ドイツの首都ベルリンは、東西合併後、大変容を遂げた。かって「壁」で隔てられ、通行不能であっブランデンブルク門も、今では旧東側からも旧西側からも自由にアプローチできるようになっている。2010年末に訪れた私は大いに感激した。門の旧東側広場に立てられた巨大なクリスマスツリーが印象的だった。 私が西ドイツのデュッセルドルフに赴任(1978~1981年)していた頃は冷戦体制が全欧州を圧しており、東西の壁が崩壊することなど、想像もできなかった。私は「俺の目の黒いうちは統一なんて無理だろうな」と思っていた。事実は小説よりも奇なりだ。 柵の向こう側は一見ゴルフ場のようだが 当時、来独したお客様を案内する「とっておきのメニュー」の1つが、東ドイツとの国境の見学であった。日本には陸の国境がないから、誰もが興味を持ってくれた。 西ドイツの丘から国境を見ると、高い鉄条網の柵(高圧電流が流れているという)が果てし
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