ブックマーク / blog.tatsuru.com (7)

  • 特殊な能力について - 内田樹の研究室

    京大の仏文の吉川一義先生にお招きいただいて、京大で講演をする。 吉川先生は東京都立大時代の同僚である。 同僚といっても、こちらは「お茶くみ、コピー取り」の助手であり、先生はプルースト研究者としてすでに一家をなしていたわけで、同列には論じがたいのであるが、まことにフレンドリーな先輩で、ご一緒したのは先生が東京女子大から赴任され、私が神戸女学院大学に去るまでの、二年間だけだったが、たいへん愉快な時間をともに過ごさせていただいた。 先生はフランス文学研究者としては例外的に「社会的常識のある方」である(という書き方をして仏文学者二千人をいきなり怒らせるというあたりに私の「社会的常識のなさ」は露呈しているので、そんな人間から「社会的常識のある方」と言われても「ウチダさんのその判断の蓋然性は誰が担保するのさ」と吉川先生は曇った顔をされるであろうが)。 世界的なレベルの学者でありながら、温厚で配慮の行き

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    qp365 2011/01/20
  • 才能の枯渇について - 内田樹の研究室

    クリエイティヴ・ライティングの今年最後の授業で、「才能」について考える。 天賦の才能というものがある。 自己努力の成果として獲得した知識や技術とは違う、「なんだか知らないけれど、できちゃうこと」が人間にはある。 「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。 外部からの贈り物である。 私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。 才能は「贈り物」である。 外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。 それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。 どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。 私はそのように考えている。 才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。 私がこれまで見聞きしてきた限りのこ

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    qp365 2010/12/27
  • 就活に喝 - 内田樹の研究室

    ゼミに行くと欠席が9名。 ほとんどの四年生は最終学年はゼミしか授業がないはずであるので、ゼミに来ないということは、フルタイムで就活に走り回っている、ということである。 気の毒である。 だが、浮き足立ってことをなして成功するということはあまりない。 大事に臨んでは、まずゆっくり腰を据えて、お茶漬けなどべるというのが日古来の風儀である。 ゼミを休むほどに浮き足立ってはろくな結果にならない。 それに、私に「ろくな結果にならない」というようなことを言わせてはいけない。 私の言葉はたいへん遂行性が強いからである。 私が「そんなことをすると、ろくな結果にならない」とうっかり口走ってしまうと、それはきわめて高い確率で現実化するのである。 だから、君たちがわが身の安全をほんとうに案ずるなら、私を怒らせてはいけない。 ご存じのように、私は学生に対して威圧的になったり、がみがみやかましく叱ったりすることが

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    qp365 2010/04/14
  • 死ぬ言葉 - 内田樹の研究室

    入学式。 私にとっては、「最後の入学式」である。 讃美歌412番を歌うのも、学長院長の「お祝いのことば」を聴くのも、これが最後である。 4月5日。あと360日。 朝起きるたびにカウントダウンの針が進んでゆく。 今年経験することはすべて「大学最後の経験」である。 そうやって見まわすと、目に映るすべてのものが儚く、移ろいやすく、いとおしいものに思えてくる。 邦の古人はこの感懐を好んだようである。 「美的生活」というのは別に書画骨董を愛玩したり、歌仙を巻いたり、文人墨客と賺した話をすることではない。 そうではなくて、「目の前にあるこれは、いずれ消え去って、あとをとどめない」という人事万象の「無常」を、その「先取された死」を「込み」で、ご飯をべたり、働いたり、遊んだり、つくったり、こわしたり、愛したり、憎んだり、欲望したり、諦めたりすることではないかと私は思う。 なぜ、「生け花」と「プラスチッ

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    qp365 2010/04/07
  • 井上雄彦最後のマンガ展 - 内田樹の研究室

    天保山のサントリーミュージアムに井上雄彦「最後のマンガ展・重版・大阪編」を見に行く。 三回目。今日が最終日。 上野、熊、天保山と回って、次の仙台で終わり。 家から車で天保山までは20分。海岸線に沿って阪神高速を走るとすぐ。大学より近い。 でも駐車場はいっぱい(当然ですね)。はるか突堤の先の方のパーキングスペースにかろうじて停める。駐車している車のナンバーを見ると名古屋や岐阜や岡山からも来ている。 絵を見る環境を整えるために、1日あたりの入館者を2600人に制限しているので、14時に着いたときはもう日のチケットはソールドアウト(当然ですね)。 小学館の川口さん(『街場のマンガ論』の担当編集者で、高校の先輩クスミさんの姪御さん。もちろんヘビー・リーダーである)と講談社の加藤さんがごいっしょ。 チケットは手配済みだったので、無事入館して、展示を拝見。 それから別室にて井上雄彦さんとお会いする

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    qp365 2010/03/15
  • 残留率と楽観主義 - 内田樹の研究室

    入試業務で毎日出校。 入試部長というのが、これほど打ち合わせと会議の多い仕事だとは思わなかった。 これがあと一年続くと思うとうんざりするが、これもあと一年で終わると思うと気持ちが軽くなる。 ものが考えようである。 つねづね申し上げている通り、なんでも「カウントダウン」にするというのが私の年来の流儀である。 カウントダウンすると、どうでもいいような日々のできごとが「かけがえのないもの」に思えてくるからである。 これでおしまい、二度とないと思うと、わずか10分で終わるセンター利用入試の合否判定教授会のために土曜日に稽古を休んで出校するのもまた楽しからずや(負け惜しみ)。 これまでのところ学の今年度入試の出願状況は堅調である。 周辺校が軒並み60−80%台で前年比割れをしているなかで、前年比99.7%というのは、たいへんよい数字である。 今年どこの大学も志願者を減らしたのは、不況のせいである。

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    qp365 2010/02/10
  • そんなことを訊かれても - 内田樹の研究室

    仕事始めに取材がふたつ。 太田出版の『atプラス』という雑誌と、『週刊プレイボーイ』。 媒体は違うが、たぶんどちらも対象としている読者の世代は同じくらい。 20代後半から30代、いわゆる「ロスジェネ」世代とそれよりちょと下のみなさんである。 生きる方向が見えないで困惑している若い諸君に指南力のあるメッセージを、というご依頼である。 『atプラス』の方はかなり学術的な媒体なので、「交換経済から贈与経済へ」という大ネタでお話しをする。 「クレヴァーな交換者から、ファンタスティックな贈与者へ」という自己形成モデルのおおきなシフトが始まっているという大嘘をつく。 もちろん、そのようなシフトは局所的には始まっている。 けれども、まだまだ顕微鏡的レベルの現象である。 それを「趨勢」たらしめるためには、「これがトレンディでっせ」という予言的な法螺を吹かねばならぬのである。 めんどうだが、そういう仕事を電

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    qp365 2010/01/09
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