大人は一般に「指導」をするのが好きである。…指導の効果があがると指導者がよかったことになるし、指導されるものがなかなか指導に従わないときは、「せっかく熱心に指導してやっているのに」、悪いのは生徒のほうだということになって、教師の立場は安泰になるからである。 教育というときに、動物を訓練し、しつけるというイメージと、植物を育てるというイメージと両方がある。どちらも大切なのだが、一般に植物のイメージで考えることのほうは忘れられ勝ちのように思われる。…熱心に教育しようとする人によって、芽をつみとられたり、つぼみを台なしにされてしまったような子どもの例を、われわれは数多く見てきたのである。 何やら最近の体罰問題を予言していたかのような言葉です。「先生」とか「指導」とかの持つニュアンスにだまされてはいけないという忠告です。 知識を教えることは比較的簡単にできます。しかし、組織というものは当然それだけ