かつて天皇が移動する際に馬に乗って随行した「東豎子(あずまわらわ)」は男装の女官。平安から鎌倉にかけて存在した役職と考えられていたが、江戸時代後期の絵巻物「寛政御遷幸図巻(かんせいごせんこうずかん)」に描かれていることが、所蔵する三重県立斎宮歴史博物館の調査で判明した。史料が少なく謎多き異装の馬上少女は、寛政の「リボンの騎士」か、18世紀のタカラジェンヌか。同図巻は、8月18日まで同博物館で公開されている。【尾崎稔裕】 東豎子は、女官だけで構成される当時の役所、内侍司(ないしのつかさ)に所属して、天皇の身の回りの世話を担当する少女の女官。当時の行列は本来は女人禁制だった。だが、天皇の履き物を管理する女官を除外するわけにはいかないため、男装をさせたとされるが、詳細な史料が確認されていないという。