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追悼の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 「目を真っ赤にして机に」 京アニ放火事件から5年 | NHK

    5年前の7月18日、京都市伏見区にあった「京都アニメーション」の第1スタジオが放火され、社員36人が亡くなり、32人が重軽傷を負いました。 事件から18日で5年となり、現場となったスタジオ跡地では、亡くなった社員の遺族や京都アニメーションの八田英明社長など会社関係者およそ140人が出席して追悼式が開かれました。 追悼式は事件が起きた時刻の午前10時半すぎから始まり、はじめに全員で1分間の黙とうを行いました。 このあと追悼の文字があしらわれた祭壇の前に会社の従業員が立ち「悲しみは変わらず胸のうちにあり、時間によって傷が癒えることがなくとも、作品を作り続ける限り、作品に込められたおもいや志もまた、未来へ届き続けるのだと信じています」と弔辞を読み上げました。 そして、八田社長が「36人の仲間は当社を代表する、日本を代表するクリエーターでした。今後もみんながのこしてくれた志を胸に、作品をつくり続け

      「目を真っ赤にして机に」 京アニ放火事件から5年 | NHK
    • スティーヴ・アルビニが密かに私の世界を変えた理由 | ele-king

      自分でも気付かぬうちに、スティーヴ・アルビニは私の人生を変えていた。彼の特定の作品との出会いによって啓示を受け、人生の中にそれ以前と以後という明確な境界線が引かれたということでは全くない。それよりも彼の影響は、私の育った音楽世界の土壌に染み込んでそれを肥沃にしたものであり、そうとは知らない私が無意識に歩き回った風景そのものだったのだ。ようやく獲得し得た視野と意識によって振り返ってみると、私が通ってきた世界のすべてに彼の手が及んでいたことを思い知らされる。 世代的なことも関係している。1962年生まれのアルビニは、ちょうど1980年代にジェネレーションXが成人し始めた頃の音楽シーンで地位を確立し、彼の音楽とアティチュードはその世代の心に響く多くの特徴を体現していたのだ。 彼の作品は挑戦的で、パンクが退屈さに怒りをぶつける方法をさらに推し進めたものだった。彼自身の初期のビッグ・ブラックやそれ以

        スティーヴ・アルビニが密かに私の世界を変えた理由 | ele-king
      • 連載The future belongs to analogue loyalistsスティーヴ・アルビニに捧げるメモワールVol.2 | TURN

        連載 The future belongs to analogue loyalists スティーヴ・アルビニに捧げるメモワール Vol.2 翌1992年の2月19日、僕は東京《中野サンプラザ》の前に立っていた。その日はニルヴァーナの来日公演だったのだが、ライヴを観るためではなく、スティーヴ・アルビニ来日公演のチラシを撒くためにである。その時、誰とチラシを配ったのか記憶が定かではないのだが、ライヴは観ずに終演時間の頃合いを見計らって、ゾロゾロと中野サンプラザから出てくるお客さん相手に、チラシを一枚一枚配ったのを憶えている。コンサートを見た知り合いに会うと、「アンコールが“Smells Like Teen Spirit”でしたよ」「え? そうなんや」なんて会話をしたりしていた。 翌3月にスティーヴは初めて日本にやってきた。恐らく前年のスティーヴとZENI GEVAの初邂逅以降に計画されていたの

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