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ブックマーク / umemado.blogspot.com (27)

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    鉄道模型趣味(TMS) 11月号の"地方私鉄 失われた情景"第17回は「大聖寺川を渡り山代へ」北陸鉄道加南線です。1964年、木立を背に田園風景の中を温泉通いの電車が走っていた情景はまるで模型のようであった。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    北陸線金沢駅の片隅から金石街道に沿って日海へ向かって走る金石線の昭和39年12月時点を紹介してありますが、田辺さんが撮った昭和38年7月はたった1年半前なのに結構違いがあるようです。 一見昭和39年とおなじような風景でもよく見ると、電車や電機がまだポール時代で、ひなびた客車は電車に牽引されてまだ活躍していました。この1年半後には客車牽引はなくなりポールからパンタに交換され、寄せ集め車両の淘汰があったなど、この昭和30年代後半は僅かな期間でいかに地方私鉄が変化して行ったかが分かります。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    1964年に訪問した金沢の街風景を現在(googleストリートビュー)と比較してみました。 市内線が走った大通りは4車線に拡張され一変し、道路沿いの建物のほとんどは建て替えられていますが所々に昔を残す建物も見られます。昔のイメージを残して建て替えられた商店があれば、僅かの補修で57年後の今もそのまま残されている建物もあります。 探せばきっと電車通りの各所に名残が見つかることでしょう。さすが金沢の街ならではと思います。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    翌年の昭和39年10月に田辺さんは再度北陸鉄道を訪問し小松線、石川線、市内線を撮っていました。この頃の小松線は北陸鉄道各線から玉突きで追い出されてきた古典物や小さな車両の寄せ集め場で、写っていた漫画に出てきそうな小型電車に目が惹き付けられました。 1971年に金石線からモハ3000形5両が入線したのを境に、それ以降は廃線まで何の変哲もない路線になってしまった小松線ですが、1971年まではこの小型電車が在籍し、さらに1965年までは種々雑多なトレーラや2軸電車が在籍し、北陸鉄道各線の生き残りが集められた貴重な路線であったのでした。 1962(昭和37)年に私が訪問した時の 北陸鉄道 小松線1(大画像にリニューアル)に奇怪な車両たちを紹介してあります。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    8月12日の 浅野川線の七ッ屋で未完成であった七ッ屋駅 構内配線図。国鉄北陸線との位置関係を航空写真に基き仕上げました。構内配線図は模型のための図でありノットスケールです。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    7月20日発売のTMS 8月号、失われた情景 第26回は「漁港がすぐそば 滝駅」です。 北陸鉄道の非電化路線「能登線」はまさに日の夏でした。 能登半島を走っていた能登線の夏は海水浴客が賑やかで、 朝は殆どの気動車が出揃っていて様々な気動車+客車が海辺へ行き来していた。 何でこんな駅に降りたのかと思っていたのが羽咋から二つ目の滝駅。 ここから柴垣へ向って歩いて撮影ポイントに行くのが目的で下車したのであった。 昔の航空写真で小さな漁港と漁村そして滝駅の配置を知りジオラマ題材に纏めてみました。 ほとんど記憶は無いけどあの時の写真には様々な情報が記録されている。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    頸城鉄道が1968年部分廃線になる直前の夏は最後の活気が見られた。 この数か月後の10月に新黒井~百間町、百間町~浦川原が廃線となった。 貨物輸送をしていた時代で客貨混合長大編成の列車がまだ走っていた。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    先日、木曽森林鉄道を取上げましたが、 にもなった五十川晋一様のお馴染みのサイト 鉄道車両人相学(車両の顔のギャラリー)の中に 素晴らしい木曽森林鉄道のイラストギャラリーがありますので紹介させて戴きます。 木曽森林鉄道のイラストギャラリー

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    10月9日に紹介しました昭和38年の 何だこれは! の金沢1 で、金沢犀川の川向うの一角を走っていた今はなき野町~白菊町界隈の現状を定点撮影された代打・山さんから写真を送って戴きましたのでアップします。 川向こうの一角(現状)に廃止区間を入れてみました。赤が1972年に廃止になった白菊町~野町(推定)、青が現状の石川線です。白菊町が随分わかりにくい場所にありますが、真の起点は昔から市内線が来ていた野町であったのでしょう。工場地帯の貨物扱いで野町の先白菊町まで線路が伸びていた。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    米子の日ノ丸自動車法勝寺電鉄。1962年の夏 一時期だけ facebookに投稿したものです。 片上鉄道の後は岡山周辺の小私鉄を訪問し翌々日の夜に広島に到着。広島23:55発の米子行夜行準急「ちどり2号」に乗って米子へ向かった。当時は「ちどり2号」があの木次線出雲坂根のスイッチバックを通過するなど知る由もなく、車中で熟睡し早朝6:12に米子到着した。米子駅の外れで爽やかな朝日を浴びて美しい電車が発車を待っていた。 今開催中の江上英樹さんの「木次線・出雲坂根を盛り上げるスイッチバック展」東京版を見てきました。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

