山中 浩之 日経ビジネス副編集長 ビジネス誌、パソコン誌などを経て2012年3月から現職。仕事のモットーは「面白くって、ためになり、(ちょっと)くだらない」“オタク”記事を書くことと、記事のタイトルを捻ること。 この著者の記事を見る
テレビ東京アナウンサーの大江麻理子さん(35)が、結婚することになったのだそうで、私の周辺のおっさん界隈は、ちょっとした騒ぎになった。少なくとも、私の属するクラスタにおいて、ここしばらくでは、このニュースが一番大きな話題だった。 「なんと狭隘な世界だろうか」 と思う人もあるだろう。 おっしゃるとおりだ。私は1年の大半と1日のほとんどを、ごく限られた狭い世界で暮らしている。 なぜというに、グローバルな世界には、個人の住むスペースが無いからだ。 仕事の必要や取引上のなりゆきで、われわれは、時に、グローバルな世界とやりとりをしなければならない。 が、そのグローバル・ビジネスマンとて、一個人に戻って、食べたり考えたり笑ったりするためには、小学校の教室よりももっと狭い空間にとじこもらなければならない。 結婚というのも、おそらくは、そういう狭い世界の中のお話だ。 だからこそ、狭いサークルの中の親しい知
東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、東京大学関係者を中心とする日本の専門家や権威には共通する欺瞞に満ちた話法=「東大話法」があると指摘して注目を集めてきた東京大学教授の安冨歩氏。背景には、何にも増して「立場」を重視するという世界的にも特異な日本社会の在り方が大きく影響してきたという。 近著『ジャパン・イズ・バック 安倍政権に見る近代日本「立場主義」の矛盾』では、安倍晋三政権はもはや機能しなくなりつつある「立場主義」を何としても維持したい「立場ある人たち」のものでしかない、必要なのは安倍首相が繰り返し強調する「強い日本」ではなく、状況の変化に柔軟に対応できるしなやかさを持った社会の形成だと強調する。 その安冨氏に安倍政権の本質と、今、日本社会が進むべき方向性とその考え方について聞いた。(聞き手は石黒 千賀子) 安倍晋三政権は昨年末、特定秘密保護法案を衆参両院で可決、この7月
最初に新聞記事を引用する。 《東京都議会の本会議で18日、みんなの党会派の塩村文夏(あやか)議員(35)が、女性の妊娠・出産を巡る都の支援体制について一般質問をしていた際に、男性の声で「早く結婚しろよ」「子供もいないのに」などのヤジが飛んだ。同会派は、議員席からだったとして「公の場でセクハラ発言を受けた」と反発。発言議員を特定し、注意するよう議会運営委員会に申し入れる--略--》(以上:毎日新聞6月19日朝刊。ソースはこちら) 当件については、 「あきれた」 という以上の感想は述べないことにする。 個人的な論評を付け加えてどうなる問題でもないからだ。 感想は、記事を読んだ上でそれぞれの裁量で処理してください。 ゲロ袋も、各自用意してくださるとありがたいです。 どっちにしても、バカにつけるクスリは無い。 バカを覚醒させる薬剤が存在するという話もあるにはある。が、覚醒したバカが無害であるとは限
読者のみなさんは研究者という人種についてどのような印象をお持ちであろうか。「より良い社会の実現」という旗印のもと、その実こっそり個人のロマンを追い求めがちな、気楽でハッピーな時間を過ごす近代のヒッピー。もし身の回りに研究者の友人がいたら、その様な印象をお持ちではないだろうか。 しかし、2012年に米カリフォルニア大学バークレー校のデヴィッド・カード教授らがトップクラスの学術誌「American Economic Review」誌に発表した研究によれば、研究者という職種は常に不幸になり続ける外因的な要因に満ちあふれた不幸な職種であると言える。 2014年5月8日版の「気鋭の論点」では米ニューヨーク大学の川合慶助教授が出張先での研究報告と、その後の飲み会の効用について言及されていた。助教授が書かれたように、本務校を飛び出して「外の空気」を吸うことはそれ自体刺激的であり、同業者とのアイデア交換は
