デンマークの天文学者ティコ・ブラーエはある意味ラッキーだったのかもしれない。ブラーエは、ある数学の方程式についての議論が高じて決闘になり、鼻を削ぎ落されてしまい、その後の人生を真鍮でできた人工の鼻をつけて過ごしたが、まったく嗅覚が効かなかったそうだ。 でももしかしたら、それは神の恵みだったのに違いない。なぜなら、彼が生きた16世紀の時代は、あまりに悪臭に満ち溢れていたのだ。 さて、かつてのヨーロッパやアメリカの悪臭の原因を6つほどみていこう。
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「鉛筆は2BかHBを使いましょう」って言われてた小学生のころ、文房具屋で見つけた『F』の鉛筆に、かなりテンションが上がった記憶がある。Fって何だよ! と。 新しい鉛筆が出たのか!? と。さっそく親に言って、その謎めいた鉛筆を買ってもらった。 ところが使ってみると、これがなんとも普通。濃さも書き心地もHBとそんなに変わらないし、高級感があるわけでもない。テンションは一気に下がり、一度使っただけで、その後「F」が鉛筆立てから出ることはなかった。 大人になってから、記号の意味を知った。 『B』はBLACK(黒い)、『H』はHARD(硬い)、そして『F』はFIRM(引き締まった)。Fは最新のもんじゃなく、昔からあるHとHBの間の濃さの鉛筆だった。 ただ、疑問は残った。どうして意味ありげに、Fなんていう別格っぽい記号がつけられてるのか。BとHだけで片付く話じゃないんだろか、と。 疑問を解決すべく、日
Getty Imagesが制作した画像には、最近のロンドン市街の写真の上に、数十年前に白黒写真で撮影されたクリスマスの街並みが重ねられている。通りに吊るされたクリスマス用の七面鳥や、ドイツ空軍による爆撃からクリスマスの装飾を守る土嚢など、その時代を写し出す景色が現代の景色と融け合っている。
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今週のコラムニスト:アズビー・ブラウン 「風変わりで面白そうだけど......」 私の学生時代もその後もずっと、日本の神社仏閣の建築技法や日本庭園に興味があると話すたび、特にアメリカ人からはそんなつれない返事が返ってきた。それほど遠くない昔のことだ。 当時のアメリカの流儀は「より速く、大きく、新しく」。日本ならではの美的感覚や考え方にピンとくる人は少なかった。今では想像もつかない話だ。 私は25年以上前から日本で暮らしている。工芸や文化に引かれて来日し、この国の人々や可能性に魅せられるまま住み続けてきた。私の日本生活は「過去」と「未来」という二足のわらじを履いているようなもの。宮大工や江戸時代の生活を研究する一方で、金沢工業大学未来デザイン研究所の所長を務めている。 もともと日本の都市の成り立ちを研究したかったわけではないが、頭に浮かぶ「いつ」「なぜ」という疑問を無視できなかった。有楽町の
インド発祥の料理にして、今や日本の「国民食」と呼ばれるカレー。日本人なら誰でも、カレーにまつわる記憶の1つや2つ、持っているのではないだろうか。 私の中で「忘れられないカレー」と言えば、大阪・難波にある「自由軒」の名物カレー(650円)だ。ぐちゃぐちゃに混ざったカレーとご飯。そして、真ん中のくぼみには生卵が1つ。こげ茶色に色づいたご飯とつやつやした生卵のコントラスト。そのビジュアルを初めて雑誌で見た時、目が釘付けになった。 自由軒は創業1910(明治43)年。炊飯器のなかった時代、冷めたご飯を温かく供するために、カレーとご飯を混ぜるアイデアが生まれた。この名物カレーは無頼派作家・織田作之助が愛したカレーとしても知られ、代表作『夫婦善哉』にも登場する。 文学少女気取りだった高校生の私は、この一風変わったカレーを「いつかは食べてみたい」と思い続け、大学生になって念願が叶った。初めての大阪ひとり
「カラスてんぐ」の正体は、トンビとみられる鳥の骨と粘土だった-。和歌山県がコンピューター断層撮影(CT)でミイラを解析し、こんな結果を出していたことが19日、分かった。 ミイラは仏教を守護する八部衆の一人「生身迦樓羅王尊像」とされ、信仰の対象になってきたが、関係者の間では「正体が分かってすっきり」「昔の信仰や技術を調べるきっかけになる」などと注目が集まっている。 県立資料館「紀伊風土記の丘」(和歌山市)によると、高さ約39センチ。頭の両側にとがった耳があり、鋭いくちばしや翼も。ある僧が941年、奈良・大峰山で修行していると、「安産除悪の秘符」とともに天から降ってきたと伝えられる。 江戸時代から明治時代には、山伏がミイラを納めた厨子を背負って各地を巡り御利益を説いた。同県御坊市で行き倒れた山伏が持っていたのを、地元の神社が明治時代から保管してきた。 県工業技術センターが平成19年12月、保存
夜這いの民俗学・性愛編 スポンサード リンク ・夜這いの民俗学・性愛編 ■おおらかだった日本の性 見込み通りの大当たり。赤松啓介は面白い。 柿の木問答。 「あんたとこに柿の木あるの」「ハイ、あります」「よう実がなりますか」「ハイ、ようなります」「わたしが上がって、ちぎってもよろしいか」「ハイ、どうぞちぎってください」「そんならちぎらしてもらいます」 これは後家や近所の主婦が、13か15歳くらいの童貞の子供に性の手ほどきをする際の儀式であったらしい。新婚初夜にも使ったそうだ。はじめてする男女が心を通わせるために、こうした儀式的対話を演出道具のひとつとして使っていたという。 夜這いは男が女の家に侵入して交わって帰ること。相手はころころ変わってよい。お前、昨日、うちのかあちゃんと寝ただろう、とか、うちの妹のとこにもきてやってくれよ、と友人や隣人と普通に会話している男たちがいる。女もあっけらかんと
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