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無理強い 言い換えの検索結果1 - 10 件 / 10件

  • 何を書くかは身体に尋ねる-言葉にならないところから理論を立ち上げるThinking At the Edgeという方法

    今回取り上げるThinking At the Edge※(以下、TAEと表記する)は、言葉にならないもやもやした感じを言葉にする方法であり、そこからさらに、雑多だが豊かな非定型データ・資料と取っ組み合い、理論(仮説)を立ち上げるまで進むことができる方法論である。 ※直訳すれば「辺縁で考える」となるが、ドイツ語では「Wo Noch Worte Fehlen」(「未だ言葉に成らざる所」)と名づけられている。 このTAEは、フォーカシング(focusing)で知られる臨床心理学者であり哲学者でもあるジェンドリンが、シカゴ大学での理論構築の授業で用いていた方法を、2004年にジェンドリンとメアリー・ヘンドリクスが14のステップにまとめたものである※。 ※Gendlin, E. T. & Hendricks, M. N. (2004) Thinking At the Edge (TAE) steps

      何を書くかは身体に尋ねる-言葉にならないところから理論を立ち上げるThinking At the Edgeという方法
    • 子ども教の信者は目をさましましょう

      目次 ●毎日新聞の記事 ●まんが「子供いじめ」 ●よくある質問 ●文藝家協会提言案 日本共産党中央委員会よりの回答とそれへの反論 子ども表記問題とは? (初めての方はここを) 「子ども教の信者は目を覚ましましょう」矢玉四郎 出典 季刊ぱろる9子どもって何だ?(パロル舎)1999 「子ども表記について新事実発見」矢玉四郎 出典 季刊ぱろる10横断する絵本 1999 ●参考リンク  ★最近の心境 前世紀(1999年)に「子ども」表記に疑問をもって、調べて書いてきました。はじめは世の中のひとも「あ、そうか」と、すぐ訂正されるものと思っていましたが、とんでもない抵抗があり、本業にも差し支えるような逆境におちいってしまいました。 表記の問題などどうでもいいという見解もできるわけで、もっと大きな問題にくらべるとそうです。が、大きな問題こそ、言葉をつくして論理的に考えていかなければ

      • 菊池桃子と「ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)」と「一億総活躍(国家総動員)」と - kojitakenの日記

        この件を知ったきっかけは、昨日、某人が濱口桂一郎氏の下記ブログ記事に「はてなブックマーク」をつけていたことだった。 あまりにもアカデミックすぎた菊池桃子さん: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)(2015年10月30日) マスコミは、内田樹氏みたいな学生を呪うしかできないようなのを偉い「学者」扱いする一方で、菊池桃子さんみたいな雇用問題に見識を持つ人はいつまで経っても「タレント」扱いしたがるという抜きがたい偏見がありますね。 確かに出発点は「パンツの穴」だったかも知れないけれど、戸板女子短大客員教授でキャリア権推進ネットワーク理事の彼女をタレント枠に入れるのは、内田樹氏を学者枠に入れるのと同じくらい違和感があります。 まあ、それはともかく、産経新聞にこんな記事が: http://www.sankei.com/life/news/151029/lif1510290029-n1.h

          菊池桃子と「ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)」と「一億総活躍(国家総動員)」と - kojitakenの日記
        • 何でもかんでも“UX”と言うのをやめる—Design for UX|usagimaru

          解釈は人それぞれなのかもしれませんが、この業界には何でもかんでも“UX”を付けたがる癖があります。私はこの流行りには乗らずに物事を分けて考えてみたいです。 言葉の定義と解釈などユーザーインターフェイス(UI)の設計を表す言葉に関して、それをわざわざ「UX〜」と言い換える事例が国内外問わず多くあり、本来この“UX”と呼ばれるはずのものがどこか蔑ろにされているようにも感じられます。言い換えの例としては次のような具合です。 ・UIデザイン → UXデザイン ・UIデザインツール → UXデザインツール または UXツール ・UIデザイナー → UXデザイナー または UI/UXデザイナー “UX”という言葉がバズワードになり、Xの文字がどこかかっこいいからと既存の“UI”の語句をただ言い換えているだけのように感じられることもあります。実際のところ、「UX〜」と表記されている言葉の幾らかについては

            何でもかんでも“UX”と言うのをやめる—Design for UX|usagimaru
          • アイサツ・コトワザ・ヤクザスラング・感嘆詞・掛声 - ニンジャスレイヤー Wiki*

            ヤバイ級ニンジャは、互いのアイサツが終わるコンマ数秒で攻防を始める。もしくは周到なアイサツマエ・アンブッシュを行う。 アイサツ前のアンブッシュによって即死した場合、そのニンジャはアイサツするだけの力量もなかったと見做される。 ゆえに、アイサツが円滑にできないニンジャはサンシタであると分かりやすく判別ができるのだ。 こうして死ぬことはブザマと評されることもあるものの、一方でシツレイだと謗られることはない。 つまり「アイサツ」とは自分を殺すであろう相手のイサオシを想い、あるいは死に行く相手へ自分が誰に殺されるのかを手向けとすべく、わざわざ攻守の手を止めて自らが何者であるかを明かす、極めて奥ゆかしく神聖不可侵な儀式なのである。互いに対等の立場となって殺し殺されることを許容することを思えば、アイサツを踏みにじるニンジャの、なんと卑劣極まりない存在であろうか! 関連:オジギ アッハイ 不条理な事柄を

