「バスと電車を使っての通勤も初めてのことでしたし、最初はパソコンの電源を点けるところからでした。日々勉強ですね。まあ正直、大変なときもありますよ。営業先で門前払いをされたり、怒られたりすることも少なからずあるので……」 苦笑しながら武藤はそう語った。しかしそこには不満などは感じられず、充実した風情が感じられた。 2010年のドラフト会議で3巡目指名を受け、ホンダから中日に入団。力強いストレートと切れあるシュートとフォークを武器にした右腕は、中日時代の2013年にリリーフとして58試合を投げるタフネスぶりを見せたが、2017年に戦力外通告を受けてしまう。「まだやれる」と執念を燃やし合同トライアウトを受けようとすると、幸いDeNAから声が掛かった。最初はビハインドでの場面が主な仕事だったが、要所を締めるピッチングで首脳陣の信頼を得て、2019年にはセットアッパーまで任されるようになった。 だが