憲法記念日の5月3日、以下のようなツイートがネット内を駆け巡った。 『【拡散!】「戦争ラブな男とはHしない女の会」が立ち上がりました。戦争への道をひた走る安部内閣を支持する男たちに、女たちからNOを!』 (オリジナルのtwitterリンクはこちら→) 告知用のウエブサイトを見に行ってみると、なるほど、いかにもなデザインの会員証の画像がアップされている。 興味のある向きは、リンクをたどって見に行ってみると良い。 どう思うかは人それぞれだろうが。 私は、 「何をバカなことを」 と思った。 今回は、私がこの一風変わった反戦活動に対して投げかけた揶揄のツイートを発端に起こった騒動について書くことにする。 書き終えてみるまで、どういう原稿になるのか、見当がつかない。 大筋としては、現在進行形で起きていることを、順次報告することになると思う。その意味では、一種の身辺雑記と申し上げても良い。が、個人的に
先進国では若者の就職が厳しくなっている。2013年には欧州の若者の4分の1近くが職にあぶれた。だがこの統計の裏にはある矛盾が潜んでいる。コンサルティング会社の米マッキンゼー・アンド・カンパニーで公的部門を担当するマッキンゼー・センター・フォー・ガバメントの新たな報告によれば、新入社員向けのポジションに十分な数の適任な卒業生を確保できていると答えた企業経営者は、全体のわずか5分の2にとどまった。 調査対象となった8カ国(若者層の失業率は単に「高い」から「記録的に悪い」までさまざま)では、平均で経営者の3分の1が「必要なスキルを持つ人材を見つけられないことが深刻な問題だ」と回答している(図を参照)。 この調査結果は、現在の教育システムが提供する教育の内容と企業経営者のニーズがかみ合っていない事実を反映している。機械化が進みテクノロジーが発展すれば、次世代の人間は働くためにより高い能力を身につけ
今年の成人の日は、所用があって、自転車で都内を走り回っていた。 サドルの上から街場の風景を眺めてみるに、成人式に振り袖を着る女子の数は、明らかに増加している。 理由のひとつは、振り袖の値段がリーズナブルになったかららしい。 たしかに、私が新成人だった当時は、和装一式の値段は数十万円が相場だった。 レンタルでさえ、着付けとコミで数万円は下らなかったはずだ。 それがいまは、50万円を超える値段のブツは、むしろ少数派になっているのだそうで、なるほど、そういう意味では、うちの国の経済と文化は、少しずつでも健全化しつつあるということのかもしれない。 そんなことより、前々から私が不思議に思っているのは、成人式に集まる新成人の出席率が、年々高まっているように見えることだ。 聞くところによると、記念品の贈呈が廃止され、式典に費やす予算を節約する自治体が増えているにもかかわらず、成人式への出席率は、平成に入
大阪市立の小中学校で今年度から導入された校長の全国公募に応募し、4月に民間人校長として就任した市立小学校の校長が、25日に退職した。 件の校長は、複数の外資系証券会社に10年以上の勤務経験があるという38歳の男性で、本人は、退職の理由について 《「経験を生かし、英語教育に力を入れたいとアピールしたが、今の学校の課題は基礎学力の向上だった。英語教育に力を注げる環境ではなかった」と説明した。」》(ソースはこちら) というふうに説明しているのだそうだ。 校長を「無責任だ」と責めるのは簡単だ。 事実、無責任ではある。多くの人がそう思うはずだ。 が、問題の本質は、彼自身の個人な責任感とは別のところにある。 というのも、そもそも大阪市が、広く民間に人材を求めたのは、「民間出身者ならではの感覚と能力」を期待したからで、その「感覚と能力」には、当然「見切りの早さ」や「決断の冷徹さ」が含まれていたはずだから
