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高橋竹山の検索結果1 - 14 件 / 14件

  • 津軽三味線 高橋竹山さんと 釣り師  その4 釣り - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    長々このお話の続くところで最終回と成って参るのです。 竹山さんは演奏される時意外は少なくとも我々には普通のいいお爺ちゃんだった。 関係者も数度お会いしたり送迎するうちに打ち解けて、相変わらず青森の方言は理解不能だったが、分からないなりに会話が成立していたのは不思議な事だった。 最後の公演の頃は「爺ちゃん」と呼ぶのが大半で「竹山さん」と言うのはわずかだったように思う。 「爺ちゃんチョコレート食べる?」と聞くのが有って、返事を待たずして「もうえっとないわ、弟子に買をてもらい」などと子供じみた振る舞いをする奴まで出る始末、これは幾らなんでも年寄りがかわいそうだ。 幾度目の時であったか、公演が終了して翌日駅のホームに見送りに参ります。 電車に乗り込んで帰られる、主催者はここで腑抜けに成ります。一切のわずらわしさから無罪放免、開放されるからです。 そんな見送りの時であった、20人ばかりでホームにたむ

      津軽三味線 高橋竹山さんと 釣り師  その4 釣り - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺
    • 津軽三味線 高橋竹山さんと 釣り師 その2 恐怖 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

      竹山さんと直接合って話をしたのは数ヶ月後の事と成って参ります。 話をしたといいましても竹山さんとはほんの挨拶程度の事、なんせ敵は難解な外国語を操り押し付けて参る青森の人ということで御座います。 てんで話に成らないとはこのことで御座います。何しろ通訳が要るのですから。 お話なんてえものは片方がわかっても片方がからっきし分からないなんざぁ、一方通行の行き止まり出口の無い糞詰まり、行きようが御座いません。 広島から帰って数日、それはあの感動をどう処理するか粗忽者は考える事です。どうも数日余韻が抜けぬのです。 数日の後、粗忽者は意を決して参ります。どう意を決したかと申しますと、そこは粗忽者の気軽さ身軽さということになってまいりまして、「よし!福山にも来て貰おう」と言う事で御座います。 あれこれ手引きをしてもらう事で姫路の公演で合うことに。 なぁにどうなるか分からぬところだがどうにか成るわい、「庄屋

        津軽三味線 高橋竹山さんと 釣り師 その2 恐怖 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺
      • 津軽三味線 高橋竹山さんと  釣り師   その1  出合い - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

        思い込みというのはどちら様にもある事で御座いまして、大概が現実と大層違う事となって驚いてまいります。 これとよく似たものが勘違いというのもあるところで、こちらは粗忽者が事を急ぐあまり早々と、何の裏づけも無いところで思い込んだりいたしますものですから、大層恥などかいてまいります。 先代の高橋竹山さんとの出会いは35年ばかり前のことでございまして、釣りなどを始めて面白くていけません、そんなところに広島で高橋竹山さんの演奏会があるから渡世の義理で付き合えなどと、かなり人の弱いところを突くお誘いを受けるところです。 覚え始めの釣りはそれはおもしろう御座いました、そりゃああなた目の前に得体の知れぬものが現れて、釣れるもんなら釣ってみろなどと挑発するのですからたまりません。 「世を捨ててこの課題に挑みかかるか」とは、若い粗忽者にとって決心するのに時間は掛かるものではありません。 津軽三味線というではな

          津軽三味線 高橋竹山さんと  釣り師   その1  出合い - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺
        • 津軽三味線 高橋竹山さんと 釣り師  その3 神戸地震 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

          福山に竹山さんをお迎えしたのは都合四度のことだった。 最初はいかんせん右も左も、その上前後も分からぬ無謀な企て、あちこち綻ぶところで 冷や汗をかいてまいります。 このような催しは一人の手では運営が無理なところ、知り合いなど70人ばかりを関係者として運営に当たってもらいます。 なあに打ち上げで不足の無いよう一服盛るのですからよく動くのです。 「飲み足りん、食い足りんが有ったら返さない」が合言葉ですから、不足の出る幕など隙間のない事です。 公演を数度繰り返しますと同じ関係者ばかりですから、目を瞑ったところで事は運んで参ります。 当初は「三味線・・ださい」などとほざいた若い衆も最初の公演が終わると早速CDを買いあさる手のひら返しの術を使うのですから、見かけで決め付ける怖さを味わう事と成って参ります。 主催すると言うのは因果な商売で、公演が始まるまでは不測の事態を空心配いたすもので、一週間前辺りか

            津軽三味線 高橋竹山さんと 釣り師  その3 神戸地震 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺
          • 津軽三味線組曲 by 高橋竹山

            高橋竹山。 昭和48年4月21日、雲谷・山吹荘にて録音。 LPからの復刻リマスター(xrcd2)からの音源です。

              津軽三味線組曲 by 高橋竹山
            • 三味線じょんから(新節)/(初代)高橋 竹山 Samisen-jyonkara / Takahasi Tikuzan Ⅰ

              録音 1973年12月11日~12日 場所 東京渋谷ジャンジャン &fmt=18 → ステレオ

              • YouTube - 【盲目の津軽三味線演奏家】 高橋竹山

                http://hokutoki.dtiblog.com/ ↑のブログで格闘技動画の紹介や個人的な日誌を書いています。

                • 高橋竹山 オフィシャルウェブサイト Takahashi Chikuzan Official WebSite

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                  • 【音楽】 高橋竹山 - “津軽じょんがら節”(「津軽三味線」より) - 「言葉こそ人生」読むだけ元気お届け人の"今ここを生きる心"の裏側

