以前よりお知らせしました通り、2016年6月29日をもちまして、Actiblogブログサービスの提供を終了させていただきました。 長い間、Actiblogをご愛顧いただき、誠にありがとうございました。
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ROCKアルバムのオープニングを飾る一曲目の名曲を集めてみたコラム! 日本と洋楽のアルバムの違いを知ってるか、と先輩からドヤ顔で受け継がれてた豆知識がある。 世界のROCKアルバムは1,2曲目にキラーチューンを持ってくるのだ。 必ず地元か学校の音楽に詳しい先輩がドヤ顔で教えてくれて、それをすぐ下の奴にひけらかす。 だからロックは洋楽は凄えんだ、と何も根拠も考えずに言いふらしていた。 ホントは色んな理由がある。 アルバムの出し方やシングルの出し方が日本とは違ったり、星の数ほどのアルバムがある中、実に合理的なトラックリストになっていったというわけだ。 確かにだ、余程知ってる曲が無けりゃトラック1から聞くだろう。 そのアルバムのオープナーに相応しい印象的な1曲目に過去沢山出会ってきたのだ。 そのままタイトルトラック、又はそれに準ずるキラーチューンだったり。 コンセプチャルな作品の場合、ストーリー
ROCKアルバムのオープニングを飾る一曲目の名曲を集めてみたコラムその②! 日本と洋楽のアルバムの違いを知ってるか、と先輩からドヤ顔で受け継がれてた豆知識がある。 世界のROCKアルバムは1,2曲目にキラーチューンを持ってくるのだ。 確かにだ、余程知ってる曲が無けりゃトラック1から聞くだろう。 まさしくそのアルバムのバンドの名刺がわりの一発。 今回はそんなアルバムの強烈な一曲目、リフの1音目から世界感たっぷりのスーパーなオープナー達を集めてみましたのその②。 デジタルにどっからでも聞く事が出来て、CDショップでアルバムを買う事が無くなってきた昨今、今こそ想いを馳せたいオープニングトラックの重要性。 CDショップの店頭の試聴機を聞いてる心持ちで聞いて頂けると幸い。 それでは行きます。 ROCKアルバムのオープニングを飾る一曲目の名曲を集めてみたコラムその②! その①はコチラ! 1.All T
日本のシティポップを愛するアメリカ西海岸のシンガーソングライター、ジンジャー・ルート特集(高橋芳朗の音楽コラム) 高橋芳朗:本日はこんなテーマでお届けいたします! 「ただいま来日中! 日本のシティポップを愛するアメリカ西海岸のシンガーソングライター、ジンジャー・ルート特集」。本日は現在初のジャパンツアーのため来日中のジンジャー・ルートを紹介したいと思います。 ジンジャー・ルートはカリフォルニアに拠点を置く中国系アメリカ人の26歳、キャメロン・ルーによるソロプロジェクト。本格的な音楽活動は2017年から行なっていますが、2021年ごろから80年代の日本のシティポップのエッセンスを取り入れたサウンドで注目を集めるようになりました。今回のジャパンツアーはおとといの大阪、昨日の名古屋、そして今日明日の東京、すべてソールドアウトの人気ぶりです。 では、まずはジンジャー・ルートのブレイクのきっかけにな
あいのりメンバー主催の出会いイベント『LOVEBEAT』芦沢教授/あしざわきょうじゅ/芸人から一念発起で若者トレンド評論家に。様々な時代背景から見る流行やトレンドを研究している第一人者。渋谷文化やパラパラを語らせたら教授の右に出る者はいない!好評なクラブナンパ事情対談、第5弾!後編も友達のお笑い芸人...続きを読む
音楽史は、基本的に音楽そのものから考えるべきである。 他の分野にまたがる膨大な資料を詳細に調査することも意味がないとは言えないが、その資料から真実を見いだすのは容易ではなく、音楽史に関する研究書・書物の一部は事実の混乱した羅列に終わっているようにも思える。 ロマン派を理解するキーワードは「芸術至上主義」の一言で足りるだろう。 1.芸術至上主義がもたらしたもの ハイドンは、その迷いのない音楽構築性によって、本来ならば古典派形成の功績が讚えられるべき前古典派の作曲家たちの作品を表舞台から駆逐してしまった。そして、そこから真の古典派音楽界が広がろうとした時、モーツァルトが誰にも真似のできないような完成度の作品を書いて、他の作曲家によるハイドン的古典派発展の芽はなくなってしまった。そこへ、間、髪(かん、はつ)を入れず現れたベートーヴェンは形こそハイドン的な部分を持っていたが、彼はそれまで誰も考えた
若い頃に読んだ江戸時代の国学者か誰かの評伝に「幼少期より漢文を習い・・」というようなくだりがあった。おそらく当人はちんぷんかんぷんだったことだろう。 私は高校時代から「漢文」という独立した授業があった。高校生くらいになれば漢文もよく分かるだろうという、文部科学省のありがたい配慮(むしろ逆配慮か?)によって漢文のテストには問題なく解答できるようになったが、漢文に親しむまでは至らなかった(今でもいくつかの漢詩は暗唱できるので、無理やり)。 手元に世田谷区教育委員会が編纂した小学生用の教科書「日本語」(低学年、中学年、高学年用の3分冊)があるのだが、これが実に素晴らしい。 和歌、俳句から漢文、日本の詩、西洋の翻訳詩、能、狂言、歌舞伎まで、相手が小学生だなんて関係ないというような内容。もちろん、やさしく語りかけてくれているが、言葉の問題では解決しないことばかりだ。 世田谷区教育委員会の英断には敬意
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