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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog (21)

  • 明治初年の「憲法十七条」刊行は偽書の『五憲法』ばかり - 聖徳太子研究の最前線

    以前の記事で、「憲法十七条」が特に尊重されるようになったのは明治以後、そして第一条の「和」こそが太子の思想の中心であって日文化の伝統であったことが強調されるようになったのは昭和になってから、と書きました。 その証拠として、近世における「憲法十七条」の注釈の作成と刊行の少なさをあげましたが、明治になると、「憲法十七条」は次々に刊行されます。ただし、その実態は、小倉豊文が次のように歎いている通りでした。 古板・古註の明治以後の覆刻は、残念ながら偽書五憲法が先であり、回数も多く、種類も多い。だから従つてその流布も相当に広く、影響も少なからぬものがあつたであらう。 (斑鳩迂人[=小倉豊文]「太子学入門(六): 現代の主要文献(六)」、『太子鑚仰』新七号、1944年11月、20頁) つまり、明治になると「憲法十七条」が重視されるようになり、古い版の復刻が盛んになったものの、刊行の順序が先で種類も多

    明治初年の「憲法十七条」刊行は偽書の『五憲法』ばかり - 聖徳太子研究の最前線