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瀧口修造の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • 瀧口修造 - Wikipedia

    瀧口 修造(たきぐち しゅうぞう、1903年(明治36年)12月7日 - 1979年(昭和54年)7月1日)は、近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家。戦前・戦後の日本における正統シュルレアリスムの理論的支柱であり、近代詩の詩人とは一線を画す存在。 1903年、富山県婦負郡寒江村(のち呉羽町、現:富山市)大塚に3人姉弟の長男として生まれる。家は祖父の代から医者であり、長男の修造は当然家業を継ぐものとして期待されていた。だが、それに反するかのように本人は子供の頃から大の学校嫌いで、よく家の大黒柱につかまっていたという。小学5年生のある日、父の勤めている病院に連れて行ってもらい、実際の手術の現場を見せてもらったところ、あやうく卒倒しかける。その帰りの食堂で、父に医者にはなりたくない、と言うと父は黙って微笑んでいた。その数日後、父は急死した。 1921年、富山県立富山中学校(現:富山県立富山高

      瀧口修造 - Wikipedia
    • 瀧口修造とマルセル・デュシャン|2011年度 展覧会スケジュール|千葉市美術館

      瀧口修造 (1903-1979) は、1938年、『みづゑ』誌上に「マルセル・デュシャン(調革の論理)」を、1955年には『藝術新潮』に「異色作家列伝12:デュシャン」を発表し、日本のマルセル・デュシャン受容において先駆的な役割を果たしました。けれども瀧口にとってデュシャンが真に特別の存在となるのは、スペインのカダケスにあるサルヴァドール・ダリ宅を訪れた際に、このダダの巨匠との邂逅を果たしたのちのことです。以後瀧口はデュシャンと手紙のやり取りを続け、彼の異名「ローズ・セラヴィ」を冠したオブジェ・ショップの構想、『マルセル・デュシャン語録』の編纂、岡崎和郎の助けをかりての《檢眼圖》の制作など、最晩年に至るまで精神的なつながりを保ち続けました。 本展は、300点を超える作品や資料をとおして、瀧口修造とマルセル・デュシャンの交流を紹介します。第1部では「大ガラス」を未完のまま放棄した1923年以

      • 慶應義塾大学アート・センター(KUAC) | アート・アーカイヴ資料展XVI 「影どもの住む部屋—瀧口修造の書斎」

        これは「書斎」というべきものか。それこそ「影どもの住む部屋」というべきか。——瀧口修造「白紙の周辺」(『余白に書く』みすず書房、1966年) 瀧⼝修造(1903-1979)は詩⼈、美術批評家であると同時に、50 年代にはタケミヤ画廊を中⼼に展覧会のオーガナイザーとしての活動を、60 年代には造形的な実験を開始し、領域を横断する活動を実践した⼈物である。 本展は諸資料を通して瀧⼝の書斎を映し出す試みである。書斎とは、制作を⾏う場所であり、制作プロセスの中で様々な思考や記憶が縦横無尽に⾶び交う場所すなわち「影ども」の住む部屋である。 瀧⼝が書斎で試みていた様々な資料群の布置の改変を写真を通じて⾒出すとともに、『余⽩に書く』という書物に着⽬し、その初出印刷物の展⽰において、書物へと結晶化する事前と事後の状態の⽐較を⾏う。つまり書斎写真を書斎に住まう「影ども」の映像の群れとして⾒ること、そして結晶

        • 【鏡音リンオリジナル】魚の欲望【瀧口修造の詩で】

          初うpです。瀧口修造『妖精の距離』(1937年10月)から「魚の慾望」という詩に馬鹿みたいな曲をつけました。漢字の読み方間違ってる箇所があったらごめんなさい。(「碧玉」は「へきぎょく」と読んで、鉱物の名前だそうですね。改めて読むとこれは「へきぎょく」でないといけないと私も思いますが、歌はもうドジっ娘が読んでるとか思ってくださいm(__)m 3/11追記)イラストはピアプロでサヤ・Uさんのhttp://piapro.jp/a/content/?id=j7vzyszoty03uvteをお借りしましたm(__)mちなみにこのリンはMacOSX10.5Leopard上のCrossOver Mac上で動いてるリンです。うp主(user/4072454)の他の動画は→mylist/8286140