              アイサツ・コトワザ・ヤクザスラング・感嘆詞・掛声 - ニンジャスレイヤー Wiki*
            • 平沢進の音楽世界観を多角的に紐解く - Music Synopsis

              ※当記事は文字数が9万字以上ある記事になります。 そのため、時間がある時に閲覧すること、また字数の関係上スマートフォンでの閲覧よりもパソコンやタブレット端末での閲覧を併せて強く推奨します。 ・はじめに これまで久石譲・菅野よう子といったメジャーでありながら知名度も抜群であり多大なフォロワーがいる、いってみれば名実ともに全員が納得できる偉大な大家について書きました。つまり大衆が愛すべき作曲家に焦点を当てました。しかし今回はすこし捻った特集を組みました。 マイナーだけど何故かメジャーアーティストとして有名という音楽版の諸星大二郎とでも形容すべき人物、つまりは平沢進です。まず音楽版の諸星大二郎とはどういう意味なのか、という点についてです。 同業者からは絶大な支持があるもののより広域的な範囲では知られていないという存在を形容するものとして「ミュージシャンズ・ミュージシャン」という単語があります。

                平沢進の音楽世界観を多角的に紐解く - Music Synopsis
              • クレーム科学

                臨床心理学やカウンセリングの分野では、精神が正常性か異常性を判断する基準の一つに「適応(adjustment)」というものを使います。 「適応」とは、人間が生活したり、活動したりする「環境(対人関係や家庭、学校、職場、様々な社会・物理的な環境)」に適応しているかどうかということをいいます。 適応状態とは 「環境に適応した」状態とは、環境に対して適切かつ有効な行動・反応ができる状態のことです。 適応した状態にある人は、感情や気分が安定して、自己効力感や自己肯定感を持っている傾向があります。そして、周囲から好意的に評価されているという自己意識も持っています。 自己効力感とは、自分が持っている目標を実現されるための能力が、自分にはあるという感覚のことです。また、自己肯定感とは、自分の存在には意味があり、評価される価値があるなど、自分自身を肯定的にとらえる感覚です。 このように、環境に適応した人は

                • BLOG「芦田の毎日」: 大学入試改革を議論する文科省「有識者会議」(座長・安西祐一郞)の最終報告について

                  大学入試改革を議論する文科省「有識者会議」(座長・安西祐一郞)の最終報告について 2016年03月27日 ●〈人物〉評価とは身分の評価でしかない 安倍政権の「教育再生実行会議」(座長:鎌田薫・早大総長)が、大学入試(センター入試)を〝人物重視〟に改める提言を10月末日(2014年)に発表しました。また昨日25日(2016年)は、その「教育再生実行会議」の議論の延長上で、大学入試改革を議論する文科省「有識者会議」(座長・安西祐一郞)の最終報告がなされました。後者の力点は「知識偏重」に対する記述式問題の導入という観点です。 こういった動きに関連して、私は、まずは朝日新聞朝刊社説面(オピニオン欄)で「脱・点数主義の罠」(2013年11月12日)として論じましたが、ここではさらにその論点を詳述してみたいと思います。 「人物本位」の大学入試に問題があるのは、〈人物〉評価というのが、生まれたときからの

                  • 子ども教の信者は目をさましましょう

                    子どもと書いたらガキどもという意味になります。子供は無実です、冤罪から救ってください。 「子ども」を交ぜ書きと書いたが、「子+ども」で、「女+ども」と同じ。「子供」とは別の単語。子供の代わりにはできない。表記の問題ではない。(2022/7) ★ひどいのはNHKだ。番組表でも「子供」は年一回くらいしか見ることがない。朝日新聞でさえ、「子ども」と決めている訳ではないそうだ。NHKはたちが悪い。稲葉延雄会長、「子ども」ガキども表記を一掃されたい。会長NHKの番組見てますか?聴取料不払いの理由にしましょう。偏向テレビなのだから。(2024・1・9) ★小学校の教科書からまぜがきをなくそう   も参考にして考えてください。 目次 ●まんが「子供いじめ」 ●よくある質問 ●文藝家協会提言案 日本共産党中央委員会よりの回答とそれへの反論 子ども表記問題とは? (初めての方はここを) 「子ども教の信者は目

                    • 国家 (対話篇) - Wikipedia

                      『国家』(こっか、古希: Πολιτεία、ポリテイア、羅: Politia / Res publica / Civitas、英: Republic)は、古代ギリシアの哲学者プラトンの中期対話篇であり、主著の1つ。副題は「正義[1]について」。 題名[編集] 原題の「ポリテイア」とは、「国制/政体」の意味であり[2]、これは「国家(ポリス)のみならず、個人(アネール, ἀνήρ)の魂(プシュケー)の中にも、類比的に「国制/政体(ポリテイア)」の様なものが存在しており、その種類はどちらも大まかには、1つの「善い(正しい)国制/政体」と、4つの「悪い(不正な)国制/政体」に分けられる」(すなわち、個人の「修身」と、国家の「治国」には、「国制/政体(ポリテイア)」のごとき共通性がある(そして互いに連関・連動している))とする、本編の主内容に因んだものである。 ラテン語の訳名には、この原題を直訳し

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