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江戸時代の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • 「混んできたらリンチで殺す!」江戸時代の留置所が地獄すぎる - ナゾロジー

    牢名主の天下だった江戸時代の留置所小伝馬町牢獄内の「牢法」(牢内の掟)【鑑定徳川律法】 、江戸時代の牢内には様々な厳しい決まりがあった / credit:国立公文所館江戸時代にて罪を犯して奉行所に捕まったものは、牢屋敷に収容されました。 なおこの牢屋敷が刑務所と見なされることもありますが、あくまで拘置所であり、奉行所の裁きが済んでいないものや死刑囚が収容されていたのです。 現在ではこういった場所で未決囚を監視し統制するのは拘置所の職員ですが、当時は牢名主と呼ばれている囚人が監視していました。 この牢名主は牢屋ごとに未決囚の中で才能があるものを奉行所の職員が選んで決めており、牢名主は奉行所の職員の監督のもと牢内の治安維持や病人の手当てを行うという制度だったのです。 また牢名主は自身の部下となるものを指名することができ、牢名主に指名されたものは牢役員として牢名主の補佐をしていました。 しかしこ

      「混んできたらリンチで殺す!」江戸時代の留置所が地獄すぎる - ナゾロジー
    • 江戸時代の僧坊が茶房に変身「本寿院 ながら茶房」 - 平日腰掛けOLのメモ帳

      おつかれさまです。 今日は、江戸時代の僧坊(僧侶の住む家)を改修し、お寺の境内でお休み処として営業している茶房を紹介します。 本寿院 ながら茶房 場所は、滋賀県大津市にある「三井寺」の境内。 「三井寺」は琵琶湖のほとりにある天台寺門宗の総本山。 広い境内には、1200年以上続く長い歴史の中で生まれた数多くの国宝や重要文化財が残されています。 そこはまるで文化財のテーマパーク! www.koshikakeol.com 境内の散策にかかせないのがお休み処。 趣のあるインテリア。 どの席からもお庭を眺めることができます。 和とモダンの融合する店内はすべて椅子席。 膝を曲げて座るのが苦手な年配の方もくつろげます。 【メニュー】 あとで境内にある「本家力軒」で名物の力餅を食べる予定だったので、スイーツは我慢。 ホットコーヒーを注文。 信楽焼の器が素敵です。 和モダンな空間でお庭を眺めながら飲むコーヒ

        江戸時代の僧坊が茶房に変身「本寿院 ながら茶房」 - 平日腰掛けOLのメモ帳
      • 【読書感想】「助太刀稼業」。江戸時代末期の剣術のお話。 - G-log 日々思うこと

        「助太刀稼業 」 佐伯泰英 著 正確なタイトルは「助太刀稼業①さらば故里よ」のようです。 多少のネタバレと愚痴が含まれています。 (Amazonリンク) https://amzn.to/3W9UBbX あらすじ 江戸時代末期。 豊後の国、佐伯藩で細々と浦まわりという役人仕事をしていた神石嘉一郎。 ある日、あらぬ疑いをかけられて脱藩することになった。 大阪へ向かう船に乗り込むと、そこにいたのは毛利助八郎。 助八郎は、毛利家の妾の子であり、藩の中でも腫れ物扱い・厄介者扱いで不自由な暮らしを強いられ、脱藩を決意していた。 その際に、彼は毛利家の宝である名刀を一つ盗み出していた。 しかし路銀もない2人は、剣術三神流の強力な使い手である嘉一郎の腕を使い、道場破りでの金策を試みる。 しかし生来真面目な嘉一郎は、道場で剣を交わす喜びが優先し、道場破りではなく稽古に明け暮れる。 そんな折、嘉一郎は知り合っ

          【読書感想】「助太刀稼業」。江戸時代末期の剣術のお話。 - G-log 日々思うこと
        • 【知って楽しい雑学】土用の丑の日に「うなぎ」を食べるのはなぜ?江戸時代の発明家の助言が発端! | 週刊女性PRIME

          十二支で数えると「夏土用の丑の日」が2回ある年もあり、1度目を一の丑、2度目を二の丑と呼ぶ。今年は2回ある年で、二の丑は8月5日だ ※写真はイメージです 日常の気になる疑問を解決!土用の丑の日に「うなぎ」を食べるのはなぜ?知って楽しいおもしろ雑学を友達や家族にも教えてあげよう。 知って楽しい!おもしろ雑学 Q.土用の丑の日に「うなぎ」を食べるのはなぜ? A.夏に不人気の「うなぎ」を食べてもらうために、うなぎ屋が縁起が良いと宣伝したから。(和文化研究家 齊木由香さん) うなぎを食べる日として知られている「土用の丑(うし)の日」。 今年は7月24日がその日にあたり、コンビニなどでも、「うな重」の予約を受け付けているところもあるが、どうしてうなぎを食べるの? 「うなぎを土用の丑の日に食べる習慣は、江戸時代に定着したといわれています。ただ、もともとは、夏を乗り切るために『う』のつく食べ物を食べよう

