三十七年如一瞬(さんじゅうしちねんいっしゅんのごとし)。学医伝業薄才伸(いをまなびぎょうをつたえてはくさいのぶ)。栄枯窮達任天命(えいこきゅうたつはてんめいにまかす)。安楽換銭不患貧(あんらくぜににかえひんをうれえず)。これは渋江抽斎(しぶえちゅうさい)の述志の詩である。想(おも)うに天保(てんぽう)十二年の暮に作ったものであろう。弘前(ひろさき)の城主津軽順承(つがるゆきつぐ)の定府(じょうふ)の医官で、当時近習詰(きんじゅづめ)になっていた。しかし隠居附(づき)にせられて、主(おも)に柳島(やなぎしま)にあった信順(のぶゆき)の館(やかた)へ出仕することになっていた。父允成(ただしげ)が致仕(ちし)して、家督相続をしてから十九年、母岩田氏(いわたうじ)縫(ぬい)を喪(うしな)ってから十二年、父を失ってから四年になっている。三度目の妻岡西氏(おかにしうじ)徳(とく)と長男恒善(つねよし)