タグ

ブックマーク / sugitasyunsuke.hatenablog.com (3)

  • バックラッシュ、とすら呼べないような - sugitasyunsukeの日記

    赤木智弘さんや白井勝美さんなどの経済弱者系の当事者を読んでいると、女性に対する物の見方にぎょっとさせられることがある。バックラッシュというのですらないような、不気味なほどの保守的な女性観。労働運動や反貧困運動をしている人からも、あまり表立っては批判されないようだ。ぼくにとっては、経済的な貧困の話と性の話は、切り離せないものなので、素朴に不思議に思う。もっとも新左翼にせよ青い芝にせよ、男性の左翼運動の歴史は性暴力の歴史なのかもしれないが……(この辺は『フリーター論争2.0』の4章などでかなりソリッドな議論がされています)。女性の権利運動・リブ・フェミ歴史の蓄積があり、一般の男性には広まらなかったとは言えメンズリブや男性学、あるいはクィアなどの歴史もあるのに。そういう問題を考える余裕がないから経済弱者なのだ、動物的生=性を送らざるをえないのだ、ということなのかもしれないけど、いくらなんでも

    バックラッシュ、とすら呼べないような - sugitasyunsukeの日記
  • 当事者を/として批評すること - sugitasyunsukeの日記

    上山さんの周辺がずいぶん陰惨なことになっている。 http://d.hatena.ne.jp/gojopost/20080520 http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20080522 ぼくはここにある個人的なデジャヴを覚える。 その上で、font-daさんの「当事者」論を、ある痛さと共に読んだ。 http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080519 《当事者は「自分の身に起きた不幸」を晒す。その不幸は、当に不幸である。だからこそ、不幸がパワーになる。逆に、幸福になることは、パワーを手放すことになる。つまり不幸を手放すことは、せっかく当事者として生きていく道を掴んだのに、それを捨てることである。 上山さんの指摘する、ひきこもり当事者の長いキャリアが持つインパクトの、相反する2側面と重なる問題である。上山さんの長いひきこもりは不幸である。し

    当事者を/として批評すること - sugitasyunsukeの日記
    rAdio
    rAdio 2008/05/25
  • フリーターに関する20のテーゼ - sugitasyunsukeの日記

    【1】日型のフリーター労働者は、ある種の「階層」である。 【2】1980年頃から、国際的に若年不安定労働層が大量に生み出され、今も増加し続けている。 日型フリーターは、働きながら潜在的には永続的な失業状態にある。フリーター/ニートひきこもり/不登校者/野宿者…は、社会構造上はごく近いポジションにある。フリーターの数は、資と国家の流れに従う限り、今後も確実に増え続ける。この流れは、放っておいてはい止められない。 【3】若年労働者は今後間違いなく、一部の「勝ち組」と大多数の「負け組」へと二極化してゆく。 それだけではない。フリーターの内側にも「勝ち組」と「負け組」が分岐する。資・多国籍企業・国家の側は、意図的にこの二極化の流れを推し進めている。 【4】フリーターの一定部分は、このままでは野宿生活者化するだろう。 現時点でフリーターが野宿生活に「転落」せずに済むのは、その多くが自分の

    フリーターに関する20のテーゼ - sugitasyunsukeの日記
    rAdio
    rAdio 2005/09/12
  • 1