核共有(シェアリング)を情緒的な半核武装論として議論するのは日本の抑止力を低下させる(後ほど理由を述べる)。核共有の実態は核兵器という戦力共有と、意思決定の共有、そこから新たに生じる安全/危険の共有と責任の共有からなる。これが日本の抑止力を高めるかは精緻な理解が必要だ。(続く)
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2022年5月1日に亡くなった国際政治学者の中山俊宏さん。その人柄と魅力を神保謙さんが綴ります。 (『中央公論』2022年8月号より転載) ロシアのウクライナ侵攻から2ヵ月が経過したころ、新聞や報道番組では中堅世代の欧州と米欧関係の外交・安全保障専門家が一世を風靡していた。言論界の世代交代を象徴するような現象の中心に位置していた一人が、慶應義塾大学教授で同僚の中山俊宏さんだった。 米バイデン政権が、国内政治と社会の深い分断に直面しつつ、ウクライナ危機にどう向き合うか苦悩を重ねながらも、「直接的武力介入以外のことは全てやろうとしている」と、その積極性を強調していたことが印象に残っている。そこには米国政治の専門家としての矜持とともに、日本社会の米国理解を深めるべきとの信念があったように思う。 新緑が鮮やかになりつつあった日の午後に、虚を衝かれるように中山さんがくも膜下出血で倒れ、病院に搬送され
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