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  • 地方私鉄 1960年代の回想

    西御坊から紀井御坊に掛けて撮った眠いネガを再スキャンしてみました。 沿線に新旧の民家が点在するが、昔からの民家がいかにも1960年代で凄い。 フルサイズにして見ると細部が見えてくる。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    先日の「瀬戸内海の呉1」で、山並み迫る電車通りに見えた第一生命と「嫁入道具」青山家具の看板をたよりに地図を調べてみたが撮影場所の確定はできなかった。 ところが「呉2」の何枚かの阿賀駅前の写真に第一生命、「嫁入道具」、青山家具の看板が写っていて、阿賀車庫へ入る線はどうやら「嫁入道具」の前から分岐していたようであった。 さっそく呉線の安芸阿賀駅前の古い航空写真から位置関係を調べてみた。 航空写真は家具店の建物などまだ建っていない時代だが、子供達が遊んでいた街角は安芸阿賀の駅前通りであり、そこを直進した先に見えた市電通りの「嫁入道具」青山家具店の脇に電停があり、阿賀車庫の分岐線は家具屋の前あたりであることが判った。 市電の阿賀車庫は安芸阿賀駅と電車通りの間のかなり広い一角にあったわけだ。 安芸阿賀駅の駅前一等地にあった車庫の跡には今や大きなビルが立ち、殺風景だった市電通りの空き地も今ではビルが乱

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    50年前の昭和44年10月19日、あの日は湖中鳥居が見える江若鉄道白髭駅で待機していると突然現れたのが写真の貨物列車でした。その写真に写ったのがカメラを持った人。京都の鉄道ファンで大学生時代だったそうです。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    私の車両写真の目的は模型資料で、西大寺鉄道の車庫を訪問した時に真っ先に車両写真を撮ったのは地を這うような客車ハボであった。一体どんな小さな台車を履いているのか? 軽便の魅力の一つは地を這うような客車で、これを如何に模型に再現するかだけど未だに私の模型は出来ていない。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    どこの車庫や車両工場でも庫内風景は楽しいもので、 定期検査や改造でバラバラになった部品が並べてある。 完成車と違ってこんな光景の方に機械の美しさを感じてしまう。

  • 地方私鉄 1960年代の回想

    カーブと起伏が多い沿線を行くセミクロスシート車のモ5401。外観が平凡だが垂直カルダン駆動の珍しい電車.志摩神明-賢島. 鳥羽駅を発車した電車はすぐ急カーブを曲がり風光明媚な志摩半島を賢島へ向かっていた。 リアス式海岸で名高い志摩半島には数々の観光名所があるが、半島内陸部の山間を行く志摩線からは海が見えるようなところが殆どなくカーブの連続とひと気のない山間ばかり。こんな路線を走る電車はどれも魅力的な小型電車で三重交通時代からのツートンカラーがよく似合っていた。この翌年に近鉄志摩線となり更に改軌され志摩線の風景は激変した。

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  • 地方私鉄 1960年代の回想

    素晴らしいHO(1/87)模型メーカである「アートプロ」さんのサイトの最新情報コーナで小ブログを紹介して頂き誠にありがとうございました。サイトのタイトルによれば「アートプロ」さんの模型は1950~1970年代の地方私鉄を中心に私鉄車両の素晴らしさをリアルスケール(HO1/87)で表現するとのこと。・・・惚れ惚れするコンセプトです。 「アートプロ」さんでは既に元松阪線の丸車モニ200(サニ110)形が模型化され、更に明日7日にはモ250(サ121)が発売とのこと。小ブログの丸車連載は偶然この発売直前のタイミングでした。 今回、松阪線の丸電車についてブログに連載して来ましたが、その目的は松阪線の丸電車が内部・八王子線へ転出後、トレーラ化改装や近鉄カラー化や近鉄改番など、松坂線の残党のことを整理して改めて写真を見ることでした。 松阪線廃線の半年後、昭和40年8月に撮影した中に三重交通カラ

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