2015年8月19日のブックマーク (7件)

  • 『【産経・FNN合同世論調査】戦後70年談話、20代が高評価 公明支持層も容認(1/2ページ)』へのコメント

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    『【産経・FNN合同世論調査】戦後70年談話、20代が高評価 公明支持層も容認(1/2ページ)』へのコメント
    questiontime
    questiontime 2015/08/19
    id:enderuku 国がいくら謝罪の言葉を述べ、賠償しても、「あれは罪ではない」という主張に対して否定も反論もしなければ、本当の意味で謝罪したことにならない。謝罪を次世代に引き継ごうとしてるのは日本政府の方。
  • 【正論】戦後70年に思う 謝罪にけじめをつけた安倍談話 杏林大学名誉教授・田久保忠衛(1/4ページ)

    ≪侵略戦争と断罪する不自然さ≫ 考案者は孫子を愛したトウ小平だったか。長年にわたって、最も安上がりで効果的な魔術にかけられた日にもようやく覚醒の機会が訪れた。「歴史認識」、と一言、北京が示唆しただけで日の世論はばらばらになり、政府は審議会をつくって日の侵略はいつから行われたかなど、今頃になって短時間で怪しげな検討を始める。 ニュースの報道者は居丈高になって「お詫(わ)び」などのキーワードが入っているかと政府に迫る。迫られた方は知恵者が寄って各方面をなるべく刺激しないような語法をひねり出す。お笑いではないか。どこの国も要求しないのに10年ごとに首相談話を出し、旧連合国に詫び状を提出する義務が日にあるわけがない。自縄自縛に陥ってしまっているのだ。 謝罪御免!と安倍晋三首相は啖呵(たんか)を切ってくれた。戦後70年談話の核心は「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の

    【正論】戦後70年に思う 謝罪にけじめをつけた安倍談話 杏林大学名誉教授・田久保忠衛(1/4ページ)
    questiontime
    questiontime 2015/08/19
    こうして安倍談話の「本音」が取り巻きから語られる。政府は、これが誤った理解なら明確に否定し、反論すべきだが、決してそれをすることはないだろう。なにせ「本音」なのだから。
  • 「茶色の過去」を直視せよ ドイツ企業の10年 戦後70年と企業(3) - 日本経済新聞

    ドイツを代表する服飾ブランド「ヒューゴ・ボス」はビジネススーツなどのコレクションで知られる。破竹の勢いで世界各地に店舗網を広げる老舗企業の衝撃的な過去が明らかになったのは2011年のことだった。「ヒューゴ・ボス ワイマール共和国から第三帝国時代の洋服工場について」。そんな題名の論文を書いたのはミュンヘン連邦軍大学研究員のローマン・ケスター。小さな服飾メーカーだった同社が戦時中にドイツ軍やナチス

    「茶色の過去」を直視せよ ドイツ企業の10年 戦後70年と企業(3) - 日本経済新聞
    questiontime
    questiontime 2015/08/19
    ドイツの大手企業や国自身が第三帝国時代を検証し、記録に残しているという話。単に道徳的な理由だけではなく、周到な打算が働いていることも記されている。有料会員じゃないと全文見られないのが惜しい記事。
  • 【戦後70年】特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地の映像を発見…専門家は「衝撃映像だ」 京都、滋賀をまたぐ比叡山中 (1/3ページ)

    【戦後70年】特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地の映像を発見…専門家は「衝撃映像だ」 京都、滋賀をまたぐ比叡山中 終戦間際、旧海軍が開発を進めていた航空機型特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地を撮影した映像が残されていることが18日、明らかになった。さきの大戦の映像や文献を収集している大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」(塾頭、平田崇英氏)が、米国立公文書館で見つけた。地上発射型桜花四三乙型の出撃基地に関する映像は珍しく、専門家は「衝撃的だ」と一様に驚いている。(村上智博) 映像は7分44秒のモノクロで、基地は滋賀県と京都府にまたがる比叡山(848メートル)で建設途上のものだった。まず、「LAUNCHER」(発射装置)と題し、昭和20年10月23日の撮影だと紹介する。 映像は米軍が撮影したもので、比叡山の東側、琵琶湖に面した山肌を、比叡山鉄道のケーブルカーで米軍関係者らが登る様子を映し出した。

