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エッセイに関するqzk05715のブックマーク (10)

  • 非日常はいらない - インターネットの備忘録

    10年ぶり?くらいに荒木陽子著「愛情生活」を読み返しました。 愛情生活 作者: 荒木陽子 出版社/メーカー: 作品社 発売日: 1997/09 メディア: 単行 購入: 4人 クリック: 75回 この商品を含むブログ (48件) を見る 写真家・荒木経惟氏の愛・陽子さんのエッセイ集で、出会いから結婚、その後に至る日々で彼女が思っていることが様々な文体で描かれています。 であること、女であることが彼女の中では等しく同居していて、それを実現させているのが荒木経惟氏のロマンチシズムなんだろうか、と思いながら読み終えたのですが、印象強く残ったのは「生活」の強度でした。エッセイからは荒木経惟氏との穏やかで色彩豊かな生活が伝わります。酔って帰ってきた夜、ふたりで行った旅先での出来事、日常の卓の様子、通った銭湯の思い出、どれもが当たり前にあることのようで、とても美しい。そしてその美しさを受け止め

    非日常はいらない - インターネットの備忘録
  • 誰もがほとんど何も知ることなくこの世を去る。そしてそれでいい理由

    世界は読むことができなかった、見ることができなかった絵や映画、行くことができなかった場所、出会うことがなかった人、とらえそこねた好機であふれています。どんな経験豊富な人や知識人であっても、世界の99%以上は未知なのです。 この切なくも希望を感じさせる事実について、NPRに “The Sad, Beautiful Fact That We’re All Going To Miss Almost Everything” という題名のコラムが掲載されていました。 を例にしてみよう。あなたが一週間に2冊、そして時には一週間全部を費やすペースでを読んでいるとしたら、それでもなかなかのものだ。年100冊のを読めたとしよう。そして仮にあなたがいま15歳だとしたら、80歳になるころまでに6500冊のが読める計算になる。 ここで大きな簡単化をして、読む対象のを過去250年分に限ってみよう。それは

    誰もがほとんど何も知ることなくこの世を去る。そしてそれでいい理由
  • 「計画断水」知ってる? ネットで日本の昭和を振り返る (1/5)

    さまざまな世代の人が情報を発信できるネットには、大正から昭和初期を生きた当事者が運営するサイトさえ転がっている。 そうした郷愁色の強いサイトのなかでも定番人気を誇るものは、その時代に生まれていない若い世代でも読めるオープンな雰囲気を持っている場合が多い。「60年代 懐かしの宝箱」はその典型例といえるだろう。 サイトのテーマは1960年代の日テレビ番組や音楽文化などの親しみやすい資料やエッセイをまとめており、等身大の視点で昔を眺められる。管理人は富沢瑞夫氏。当時からジオラマ模型の達人として活躍していた富沢氏は、ホームページの運営にも共通のコンセプトを持っているという。 顔の見えるインターネット 第91回は、半生をかけてひとつのコンセプトを貫き続ける富沢氏の心に迫る。そこには回顧趣味とは次元の異なる、立体的な郷愁が埋まっていた。 60年代 懐かしの宝箱 2006年にスタートした、60年

    「計画断水」知ってる? ネットで日本の昭和を振り返る (1/5)
  • 原発の街を歩く・敦賀 - 深町秋生の序二段日記

    しばらく「原発銀座」と呼ばれる福井県をうろついていた。また旅に出たのだ。 福島の原発事故で痛感させられたのは、自分の知識のなさだった。原発がドカンと爆発したその日、さすがにイソジンは「アホくさ」とスルーしたけれど、昆布は思わず買ってしまった。その日の夕は、昆布ダシの鍋物だった。 隣県の土地がこの事故によって、あっという間に汚染されてしまった。浜通りは冬でも暖かく、いわき市などは東北なのにヤシの木が植えられている。雪で気が狂いそうなときは、とりあえず温暖な浜通りによく避難していた。 その豊かな土地が一瞬にして危機に陥った。その原因となった原子力発電所とはなんだったのだろう。今さらながら、一から勉強したくなって、日々の仕事をしつつ福井の敦賀市に向かった。 敦賀市には、敦賀原発や問題の多い「もんじゅ」や廃炉した「ふげん」がある。その隣の美浜町にも美浜原発がある。原発が集中している地域で、原発関

    原発の街を歩く・敦賀 - 深町秋生の序二段日記
  • JAL - コックピット日記

    「コックピット日記」は5人の機長が毎月交替で、パイロットに関する話や日常の乗務で出合ったこと、ちょっとした役立つ情報などを、読者の皆様にお届けするエッセイです。 2018年6月14日号(Captain 171 737の得意技)をもってホームページでの連載を終了いたしました。

