1985年(昭和60年)2月27日午後5時半ごろ、田中角栄が東京・目白台の私邸で倒れた。この日、ゴルフの予定を取りやめ、「調子が悪い・・・」と昼寝をしていた。夕方になって寝床から出ようとしたが身体が動かず、よろよろして立ち上がれない――。 田中がウイスキーの飲み過ぎで脳梗塞となり、政治生命を失ったことはよく知られている。「運命の日」となった2月27日の様子は、元秘書の手記、田中に近い政治家の回顧録、政治記者の著作など多くの記録から詳細が明らかになっているが、「飲み過ぎで倒れた」ことはほぼ間違いない。 竹下登が、梶山静六や小沢一郎とともに「創政会」を発足させたのが20日前の2月7日で、この前後から田中は連日連夜、怒りに任せて朝から晩まで酒をあおり続けた。創政会旗揚げに対する田中の怒りは、いくら飲んでも静まることなく、ついに政治的な死に至るのである。 この出来事から、田中は「酒で寿命を縮めた」