「デジタル革命はいまがちょうど半ば。今後は凄まじいスピードで加速する」「人間はコンピュータに仕事を奪われていく」――。 こんな衝撃的な内容の電子書籍が2011年、“Race Against The Machine"というタイトルで米国で公にされた。 著者は、マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン・スクールのデジタル・ビジネスセンターの所属するエリック・ブリニョルフソンとアンドリュー・マカフィー。 この2人がまとめた近未来の技術と人間に関するこの報告書は、リーマン・ショック後の世界不況からようやく立ち直りつつあった米国国内で大きな話題となり、その反響の大きさから、2012年にはペーパーバック版として出版された。 今回公開するのは、この報告書の邦訳版『機械との競争』の第1章である。 景気回復にあらゆる手を尽くしても、機械が人間の領域を侵食していく限り、雇用の回復は見込めないという「予見」に
トヨタのブースの目玉は、高級車「レクサス」をベースにした“自動走行車”のコンセプトカー。天井とフロントグリルに、むき出しに設置された計器類が目を引く。天井のレーザー機器が周囲360度の障害物を検知し、フロントグリルのレーダーは前方のクルマとの車間距離など走行状況を常時把握。GPS(全地球測位システム)で位置確認しながら自動でハンドルを切る。ドライバーがいなくても完全に自動走行ができるシステムで、既に米ミシガン州で公道実験も始めたという。 国道を行き交う「グーグルカー」 米国では、自動走行車はもはや夢物語ではない。米インターネット検索大手グーグルも昨年9月、開発中の自動走行車を公道で走らせる許可をカリフォルニア州から受けた。今月、カリフォルニアに出張した同僚記者は、サンフランシスコ中心部とグーグル本社のあるマウンテンビューを結ぶ国道101号線で、この「グーグルカー」に2度も遭遇したという。米
今回は、ミスについての話をします。 仕事をしていると、あの人はミスが多い。あるいは、ミスが少ない。 そんな風に周囲から言われていることがあります。ミスという言葉は、どのようなコンテクストで使われているのかによってその意味はことなりますが、今回は、使われるシーンとしては仕事に限定し、ミスの定義として丁寧で正確ではなく仕事が雑であるとの定義の上で考えてみたいと思います。 実際にしょっちゅうミスばかりしている人としない人とがいます。ミスが多いかは、ある程度性格も関係していると思います。緻密なことに向いている人と、非常におおざっぱなことに向いている人というのは確かにあるようです。また、処理能力の高い人はもともとミスが少ないという傾向があります。 だからといっても、ミスが多いのはもともとの性格や能力だからしょうがない。そういって済ませてしまってはいけません。 それでは誰もあなたと仕事をしたいと言って
(前回から読む) 池上:前回は、原発と戦争に対する国民の意識とメディアの姿勢について、加藤陽子先生とその共通点を探りました。原発も戦争も「負けるまで」、私たちは、消極的に、ある部分は積極的に「推進派」だったのかもしれない、ということが見えてきました。 では、今回はなぜ戦争に負けたのか、なぜ原発は事故を起こしたのか、という点について、「庶民」とは反対側、「トップマネジメント」に焦点をあてて考えていきたいと思います。 加藤:現場の情報を正確に迅速にくみ上げて、中長期的な見通しを踏まえたうえで、瞬時に適切な判断を行う。戦争にしろ、原子力発電の運営にしろ、トップマネジメントの成否は、結果を大きく左右するでしょうね。 ところが、トップマネジメントが機能しない状況が、戦時中も今回の事故対応でもいくつもありました。 なぜトップマネジメントが機能しないのか。 原因のひとつに、前のめりの積極主義といった傾向
ここ数日、とあるレアな商品(←内緒だよ)を求めて、都内のショッピングセンターをいくつか巡回していたのだが、目当てのブツは、しかしと言うべきか、やはりと言うべきなのか、見つからなかった。 代わりに、違うものを見つけた。いつもそうだ。私は探しているのとは別のモノを見つける。気がつくと、意図した目的地とは違う場所にたどり着いている。そして、夢に見ていたのとは微妙にズレた感じの人と出会い、予定の人生とは異なった、よりぬかるんだ道を歩むことになるのだ。BGMはロング・アンド・ワインディング・ロード。あるいは、ステアウェイ・トゥー・ヘブン。断じてマイ・ウェイではない。 私が店頭で発見したのは、「ホワイトデーの終焉」だった。ほかにも気づいた人がいるかもしれない。自分の目で売り場を見て回った人は感知したはずだ。それほど、今年のホワイトデー商戦は、ショボかった。 なにより、特設売り場の規模が小さい。例年、エ