                    寒い夜に高橋竹山の三味線を聴くと、極寒の吹雪の中に居るような気持ちになるんです。 ブルースギターを聴くように、心に染み渡るんですよね。 嘉手苅林昌の三線もよく似た感覚はあるんですが、音色は全く違う。 imakokowoikiru.hatenablog.com 自然の厳しさ、優しさ、偉大さ、畏れを3本の弦で表現しようとすると、どうしても似てしまうのかも知れません。 高橋竹山に聴く ―津軽から世界へ(新版) CD付き 作者:佐藤貞樹 津軽書房 Amazon 津軽三味線 高橋竹山の世界 アーティスト:高橋 竹山 (株)ソニー・ミュージックダイレクト Amazon imakokowoikiru.hatenablog.com ↓応援クリックして頂けると励みになります。ありがとうございます。↓ にほんブログ村 ↓はてなIDがなくても拍手して頂けます!コメントもOKです。↓

                      【音楽】 高橋竹山 - “津軽じょんがら節”(「津軽三味線」より) - 「言葉こそ人生」読むだけ元気お届け人の"今ここを生きる心"の裏側
                    • YouTube - 最後の舞台〜津軽三味線・高橋竹山の挑戦1

                      I wish I could understand Japanese so I could hear what Mr. Chikuzan was saying. Luckily music is universal! Thank you for posting this video so we could, not only hear his mastery, but see him play as well. It's a beautiful thing! :)

                      • 「1973 - 高橋竹山 - 津軽三味線」(Takahashi Chikuzan/Tsugaru Shamisen) -FULL ALBUM- - YouTube

                        enjoy the beauty-folk music of Japan. (00:00) 01. 津軽三味線組曲 [Tsugaru-Shamisen Suits] (04:46) 02. 津軽じょんから節 [Tsugaru jonkara bushi] (07:32) 03. 津軽じょんがら節(中節) [Tsugaru jonkara bushi(secondary)] (11:19) 04. 新津軽じょんがら節 [Tsugaru jonkara bushi] (14:46) 05. 弥三郎節 [Yasaburo bushi] (17:45) 06. 津軽三下り [Tsugaru sansagari] (20:50) 07. 津軽音頭 [Tsugaru onto] (23:55) 08. 津軽よされ節(旧節) [Tsugaru yosare bushi(Original)] (27

                          「1973 - 高橋竹山 - 津軽三味線」(Takahashi Chikuzan/Tsugaru Shamisen) -FULL ALBUM- - YouTube
                        • 高橋竹山 - BLOG

                          高橋竹山。この人物を今まで知らなかったことを僕は悔やんでいる。 彼の演奏を初めて聴いた。そのときに体に走ったものが何か分からない。悪寒のような鳥肌のような。何かこう、ぞくっとするものを感じた。聴いてみると感じると思う。音の起伏を。決して平坦になることはない。何かしらの波が立っている。それは美しくもあるし、荒々しくもある。まるで海のようだ。嵐の時もあるし、静寂な時もある。 しかし、音自体が平坦になることは決してない。だが、そこには音のある静寂。そのようなものがある気がする。このようなことを感じたのは初めてだ。 www.youtube.com 三味線を小学生の時に習っていたことがある。今思うと、その素晴らしさを感じることができる。ギターよりも弦の本数は少ないにも関わらず、三味線は心に直に訴えてくるような音を奏でる。奥ゆかしさ、というべきだろうか。 その上(三味線を演奏したことがあるという点から

                            高橋竹山 - BLOG
                          • 高橋竹山 - Wikipedia

                            初代高橋 竹山(たかはし ちくざん、1910年6月18日 - 1998年2月5日)は津軽三味線の名人。本名高橋定蔵。一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者である。演歌歌手北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』のモデル。 人物・生涯[編集] 青森県東津軽郡中平内村(現在の平内町)小湊生まれ。 3歳の時に麻疹をこじらせて半失明する。その後近所のボサマ(盲目の門付芸人)であった戸田重次郎から三味線と唄を習い、17歳頃から東北北部・北海道を門付けしたという。 1933年3月2日に三味線引きの仕事で三陸海岸にある玉川の旅館に宿泊中、夜半過ぎに強い地震に遭った。これが昭和三陸地震と呼ばれる地震で宿泊していた宿は津波に襲われて全壊。高橋は地震が収まったあと宿から避難し津波の来る直前に命からがら宿の裏にある山へ避難することができた。 1938年、イタコをしていたナヨと結婚。 太平洋戦争の激化で三味線

                            • 二代目高橋竹山 official website

                              トピックス 初代竹山 没後十年特別公演2008年10月7日〜8日 ドラマリーディング「高橋竹山 津軽三味線ひとり旅」  * 10月7日 開場13:30 開演14:00 / 開場18:00 開演18:30 10月8日 開場13:30 開演14:00 / 開場18:00 開演18:30 * チケット S席 6,000円 A席 5,000円(全席指定) 残席わずかとなりした。お申し込みはお早めに! 紀尾井ホールチケットセンター 03-3237-0061(10〜18時 日・祝休) 紀尾井小ホール(紀尾井ホール5階) ホームページ チラシ

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