            【鏡音リンオリジナル】魚の欲望【瀧口修造の詩で】
          • 門田秀雄氏による瀧口修造試論「批評も思想ぬきで成り立つ」 - mmpoloの日記

            去る7月28日、東京京橋にあるギャラリイKで開かれている企画展《日本コラージュ2007》に関連してギャラリートークが行われた。ゲストは美術作家でもあり川崎市民ミュージアムの学芸員でもある仲野泰生さんと、同じく美術作家でもあり美術評論家でもある門田秀雄さんだった。門田さんは美術批評誌「構造」を個人で主宰・発行されている。 仲野さんは、日本近代の問題、個と共同体、岡本太郎の思想とその周縁について話された。 門田さんは戦後の最も重要なモダニズム批評家瀧口修造について話された。瀧口はモダニズム美術においてカリスマであり、門田さんも記しているように徹底的に神格化されている。ここに紹介するのは講演の際に配られたレジュメである。いずれ瀧口修造論を完成させて発表するつもりだと言われたが、とても優れた内容なので門田さんにお願いしてテキストを提供していただいた。表題の「瀧口修造論試論『批評も思想ぬきで成り立つ

              門田秀雄氏による瀧口修造試論「批評も思想ぬきで成り立つ」 - mmpoloの日記
            • 詩人・瀧口修造:戦時下の未発表作発見 戦争詩「倭し美し」「城」 体制側に協力か? 研究家が命日に発表 /富山 - 毎日新聞

              • 土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」第16回 : ギャラリー  ときの忘れもの

                土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」第16回 土渕信彦 16-1.「旅」展 「旅 ―〈ここではないどこか〉を生きるための10のレッスン」展は、東京国立近代美術館で開催された。会期は2003年10月28日〜12月21日だった。タイトルどおり「旅」に焦点が当てられた企画展で、内外の作家10名の約70点の作品が展示された。 最初のセクションで瀧口修造のリバティ・パスポートが12点並べられた。これだけの点数のリバティ・パスポートが集められたのは世田谷文学館の「瀧口修造と武満徹」展のとき以来だったように思う。図録もまるで瀧口のリバティ・パスポートのようなサイズの、ハンディな体裁で好ましかった。ただ、10年経って老眼になってみると活字も図版も小さく感じられ、せめてもう一回り大きな文庫本サイズくらい欲しいという気がしないでもない(図16-1)。 図16-1 東京国立近代美術館 「旅 ―〈ここではないどこ

                  土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」第16回 : ギャラリー  ときの忘れもの
                • 瀧口修造の世界 : ギャラリー  ときの忘れもの

                  青木宏さん追悼 ― 「瀧口修造 夢の漂流物」展カタログのこと 土渕信彦 建築には不案内、全くの門外漢で、もともと怠け者で不勉強なものですから、青木宏さんのお名前は存じ上げず、もちろんお目にかかったこともありませんでした。 たまたま9月27日の水曜日は、銀座から … 続きを読む 四国・宇和島のコレクター清家克久さんが久しぶりに上京、7日と8日に在廊されました。 友人やご親戚の方をはじめ多くの方が来廊され再会を楽しまれていましたが、清家さんがこれほどのコレクション(今回の展示はほんの一部ですが)をしているとは皆さんご存じなかったらし … 続きを読む 四国・宇和島に在住の清家克久氏は瀧口修造の熱心なコレクターであり、長年にわたり蒐集してきた瀧口とその関連作家たちについて、ときの忘れもののブログで「瀧口修造を求めて」(全12回)、「瀧口修造と作家たち ― 私のコレクションより ―」(全14回)を連

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