京都大学の入学試験中に、問題の一部をインターネットの質問サイトに書き込んでいた受験生が逮捕された。 山形県出身の19歳の予備校生だという。 当件は、ニュースショーのコメンテーターが述べていたように「ハイテク犯罪」と捉えるべき事案なのであろうか。 違うと思う。 凡庸なカンニング事件だ。ハイテクどころか、犯行の手口の随所に粗雑さが露呈している。 スマートフォンもインターネットも、いまどきの受験生にとっては、日常のツールに過ぎない。われら中高年にとってさえ、携帯とネットは既に生活の前提だ。とすれば、靴を履いた人間による犯罪をわざわざ「靴犯罪」と呼ばないのと同じく、インターネットを使った犯罪をあえて「インターネット犯罪」と呼ぶ必然性は、もはや消滅したと考えるべきだ。同様にして、携帯電話を駆使した事件を「ハイテク犯罪」として特別視する理由も無い。 今回は、「ヤフー知恵袋」を利用した不正入試疑惑と、鹿
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 前回チュニジア動乱を「ソーシャル・ネットワーク革命」視したりするのは早計だ、というお話をしましたが、懸念したように隣国に暴動は広まり、この原稿を初校(最初のゲラ)にした日本時間の1月27日時点で、エジプトが大変なことになり始めていました。 エジプト騒乱も「ソーシャル・ネットワーク革命」ではない イスラム教徒にとっての週の祭日は金曜日で、モスクでの昼の礼拝と集会がコミュニティを1つにまとめます。日本時間で27日の夕方、金曜集会が終わった後、人々は誰が誘うともなく政府に疑問を呈するデモに参加し、ムバラク大統領の退陣を求める群集の運動がやがて騒乱となってしまいました。 週末にかけてエジプト・アラブ共和国は前代未聞の「携帯電話・インターネット鎖国状態
日直のチノボーシカです。この連載でやってきたことを、前回と今回、おさらいしています。 最終回である今回は、作家の「仕事」とその顧客について、おさらいします。 前回触れた、「みんながおもしろいと思うコンテンツがいいコンテンツ」と主張する人たちだが、この人たちが好みを語るときに必ず嵌まるトラップがある、というお話。最後なので、いつもよりちょっとだけ長いです。 取りあげるパターンは3つ。 「みんながおもしろいと思うコンテンツがいいコンテンツ」と主張する読者。 「マニアックな小説は読者のことを考えていない、作家の自己満足だから、読者にサーヴィスする文学のほうが偉い」と主張する読者。 「マニアックな小説は読者のことを考えていない、作家の自己満足だから、読者にサーヴィスする文学のほうが偉い」と主張する作家。 の3本です(『サザエさん』ふう)。 100回という長期の連載でしたが、ある意味今回だけ読んでれ
やっぱり“王子”は、さわやかだった。 「僕はずっと何かを持っていると言われてきました。その“何か”が、今日分かりました。それは……仲間です!」 その瞬間、老若男女を問わず、恐らく日本中の人たちが、「さっすが~!」と、早稲田大学野球部の斎藤佑樹選手の完璧な一言に感心したに違いない。 だって、実力もあれば、顔も良い。おまけに性格まで良かったのだ。あの場で、あの雰囲気で、“仲間”と言い切ったさわやかさ。文句のつけようがない好青年だ。 思い起こせば、サッカーのワールドカップ南アフリカ大会でベスト16入りした時の日本代表の選手たちもそうだった。彼らは口々に、“仲間”の大切さを語り、彼らの“仲間”という言葉に、「やっぱり日本人はこうでなきゃ」とオトナたちは感動した。 そして、PKを失敗した駒野友一選手に寄り添う“仲間”たちの姿に、「仲間っていいよなぁ」と胸を熱くした。 特に最近は、きずなだ、つながりだ
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