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![『【産経・FNN合同世論調査】戦後70年談話、20代が高評価 公明支持層も容認(1/2ページ)』へのコメント](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/9d9724eeaed1d897f5a1368c1cec110a7b76f049/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Fcommon%2Fimages%2Fogp_politics-policy.jpg)
≪侵略戦争と断罪する不自然さ≫ 考案者は孫子を愛したトウ小平だったか。長年にわたって、最も安上がりで効果的な魔術にかけられた日本にもようやく覚醒の機会が訪れた。「歴史認識」、と一言、北京が示唆しただけで日本の世論はばらばらになり、政府は審議会をつくって日本の侵略はいつから行われたかなど、今頃になって短時間で怪しげな検討を始める。 ニュースの報道者は居丈高になって「お詫(わ)び」などのキーワードが入っているかと政府に迫る。迫られた方は知恵者が寄って各方面をなるべく刺激しないような語法をひねり出す。お笑いではないか。どこの国も要求しないのに10年ごとに首相談話を出し、旧連合国に詫び状を提出する義務が日本にあるわけがない。自縄自縛に陥ってしまっているのだ。 謝罪御免!と安倍晋三首相は啖呵(たんか)を切ってくれた。戦後70年談話の核心は「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の
【戦後70年】特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地の映像を発見…専門家は「衝撃映像だ」 京都、滋賀をまたぐ比叡山中 終戦間際、旧海軍が開発を進めていた航空機型特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地を撮影した映像が残されていることが18日、明らかになった。さきの大戦の映像や文献を収集している大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」(塾頭、平田崇英氏)が、米国立公文書館で見つけた。地上発射型桜花四三乙型の出撃基地に関する映像は珍しく、専門家は「衝撃的だ」と一様に驚いている。(村上智博) 映像は7分44秒のモノクロで、基地は滋賀県と京都府にまたがる比叡山(848メートル)で建設途上のものだった。まず、「LAUNCHER」(発射装置)と題し、昭和20年10月23日の撮影だと紹介する。 映像は米軍が撮影したもので、比叡山の東側、琵琶湖に面した山肌を、比叡山鉄道のケーブルカーで米軍関係者らが登る様子を映し出した。
調べている途中ではありますが、とりあえず簡単に基本的な点だけまとめ。 明治四十年(1907)「日本帝国の国防方針(帝国国防方針)」制定。八八艦隊計画登場。 大正元年(1912) 「七割軍備論」(佐藤鉄太郎)の登場。 大正二年(1913) シーメンス事件。 大正三年(1914) 第一次世界大戦勃発。 大正四年(1915) 八四艦隊計画予算の一部成立。 大正五年(1916) 八四艦隊計画予算成立。 大正六年(1917) 八六艦隊計画予算成立。 大正七年(1918) 「帝国国防方針」第一次改定。八八八艦隊計画登場。 大正八年(1919) 第一次世界大戦終結。 大正九年(1920) 八八艦隊計画予算成立。 大正十年(1921) ワシントン会議。日英同盟廃棄。 大正十一年(1922)ワシントン海軍軍縮条約締結。 大正十二年(1923)「帝国国防方針」第二次改定。八八八艦隊計画見直し。 昭和三年(19
40数年もかけて4000人から話を聞いたということ、戦友会の抑圧構造が一般兵士の戦場体験証言の少なさに結びついているという新聞広告を見て本書を手にとった。 兵士としての戦場体験を直接聞けたのは、ぼくの父方の祖父と、つれあいの父方の祖父の2人だけである。しかし、どちらからも詳しい戦場体験を聞くことはできなかった。一、二度、アウトラインのようなものを話してもらってそれで終わりだった。こちらも「お話につきあう」程度の心構えだったので、当然である。どちらも鬼籍に入ってしまい、もう後の祭り。取り返しがつかない。いかに貴重な機会を失ったかを今さらながら思い知る。 子どもとして空襲の被害に遭ったなどの「戦争体験」を語れる世代はまだ残っているが、保阪正康が本書で書いているとおり、2015年現在、戦場を体験した人は90代以上ということになり、 戦後七十年という節目の年、実際の戦場体験は今では語れる人がいなく
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