            【知って楽しい雑学】土用の丑の日に「うなぎ」を食べるのはなぜ?江戸時代の発明家の助言が発端! | 週刊女性PRIME
          • 対局者プロフィール(江戸時代後期)

            徳川家治 (1737-1786) 七段。徳川幕府十代将軍。九代将軍家重の長男。 大の愛棋家将軍として知られ、五代宗印、九代宗桂、二代看寿ら家元衆や将軍近習の旗本たちと対局し、多くの棋譜を残した。 また、御城将棋で家元衆と近習の対局いわゆる「御好み」が組まれたのも、この将軍の求めによるとされている。 周囲が若干緩めて対局している風が棋譜から感じられ、正直実力七段は疑問ではあるが、 非常に筋の良い軽い棋風で現在のアマ高段の力は十分にある。 特に詰めには鋭く、かなり長手数で変化複雑なものもきっちりと詰め上げている。 その他、詰将棋も堪能で図式集『将棋攻格』百番を著すなど、とにかく多才且つ異色の将軍といえる。 福島順喜 生没年不詳 七段。信濃の人。前名龍治、順棋とも。 若き日の宗英との棋譜が残されており、大橋分家の門人と推定される。 民間では数少ない七段に昇り、尚且つ確かにその実力があったとされて

            • 江戸時代からうなぎの産地!千葉の名店3選  - おとなの週末公式|おいしくて、ためになる食のニュースサイト

              江戸前で語られることも多く、東京名物的なうなぎ。しかし、埼玉、千葉、神奈川さらに山梨など関東近郊にも名店は多い。東京の喧騒を離れ、ちょいと贅沢な日帰り旅で堪能したい千葉県の名店をご紹介します。 編集・武内オススメ!『小暮や』 @天王台 香ばしくふわとろ。絶妙の焼き加減に悶絶 都心から常磐線に揺られて40分あまり。茨城県の手前、天王台の駅に着く。この駅には何度も降りているが、目的はいつも同じ。『小暮や』のうなぎを堪能するためだ。 曽祖父の代からうなぎに携わっており、目利きには絶対の自信を持つ現店主が扱うのは静岡県浜名湖産のやや大ぶりのうなぎ。 うな重 3740円(肝吸・新香付) 注文が入ってから生うなぎを捌き、じっくりと蒸した後、紀州備長炭で丁寧に焼き上げていく。やがて表面は飴色でパリッと香ばしく、中は数度噛めば溶けていくようなふわふわ具合の蒲焼きとなって供される。 ご飯と一緒に頬張れば、う

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              • 江戸時代の甘酒の製法について。2種類あると聞いたが。冬に飲むイメージと、夏に飲むイメージがあるのはな... | レファレンス協同データベース

                まず農林水産省ホームページの過去の消費者相談事例(平成29年12月)にも甘酒には米麹と酒粕による2種類の作り方があることは書かれていますが、『江戸グルメ誕生』(講談社・2010年)p.202には、一つは“米の飯に米麹を混ぜて発酵” “麹さえあれば家庭でもつくることができ、四季を問いません”とあり、もう一つは“酒糟に砂糖を加えてつくる” “新酒のできる冬場しか酒糟が手にはいらないので、冬限定”とあります。 『随筆辞典』1衣食住編(東京堂出版・1960年)p.13“甘酒”で調べると、江戸随筆「卯花園漫録」に花麹による甘酒の製法が書かれています。また、江戸随筆「塵塚談」に“あま酒は冬のものなりと思ひけるに、近頃は四季ともに商ふ事になれり”とあります。「塵塚談」は文化11(1814)年に著されたので、夏にも甘酒を飲めるようになったのは江戸時代後期ということになります(同様のことは『江戸グルメ誕生』

                  江戸時代の甘酒の製法について。2種類あると聞いたが。冬に飲むイメージと、夏に飲むイメージがあるのはな... | レファレンス協同データベース
                • 対局者プロフィール(江戸時代前半)

                  本因坊算砂 1559-1623 囲碁一世名人。京の人、前名、加納輿三郎。 法華宗の僧で法名日海と言い、京都寂光寺の塔頭本因坊にあった。家康の招きで江戸に出仕してのち、本因坊算砂と名乗る。 碁打ち、将棋指し衆の統括者的な地位にあった算砂は両芸に秀で、囲碁は天下無敵。将棋も当時5本の指には入る腕前であった。 今日宗桂、宗古との棋譜が残されている。 信長、秀吉、家康の3代に仕え、囲碁、将棋の芸道としての地位を大いに高めた算砂は江戸期に入って名人碁所を開き、 その際に将棋の司を宗桂に譲った。これらが実現したのは算砂の社会的地位、政治的手腕に負うところが非常に大きいと言える。 囲碁界で開祖として尊崇をうける算砂は、将棋界にとっても忘れてはならぬ恩人である。 松本紹尊 生没年不詳 七段格。美濃の人。一名権兵衛。 初代宗看との30番指し(34番との記録もある)で知られるが、その他の棋譜や対戦が伝えられて

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