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西田修平 陸上の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • オリンピック〜友情のメダル - あなたのお誕生日によせて

    10月24日(火) 東日本大震災から6年7か月。熊本地震から1年半。 鳥取や福島沖地震など災害を忘れずに祈ります。 九州の豪雨、台風21号による被害心が痛みます。 支えられますように。 『今日の自己ベストを大切に。』 1936年8月の出来事。 ドイツのベルリンで開かれた第11回オリンピック。 陸上の棒高跳びで、5名の選手が決勝に進んだ。 世界記録者のグレーバー・ 名人と呼ばれるメドウス・ 体格の良いセフトン・ 日本の西田修平氏(1910年〜1997年) 大江季雄(すえお)氏(1914年〜1941年) 決勝の日は、あいにく雨だった。 バーの高さは4メートル25センチに。 1回でクリアしたのは、セフトンと西田修平氏。 西田修平氏はこの時、大江季雄氏に 「助走のスピードを落とすな!」とアドバイスした。 2回目でクリアしたのが、メドウスと大江大江季雄氏。 グレーバーは雨で足を滑らせたようで失敗、

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    • オリンピア (映画) - Wikipedia

      『オリンピア』(Olympia) は、1938年にドイツで製作された二部作からなる1936年ベルリンオリンピックの記録映画。監督はレニ・リーフェンシュタール。日本では開会式から男子マラソンまでの21種目、9日間の記録である [1]『民族の祭典』および陸上競技以外の17種目から16日の閉会式までの記録である[1]『美の祭典』として公開された。 概要[編集] レニ・リーフェンシュタールはナチスの党大会の記録映画『意志の勝利』を監督した、アドルフ・ヒトラーのお気に入りの監督であり、映画撮影は基本的にナチスの全面的な協力のもとで行われた(宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルスとは撮影をめぐり何度も対立したという)。映画にはナチスの嫌う有色人種も数多く登場する。 1年半の編集期間を経て1938年に公開された本作は、映像美と斬新さが世界中から絶賛を受け、ヴェネツィア国際映画祭で最高賞(ムッソリーニ杯)を獲得。日

      • オリンピックの歴史 陸上競技で日本はメダルを何個取ったのか? - 駅伝の虎!!

        オリンピックが開幕しました!陸上競技は8月12日からとなりますが、始まる前に日本は過去のオリンピックで、どれだけのメダルを獲得しているのか少し調べてみました。 男子 【フルマラソン】 1936年ベルリン 金メダル 孫基禎 銅メダル 南昇竜 1964年東京 銅メダル 円谷幸吉 1968年メキシコシティ 銀メダル 君原健二 1992年バルセロナ 銀メダル 森下広一 【4×100mリレー】 2008年北京 銅メダル 塚原直貴 末続慎吾 高平慎士 朝原宣治 【棒高跳び】 1932年ロサンゼルス 銀メダル 西田修平 1936年ベルリン 銀メダル 西田修平 銅メダル 大江季雄 【走り幅跳び】 1932年ロサンゼルス 銅メダル 南部忠平 1936年ベルリン 銅メダル 田島直人 【三段跳び】 1928年アムステルダム 金メダル 織田幹雄 1932年ロサンゼルス 金メダル 南部忠平 銅メダル 大島鎌吉 19

          オリンピックの歴史 陸上競技で日本はメダルを何個取ったのか? - 駅伝の虎!!
        • レニ・リーフェンシュタール 「美」だけを見ていたナルシシスト - オリンピック・パラリンピック 歴史を支えた人びと - スポーツ 歴史の検証 - 知る学ぶ

          初の本格的長編オリンピック公式記録映画は、ドイツのレニ・リーフェンシュタールが監督を務めた1936年ベルリン大会の『オリンピア』であった。この映画は陸上競技や開会式を記録した『民族の祭典』と、競泳、飛び込み、体操をはじめとする陸上以外の競技をまとめた『美の祭典』の2部構成となっている。日本選手では、三段跳び金メダリストの田島直人、棒高跳び2位と3位の西田修平と大江季雄、陸上5000m、10000mともに4位の村社講平などが登場している。 この1936年ベルリン大会は「ヒトラーのオリンピック」といわれるように、ナチスのプロパガンダ及び国威発揚の場と位置づけられた。10万人が収容できる大規模なスタジアムを建設し、盛大に行われた大会である。人種差別政策を採っていたナチスが、国際オリンピック委員会(IOC)の強い要求により、このときばかりは政策の執行を凍結したため、アメリカの黒人選手ジェシー・オー

