(Nile River)東岸で見つかった中では「最も古く重要な都市」だと説明している。 発掘されたのは「多数の住宅」、ハトを飼育するための「ハトの塔2基」や「多数の鍛冶場」など。鍛冶場では鍋や道具類、「ローマ帝国時

      ローマ帝国時代の「完全な」植民都市発見 エジプト
    • 古代の植民都市 - Wikipedia #古代ギリシアの植民地

      紀元前6世紀ごろの地中海。黄色はフェニキア人の植民都市、赤はギリシア人の植民都市、灰色はその他の植民都市である。 古代の植民都市とは、母体となる都市が領土を周辺に拡大するという形態ではなく、全く異なる場所に新たな都市国家を作ったものである。植民地と母都市のつながりは密接に保たれることが多く、様々な形態をとった[1]。しかし近世~近代の帝国主義・植民地主義時代に主として西ヨーロッパ諸国の主権国家群が建設した植民地が先住民社会を領域的に包摂して母国の従属下に置いたのとは異なり、古代の都市国家が建設した植民都市は、先住民社会の海の中にあたかも島の様に自立して営まれ、母市からは政治的に独立した都市国家として運営された。 古代エジプトの植民地[編集] 古代エジプトでは、エジプト第1王朝より少し前からカナン南部に植民している[2]。ナルメル王はカナンのラファフなどに陶芸工房を作らせ[3]、製品をエジプ

        古代の植民都市 - Wikipedia #古代ギリシアの植民地
      • 世界的な経済力を誇る「都市国家シンガポール」のルーツは「イギリスの植民都市」という定説への疑問

        <イギリス東インド会社の貿易拠点であり、アジア各地への中継流通拠点として発展したシンガポール。「華人の世紀」の最盛期に設立されたユニークな「貿易都市」について> 2015年12月末、東南アジア諸国連合(通称アセアン)は「アセアン経済共同体(ASEAN Economic Community)」を発足し、加盟国間の経済統合を進めてきた。 その目指すところは、加盟国総人口6億人という市場規模を生かした経済発展、先進・中進国から後進国への技術供与や生産拠点の移動、そして域内経済格差の解消に取り組むことである。 中でも飛びぬけた経済力と世界的プレゼンスをもつのが、シンガポールである(*)。その存在なくしては、アセアン経済共同体の掲げる地域経済統合による単一市場・生産拠点の創出という目標も、達成が困難であることは間違いない。 しかし、そのルーツは独特である。過去、東南アジアで栄えたマラッカ王国の伝承で

          世界的な経済力を誇る「都市国家シンガポール」のルーツは「イギリスの植民都市」という定説への疑問
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