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TDB企業コード:985083108 「東京」 小川テント(株)(資本金6000万円、江東区福住1-14-7、代表新宮豊雄氏)は、10月20日付で事後処理を成田茂弁護士(千代田区有楽町1-7-1、電話03-3215-2470)ほか2名に一任し、自己破産申請の準備に入った。 当社は、1946年(昭和21年)3月設立の大手テントメーカー。戦時中、軍納の縫製加工で発展した小川工業から終戦後の従業員の救済のため、同社の設備類の一部を譲り受け設立したもの。防衛省や地方自治体のほか、民間向けにもイベントスペース等商業施設の天幕やスポーツ施設のドーム、テント倉庫などの大型構造物の建設を手がけるほか、オイルフェンスなどの海洋土木用品、自動車カバーなどの自動車用品、保冷ボックスなどの物流資材、救護用テントやタンカ、各種テント等の販売を行い、1992年(平成4年)3月期末時点の年売上高は、約119億980
下屋敷跡地の有栖川記念公園。下屋敷の美しい庭園が客をもてなす際に有効だと考え、富裕層が邸宅を構えるようになった 画像提供/アフロ 東の田園調布、西の芦屋といえば、高級住宅街の代名詞。ほかにも元麻布や広尾など、高級感漂う街はいくつかあるけれど、これらの街はなぜそうしたイメージをまとうようになったのだろう? 「高級住宅街の成り立ちには2つのパターンがあります。まず、1つ目は、江戸中心部からやや離れたエリアにあった大名の下屋敷跡地を、明治初期になって宅地開発したパターン。当時はそこに邸宅を構えることがステータスでした」 そう答えてくれたのは、都市史研究者の岡本哲志さん。たとえば麻布には伊達家や北条家、広尾には南部家の下屋敷があり、名古屋の白壁には尾張徳川家の武家屋敷があった。いずれも水道設備が整っているなど、利便性を求めて富裕層が居を構えたことが、その後のイメージの源となっているそう。では、
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