    【戦後70年】特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地の映像を発見…専門家は「衝撃映像だ」 京都、滋賀をまたぐ比叡山中 (1/3ページ)
    questiontime
    questiontime 2015/08/19
    稀代のトンデモ兵器に妙な持ち上げ方をする産経。→「この時の設計思想と技術は、現代の地対艦巡航ミサイルの原型となった。」 なってねーよ。人間を誘導装置代わりに載せるミサイルがどこにある?
  • シベリアンハスキーの子どもたちがかわいすぎて発狂 : カラパイア

    ロシアのフォトグラファー、Erica Tcogoeva(25) はシベリアンハスキーの愛らしさに魅せられ建築を学ぶ大学に進学したものの、獣医になるために大学をやめ、獣医学校に通ったという。そんな彼女が撮影したシベリアンハスキーの子どもたちは、みんな違ってみんなかわいくて、撮影者の愛に溢れていた。

    シベリアンハスキーの子どもたちがかわいすぎて発狂 : カラパイア
  • 太平洋戦争までの日本海軍整備計画 | Kousyoublog

    調べている途中ではありますが、とりあえず簡単に基的な点だけまとめ。 明治四十年(1907)「日帝国の国防方針(帝国国防方針)」制定。八八艦隊計画登場。 大正元年(1912) 「七割軍備論」(佐藤鉄太郎)の登場。 大正二年(1913) シーメンス事件。 大正三年(1914) 第一次世界大戦勃発。 大正四年(1915) 八四艦隊計画予算の一部成立。 大正五年(1916) 八四艦隊計画予算成立。 大正六年(1917) 八六艦隊計画予算成立。 大正七年(1918) 「帝国国防方針」第一次改定。八八八艦隊計画登場。 大正八年(1919) 第一次世界大戦終結。 大正九年(1920) 八八艦隊計画予算成立。 大正十年(1921) ワシントン会議。日英同盟廃棄。 大正十一年(1922)ワシントン海軍軍縮条約締結。 大正十二年(1923)「帝国国防方針」第二次改定。八八八艦隊計画見直し。 昭和三年(19

    太平洋戦争までの日本海軍整備計画 | Kousyoublog
  • 保阪正康『戦場体験者 沈黙の記録』 - 紙屋研究所

    40数年もかけて4000人から話を聞いたということ、戦友会の抑圧構造が一般兵士の戦場体験証言の少なさに結びついているという新聞広告を見て書を手にとった。 兵士としての戦場体験を直接聞けたのは、ぼくの父方の祖父と、つれあいの父方の祖父の2人だけである。しかし、どちらからも詳しい戦場体験を聞くことはできなかった。一、二度、アウトラインのようなものを話してもらってそれで終わりだった。こちらも「お話につきあう」程度の心構えだったので、当然である。どちらも鬼籍に入ってしまい、もう後の祭り。取り返しがつかない。いかに貴重な機会を失ったかを今さらながら思い知る。 子どもとして空襲の被害に遭ったなどの「戦争体験」を語れる世代はまだ残っているが、保阪正康が書で書いているとおり、2015年現在、戦場を体験した人は90代以上ということになり、 戦後七十年という節目の年、実際の戦場体験は今では語れる人がいなく

    保阪正康『戦場体験者 沈黙の記録』 - 紙屋研究所
    questiontime
    questiontime 2015/08/19
    読み応えがある書評。ぜひ元の本にも当たってみよう。/日本の場合、加害は主に外国で行われていた。ドイツの場合、国内でもホロコーストが進行していたから、加害体験は共有しやすかったかもしれない。