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作家に関するr_chatnoirのブックマーク (76)

  • 平井美帆 WEBSITE

    ノンフィクション作家・平井美帆 オフィシャルウェブサイト Welcome to Nonfiction Author, Miho Hirai’s Official Website. 2021年度 (第19回) 開高健ノンフィクション賞受賞 『ソ連兵へ差し出された娘たち──証言・満州黒川開拓団』 NEW!2023年4月21日 ▶ 第54回大宅壮一ノンフィクション賞(2023年)4候補作にノミネート 残念ながら受賞にはいたりませんでしたが、大宅壮一ノンフィクション賞の候補作に選ばれて光栄です。 私はこの出来事を知った時、またその後報道されるようになってからも、「何かおかしい、違う」という引っ掛かりをどうしても流せませんでした。今回のノミネートは、私だけの力ではなく、私を信じ、ときには励まし、心を開いてくれた方々のおかげです。「もうすぐ私の人生、終わっちゃうよ」などと言いながら、真実と音を打ち明

  • 加藤幸子 (作家) - Wikipedia

    農林技師の子として、父の勤務先であった北海道札幌市に生まれる。両親ともに東京の出身[2]。父の仕事の関係で5歳から11歳までを北京で過ごし[3]、戦後日に引き揚げた後は東京都世田谷区の祖父の加藤武夫宅で育つ。恵泉女学園高等学校2年の時、同居していた叔父加藤道夫が自殺して大きな衝撃を受ける。北海道大学農学部卒業後、農林省農業技術研究所・日自然保護協会勤務を経て、1972~89年自然観察会代表。 1982年、「野餓鬼のいた村」で新潮新人賞受賞、続いて1982年下半期(1983年1月)、「夢の壁」で芥川賞受賞。1991年、『尾崎翠の感覚世界』で芸術選奨文部大臣賞受賞、2002年、『長江』で毎日芸術賞受賞。自然と人間の共生を主要なテーマとする。2013年には未知谷より『加藤幸子自選作品集』全5巻が刊行された。 野鳥愛好家としても知られ、日野鳥の会理事を務め、東京港野鳥公園の設立にも尽力した[

  • O介通信

    それだけで十分な気がするが、 は、怒りを溜めることもなく、復讐もしない。(するだろうか?) だからということでいいと思うが、死刑制度がない。 — kazumasa oga (@_oga) Mar 5, 2024

    O介通信
  • ギュンター・グラス - Wikipedia

    ギュンター・グラス(Günter Grass、1927年10月16日 - 2015年4月13日)は、ドイツの現代小説家、劇作家、版画家、彫刻家。代表作に『ブリキの太鼓』、『ひらめ』、『女ねずみ』、『はてしなき荒野』などがある。1999年にノーベル文学賞受賞。 ギュンター・グラスは1927年、ダンツィヒ[注釈 1]で生まれた。父はドイツ人の料品店主、母は西スラヴ系少数民族のカシューブ人。幼少年時代をナチスの狂気に踏み躙られ、戦闘で同世代の仲間の半数を失い、アメリカ軍の捕虜になり、故郷ダンツィヒを失う。これがグラスの原体験である。偶然にも戦争を生き延び、戦後の混乱期を独力で生き抜いてきたグラスが、死者と未来の人々に対し過去の狂気を再現してはならないという使命感を抱き、常に政治的であり続けるのはしごく尤もなことである。戦後、デュッセルドルフで彫刻家・石工として生計をたてながら美術学校に通い、詩

    ギュンター・グラス - Wikipedia
  • 小沢信男 - Wikipedia

    東京市(現東京都港区)新橋出身。 1947年東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を卒業。日大学芸術学部に進学し、在学中に「新日文学」に参加。「江古田文学」に掲載された「新東京感傷散歩」が花田清輝に認められる。 卒業後、小説・詩・戯曲・評論・俳句・ルポルタージュなど多岐にわたる執筆活動を展開し、著書多数。特に、東京・犯罪などの研究・執筆において、先駆者的な仕事をしている。 上野のタウン雑誌「うえの」の編集者をつとめた[1]。 2000年に『裸の大将一代記 - 山下清の見た夢』で桑原武夫学芸賞受賞。 2021年3月3日、CO2ナルコーシスのため東京都千代田区の病院で死去した[2]。93歳没。 『わが忘れなば 短編集』(晶文社) 1965 『ドキュメント 犯罪の主役たち』(三一新書) 1968 『小説昭和十一年』(三省堂) 1969 『ドキュメント 悪女』(三一新書) 1970 『若

