三番煎じになるのだが、 選挙カー。 午前8時〜午後8時だそうじゃないか。 普通に夜八時過ぎてやってたよ。 公職選挙法違反ですか、そうですか。 J-POPはもっと評価されるべきっていうか、評価されてると思うんだよね。 まあオレみたいなJ-POPしか聴かない奴のたわごとだけど あのPOLYSICSですらJ-POP化が進んでいる今のJ-POP界は、ロックとかテクノとか全部吸収するすごい大きな力を秘めてると思う。フォークから始まったJ-POPはどんどんジャンルの垣根を越えてここまできてるんだと思っている。つまり、あらゆるジャンルの音楽が「J-POP」を通して大衆化されてる?J-POPは一種の登竜門みたいな感じになってて、逆に言えば大衆化されたジャンルはJ-POPになる。J-POPはこれからもあらゆるジャンルからヒット曲を生み出して拡大していくと思うよ。この理論だとそのうち全ての音楽がJ-POP化さ
RSSによって、ユーザーが自由に、ウェブへのインターフェイスそのものを、選べるようになった。 ってどうなんだろう。 「読者が自由に、小説の装丁や書式そのものを、選べるようになった」と言い換えると微妙な感じがしない? 小説における表紙デザイン、改行の位置、文字の大きさなどなど。 それらは全て作者やデザイナーが考え抜いた末に指定したものであって、それを変えるのは作品を改変することと同じ。 表紙が気に入らないからって別の写真を貼り付けるとか、読みにくいからといって改行の位置を変えてしまうとか。 そういうのは、大袈裟な言い方だけど、「作品への冒涜」って感じがするな。 まあ、現実にはそこまで考えて作られたサイトは少ないんだろうけど・・・。
横槍だけど、無理かと。 まずHTMLの意味的役割を無視したサイトが多すぎる。hn要素系が無いだとか、親要素がdivだけで意味づけが不明だとかはよくあることで、非道いのだとtitleが無いだとか、altの無いimg要素だとか、そんなサイトが溢れ返ってる。 更に、ある程度strictな構文であっても思想的な違いがあるから、文書構造が想定不可能で、CSSだけだと意図した見栄えにならない可能性が非常に高いかと。 所詮、HTML+CSSでの可能範囲なんて、ユーザCSSでちょっと文字サイズとか変えたり、pdfリンクの場合に注意文入れたりするくらいで、あとは制作者側が用意したCSSに任せきりにするか、やるにしても思いっきり殺伐としたスタイルを適用するくらいが限界なんじゃないのかな。 もちろん、元記事で書かれてるのはRSSっていうよりXMLの利点だし、XHTML+XSLTまで含めればかなり柔軟性は増すんだ
拙ブログで以前「朝日新聞の捏造・放火の歴史」というのをまとめたことがあります。 捏造といえば新聞業界ではダントツで朝日新聞の印象が強いのですが、テレビ業界ではどうか? 最近、関西テレビ「発掘あるある大事典2」の捏造が大きな問題となりましたが、数の多さ、インパクト、政治に与える影響、そういったもので比較すると、関西テレビよりもTBSの方がなんぼか悪質ではないか?と私には思えてなりません。 そこで今日は「TBSの捏造・不祥事の歴史」をまとめてみました。 (一部の画像はクリックにより新規画面で拡大されます) <<<<<TBSの捏造・不祥事の歴史>>>>> 【07/4/3:2007.2.25「華麗なる一族」でサブリミナル?…の項を新たに追加】 【07/4/6:2007.4.2- 収録中の事故を隠していたことが発覚…の項に追記】 【07/4/6:2007.2.11&4.1 同一人物が複数の街頭インタ
ミステリー作家としてデビュー後、近年は文芸誌にも活躍の場を広げている佐藤友哉。1年10か月ぶりの新刊「1000の小説とバックベアード」は“小説についての小説”という、ジャンル分け不可能な異色の作品だ。 「まっすぐな気持ちで小説が書けなくなって悩むうちに、小説についてこう思うとか小説はこうあるべきではといった気持ちが出てきたので、それをそのまま小説にしました。いつもと違うテイストの仕事をした感覚はあります。ミステリーでも私小説でもない、小説に特化した小説になりました」 小説家とは似て非なる架空の職業“片説家”をクビになった主人公・木原は、謎の女性から小説の執筆を依頼される。そして、それをきっかけに、“やみ”と呼ばれる集団による“1000の小説”という計画や、東京の地下に隠された図書館など、多くの謎と不思議な人物に遭遇していき…。その展開は予測不能で、冒険小説としての魅力も十分。難解に
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