            レニ・リーフェンシュタール 「美」だけを見ていたナルシシスト - オリンピック・パラリンピック 歴史を支えた人びと - スポーツ 歴史の検証 - 知る学ぶ
          • 4月13日は花キューピットの日、浄水器の日、喫茶店の日、十三参り、水産デー、決闘の日、新型インフルエンザ対策の日、恵美子の日、ブルダック炒め麺の日 &毎月13日は登山の日、お父さんの日、一汁三菜の日等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

            4月13日は何の日? その日の出来事は? 2023年(令和5年) 4月13日は花キューピットの日、浄水器の日、喫茶店の日、十三参り、水産デー、決闘の日、新型インフルエンザ対策の日、恵美子の日、ブルダック炒め麺の日 &毎月13日は登山の日、お父さんの日、一汁三菜の日等の日です。 ●花キューピットの日 花のある生活の普及拡大を目指す一般社団法人JFTDが制定。同団体が展開する「花キューピット」は、全国どこからでも届け先近くの加盟店を通じて新鮮な花を贈ることができるサービス。「手軽に花を贈る」ことを世の中に広め、全国の加盟店による「手作り・手渡し」の花贈り文化を創造してきた。2023年で1953年のサービス開始から70年、これまで以上に「花を贈る」ことで癒しや感動があふれる社会を目指す。日付は前身の「日本生花商通信配達協会(JFTD)」の設立日(1953年4月13日)から、4月13日を記念日とし

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            • 織田幹雄 - Wikipedia

              織田 幹雄(おだ みきお、1905年(明治38年)3月30日 - 1998年(平成10年)12月2日)は、日本の陸上選手、指導者。広島県安芸郡海田町出身。1928年アムステルダムオリンピック三段跳金メダリスト[1][2][3]。 人物[編集] 映像外部リンク 「日本人初のオリンピック金メダリスト」であり、アジア人初のオリンピック金メダリストでもある[5][6][7]。織田の金メダルにより、日本陸上は一躍世界の第一線に躍り出たと言われる[8][9]。当時英語で「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」(現在はトリプルジャンプ)と呼ばれた競技名を「三段跳」と訳した[4][10][11][12]。早稲田大学時代に競技会のプログラムを作る際、織田が「三段跳」と訳した[13]。三段跳では、織田(1928年五輪)・南部忠平(1932年五輪)・田島直人(1936年五輪)と3大会連続で金メダルを獲得したことか

                織田幹雄 - Wikipedia
              • 7月23日は祇園祭あばれ観音、日本歴代最高気温の日、天ぷらの日、鮮度保持の日、菜摘の日、文月ふみの日、米騒動の日、カシスの日、大暑、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

                おこしやす♪~ 7月23日は何の日? その時そして今日何してた? 2023年(令和5年) 7月23日は祇園祭あばれ観音、日本歴代最高気温の日、天ぷらの日、鮮度保持の日、菜摘の日、文月ふみの日、米騒動の日、カシスの日、大暑、等の日です。 ■祇園祭あばれ観音 www.youtube.com 祇園祭あばれ観音は例年7月23日に行われています。あばれ観音は晴天を祈願する祇園祭後祭の日和神楽(ひよりかぐら)が終わった直後に行われます。あばれ観音では楊柳観音像を台座(御輿)に布で縛り付け、激しく揺すりながら町内を3周走り回ります。 祇園祭南観音山あばれ観音(あばれかんのん)は祇園囃子(ぎおんばやし・コンチキチン)を奏でながら御旅所(おたびしょ)に行き、囃子を奉納して晴天を祈願する祇園祭日和神楽(ひよりかぐら)が終わった直後に行われます。 あばれ観音ではご神体・楊柳観音(ようりゅうかんのん)像を台座(御

                  7月23日は祇園祭あばれ観音、日本歴代最高気温の日、天ぷらの日、鮮度保持の日、菜摘の日、文月ふみの日、米騒動の日、カシスの日、大暑、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
                • 室伏の繰り上げ3位確実に 北京五輪男子ハンマー投げ - MSN産経ニュース

                  国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長は30日、北京五輪陸上男子ハンマー投げで筋肉増強剤に陽性反応を示したベラルーシ2選手の処分について「分析結果で(違反は)議論の余地がない」と述べ、両選手の失格が確実であるとの見解を示した。当初5位の室伏広治(34)=ミズノ=が銅メダルに繰り上がるのは時間の問題となった。 同会長は、IOC規律委員会が禁止薬物の入手経路にも調査を広げていることを明らかにし「選手たちがどうやって薬を手に入れ、誰が手助けしたかを調べている。バッハ規律委員長からもう少し時間がほしいと要請された」と述べた。 室伏は4年前のアテネ五輪でも1位選手のドーピング違反で金メダルを獲得した。日本陸上選手の五輪2大会連続メダルは男子棒高跳びの西田修平、女子マラソンの有森裕子に次いで3人目となる。(共同)

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