  • 渡辺和博 - Wikipedia

    渡辺 和博(わたなべ かずひろ、1950年2月26日 - 2007年2月6日)は、日の編集者、漫画家、イラストレーター、エッセイストである。 人物[編集] 生い立ち[編集] 1950年(昭和25年)、裕福な薬局の子供として、広島県広島市に生まれる。崇徳高等学校卒業。 運動神経は鈍かったものの、子供のころからメカ好き、バイク好きであった。高校時代にはバイクに乗り始め、また自動車雑誌の購読も始めた。このために後の漫画作品にも、バイク物や、バイクが好きなヤンキーたちが登場するものが多く、いわゆる「エンスー」となっていった。 1968年(昭和43年)に上京後には、東京綜合写真専門学校に入学してカメラマンを目指したものの中退した。同校の同級生には、後に映画監督となる崔洋一がいた。1972年、現代思潮社美学校(東京・四谷)に入りなおし、赤瀬川原平に師事した。渡辺の渾名となる「ナベゾ」であるが、これは

    qzk05715
    qzk05715 2011/01/26
    金魂巻 現代人気職業三十一の金持ビンボ-人の表層と力と構造 懐かしい 丸金丸ビ
  • かつて若者だった者たちへ - 書評 - 生き方の練習 : 404 Blog Not Found

    2010年11月04日17:45 カテゴリ書評/画評/品評Love かつて若者だった者たちへ - 書評 - 生き方の練習 書の副題は、「--若者たちへ--」である。 生き方の演習 塩野七生 が、書の言葉に最も耳を傾ける必要があるのは、むしろかつて若者だった者たちなのではないか。 書「生き方の練習」は、塩野七生が母として語った言葉を文書化した数少ないエッセイ。なぜ少ないか。それは彼女が書で若者達に向けたこの言葉に、常に忠実であったからだ。 P. 81 対決は、たいへんけっこうで、それをやらなければ両世代とも真の充実は期待できないほど大切なのだが、やるからには堂々と、各世代とももつ唯一の武器、理性と論理を駆使して対決すべきであろう。;それ意外の武器を使うのは、勝負として穢いし、まずもって、同じ土俵上で対決することを拒否して、勝手に土俵から降りてしまうことと同じである。こういう場合、スポ

    かつて若者だった者たちへ - 書評 - 生き方の練習 : 404 Blog Not Found
  • 「友達がいなさそう」が罵倒の文句になる理由:日経ビジネスオンライン

    一年ほど前に日経済新聞で書いた「友達がいなさそう?」というタイトルのエッセイが、今年の9月に「天声人語」で引用され、それを踏まえて、AERAの取材を受けた。インターネットで20~30代の若者300人を対象にアンケートを採ったところ、その設問の一つである「ないと不幸なもの」で、「友達」という項目が第一位にあがったので、友達がいなさそなことがどうのと語っていたわたしに話を聞いてあげようということになったのだそうだ。 テレホンショッキングでタモリが便所飯(注)の話をしていたし、何なのか、最近は友達がいないということについて考えるのが密かに流行っているのかしら、と思った。 * * * 「友達がいなさそう?」というタイトルのエッセイには、この言葉が人への罵倒でいちばん厳しいものなのではないか、と書いた。 「あの人、友達がいなさそう」という言葉には、対象が生きてきた背景そのものを否定するニュアンスが

    「友達がいなさそう」が罵倒の文句になる理由:日経ビジネスオンライン
  • “男受け”する服の色は何色? - Ameba News [アメーバニュース]

    “男受け”する服の色は何色? 10月13日 17時26分 コメント コメントする 『されど"服"で人生は変わる』 斎藤薫 講談社 >> Amazonで調べる 女性向けファッション誌「25ans(ヴァンサンカン)」の編集者を経た後、美容ジャーナリストとして多くの雑誌に美容記事やエッセイを寄稿している齋藤薫さんの著書が人気です。2009年2月27日に発行された『されど"服"で人生は変わる』は、今日までに12刷までされロングセラーとなっています。 「毎日の服選びが憂うつ」「自分に似合う服が分からない」「一目置かれる着こなしを知りたい」など、女性たちの悩みにずばり答えながらオシャレ術を披露する中で、「結局、男は黒にいちばん弱い」と齋藤さんは指摘しています。 「男にモテるのはどんなオシャレ?」というある調査結果で、「男が好きな服の色」の2位に黒が入っていたそうです。1位は白でこれは常識的な結果で

  • 告白について

    最近、告白することがあったので、ちょっと告白について書いてみる。ここで言う告白は、罪についてではなく、愛についてです。男女恋愛関係に発展するときに行う「告白」についてです。まぁ、「付き合って」っていうことです。前、なにかのブログ記事で、「『告白』そのものは合格発表を見に行くようなものだ」と書いてあって、妙に納得してしまいました。合格か不合格か決まる試験自体は、前の段階で終わっていて、合格発表でなにをしても無意味だよ、という主旨です。当然ですが、試験で大失敗していたら、合格発表の時にどんなに綺麗な服を着て行っても、友達同士で行っても一人で行っても、不合格なのは変わりません。それと、同じで、告白をする前のデートやメール・電話で異性の気持ちはすでに決まっていて、告白自体にはそんなに意味はないでしょう、と。どんなにお洒落なお店で告白しても、夜景の見える展望台でもラーメン屋でも、走りながら告白して

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