3月7日(日)午後8時から2時間ほど、アメリカのCBSテレビ特別番組でヘンリー王子とメーガンさんがインタビューに答えた。オプラ・ウィンフリーさんが司会を務め、はじめはメーガンさんが話し、その後、ヘンリー王子が合流した。 【画像】インタビューに王室での苦悩を語るメーガンさん メーガンさんの発言には、衝撃を受ける部分が多かった。まずは、王室内で人種差別をほのめかす言葉をヘンリー王子を通じて聞いたという。「赤ちゃんの肌の色はどのくらい濃いか」との会話が交わされたそうだ。しかし、口にした個人名は明かさなかった。 すぐに、いくつかの疑問点が提出された。王室内で人種差別があったのであれば、そもそもメーガンさんを結婚させなかったはずだ。母親がメーガンさんなら、赤ちゃんの肌の色は濃くなることも考えられる。今さら話題にするだろうか。また、メーガンさんは人種差別を受けたと捉えたのであれば、すぐに女王に訴えるべ
興味深い学生の反応 昨年の7月に本サイトに掲載されたコラムで、最近の大学生がマルクスに対して大きく共感するようになってきたという報告をした。同じようなことが、マルクスとともに私が長年教え続けているテーマについても言える。それは動物倫理であり、動物倫理の主要内容の一つであるベジタリアンやビーガンという話題に対する学生の反応である。 ただし私の動物倫理との関わりは、マルクスとは経緯が異なる。 先の記事にも書いたように、マルクスは私にとっては大学院以来の研究テーマであり、博士論文を代表として、今でも私の本業的な研究分野となっている。これに対して動物倫理は後発の研究テーマで、博士号取得後に本格的に研究を始めた分野である。大学院に進んでから博士を得るまでに10年余りの歳月が流れているが、この間に私は動物倫理はおろか、そもそも動物それ自体に興味を持っていなかった。 かつて私にとって動物とは好きでも嫌い
表題通りである。本気でなぜダメなのかがさっぱりわからない。 よほどのことが無い限り、いわゆる自分の「上位互換」なんて掃いて捨てるほどいる。 もともと自分の「上位互換」として生まれた人がさらに努力をして成功するわけだから、「下位互換」の自分が努力しても絶対に勝てない。あほらしくて努力しようとかそういう気すら起きない。 そんな自分のような「誰かの下位互換」が生まれて来る必要はないんじゃないか、という考えが自分の中にずっと根付いている。 そもそもこの考えが「優生思想」といえるのかが少々怪しいのだが。 「天は3物以上を与えるのが普通」という言葉を聞いたことがある。さもないと「上位互換」なんていう発想が生まれない。 最低限3を与えられた人間が10人いても、50を与えられた人が1人いれば後者が勝つだろう。 歌って踊れる顔のいい名門大学卒業のアイドルに対してダンプカーに轢かれたような見た目・音痴・虚弱体
ミャンマーのクーデターをめぐっては、デモは徹底的な非暴力を貫いているが、抗議デモ隊の規模は大きく、国軍や警察は排除に手を焼いている。 デモの「沈静化」を目指し、2月28日ごろから国軍や警察はデモ隊に向け実弾を発砲し、暴力的な弾圧を実施。当局は3月15日、ついにヤンゴン市内の一部に戒厳令を発令。これにより、軍の司令官に行政権及び司法権が委譲され、憲法の拘束を受けることなく民衆の取り締まりができることとなってしまった。 そんな中、ミャンマー最大都市ヤンゴンで在住日本人が住むマンションに催涙弾が撃ち込まれるという事態が起きた。 ガラスが飛び散り、シャワールームへ避難 「窓の外が騒がしかったので、外の様子を眺めたんです。そうしたら軍隊がいたのでスマホで撮影して、その後ビデオカメラを回したんです。次の瞬間、シューって音が聞こえて。そうこうしているうちに金属製の筒状をした催涙弾がガラス窓を突き破って居
※本稿には、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の結末を含む内容への言及があります。 2007年からシリーズの公開が始まった、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』。その4作目にして、シリーズ最終作となったのが、タイトルを一新した『シン・エヴァンゲリオン劇場版』だ。TVアニメ版『新世紀エヴァンゲリオン』、旧劇場版を経て、再び出発した本シリーズが14年の長期に渡って公開され、前作から8年と数カ月を経て最終作が公開されたというのは、異例づくめといえる出来事だ。このような新シリーズのスケジュールは、庵野秀明監督はじめ作り手側にとっても予想していなかったはずだが、それでも成立してしまうというのは、『エヴァ』全体の熱狂的な人気があってこそだ。製作が長引き延期を重ねながらも、シリーズの興行成績は落ちるどころか、右肩上がりになっていった。 さらに、公開前に発表された「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」という、最終作と
法律レイヤー上の私権の制限という意味ではなく、倫理のレイヤーで… 大元増田の言うような「許されない」ときに大勢から批判の表現を突きつけられることに関して。 はてなブックマーカーは、許されないときは集団リンチしていい、と思っているようにみえる。 マイノリティへの攻撃はたとえそれが各個撃破だったとしても、被害者のマイノリティ本人は同様の攻撃を日々受けているので実質的に集団リンチにあっているのと同じ。————こういう考え自体は筋が通って聞こえるが、差別主義者も現代ではある意味マイノリティだよな? でも大元増田自身がむしろ文字通りの意味でマイノリティだって判った後も「それがどうした?」つって攻撃の手を緩めなかったよね。あなたたちは“マイノリティを総攻撃してはいけない”ってことを主張してたはずでは? 結局、総攻撃はしていいのか悪いのか。 誰かを抑圧して黙らせてる人は無制限に総攻撃していいのなら、あな
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