  • 無名小説 -白井明大の詩のホームページ-

    『日の憲法 最初の話』が単行になりました おかげさまで、昨年の憲法記念日に発行したフリーペーパー『日の憲法 最初の話』を元に、同名タイトルの単行として『日の憲法 最初の話』(KADOKAWA刊)を上梓することができました。 フリーペーパーは、日国憲法の前文を詩訳した冊子ですが、単行では、基的人権の総論や精神的自由権、社会権に関する憲法の条文や、関連する法律、条約、判決文、ひいては国連スピーチや、平和主義についての憲法の学説、歴史的な人権宣言などを詩訳して収録しました。「憲法という約束」などのテーマでコラムも書いています。 ジェンダー平等や、働く人の権利、子どもの人権、原発運転差止判決、障害者の権利、核兵器禁止、地球環境などに関わる、広い意味での〈法〉を一つ一つ詩に訳しながら考えていたのは、これらはすべて同じ根でつながっているんだ、ということでした。つまり、一人一人の人間の命

  • いしいしんじのごはん日記

    2018年05月30日(水) 珍しくお酒が残る午前中。ずっと雨だったからかもしれない。ひとひを見送ったあと2階の机の前でボー、ボー、ボー・・・アチチ、燃えとるがな! 秋に公演があるお芝居の台なんとなく考え、「みせがたり」なんとなく書きだし、「源氏物語」のことも考え、ミシマガジン「きんじよ」のことも考える。あ、オートスポーツもやらな! お昼は園子さんによるタイカレー。3時過ぎにひとひ帰ってきて、オヤツ、宿題。ミシマ社にいって昨日描きかけだったARTAのイラストを終わらせる。絵柄は、オートスポーツの前回、鈴鹿300キロでARTAが優勝した記念号のカバー写真をそのまま使い、見出しは「のじりさん、カレーでおなかいっぱい!」とか、ひとひ流にアレンジしたある。これがほんますばらしい。小学生が描いたんかこれ、ほんま? よく見て描く、手をゆっくりていねいに動かす、筆記具によって描き方を変える、などなど、

  • 丸山健二のブログ

    がたくさん売れるという、商売としては甚だ魅力的な出版業も、その黄金時代は関係者が思いこんでいたほど長つづきせず、ましてや永遠の芸術にはほど遠く、娯楽の少ない時代にその穴埋めをしてくれたという、その程度の軽薄な代物でしかなく、経済的繁栄と科学の発達によって、あらぬ夢と憧れを貪るしかない、何もなかった時代が遠のくと、つまり、ビジュアルの文化が台頭してくると、それしきのやっつけ作品や、劣等意識の裏返しでしかない憧れが見え見えの、ために、むしろ読んでいる途中で滑稽に感じ、作者のお粗末な憧憬が悲しく思えてしまう文学なるものが、馬鹿馬鹿しくなり、映像によってがっちりと補強されたナルシシズムへと流れて行ってしまい、あとに残った読み手は、稚拙であればあるほどそのナルシシズムにのめり込んでゆく、自己逃避型、現実逃避型の異常にして異様な者だけとなったのです。 要するに、これまでの文学と称するものは、よくよく

  • tupera tupera(ツペラ ツペラ)

    イラストレーション・ロゴマーク・TVや舞台、空間のアートディレクションなど、これまで手掛けてきた様々な仕事の紹介です。

    tupera tupera(ツペラ ツペラ)
  • 池澤夏樹さんに聞く、本と出版のこれから

    昨年3月11日に起きた東日大震災の後、作家の池澤夏樹さんは『楽しい終末』という電子書籍として復刊した。人類が手にした核をはじめとするテクノロジーは、私達をどこへ連れて行くのか。「楽しい」という語と「終末」という語の組み合わせに少し戸惑ったが、私はこのを読んで池澤さんに話を伺いたいと思った。たんなる旧著の復刻にとどまらず、このを震災後のいまこそ読者に届けたい、という「出版」への志を感じたからだ。 ご多忙のなか、昨年のうちに快く取材に応じていただいたにもかかわらず、編集に手間取り、掲載時期がかなり遅れてしまったが、あの震災から一年という節目に、あらためてこのが多くの方に読まれることを期待して、池澤さんへのインタビュー記事をお届けする。(インタビュー・構成:仲俣暁生) 「これなら読める」 ――まず、『楽しい終末』を電子書籍化することになった経緯からお聞かせください。 池澤 非常に俗な

    r_chatnoir
    r_chatnoir 2013/02/06
    写真のオリジナルデータも、注をつけるための材料も、それらを全部いれこんで重層的なテキストにしたら…。
  • 北畠八穂 - Wikipedia

    この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "北畠八穂" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2022年8月) 10人きょうだいの6番目の次女として青森市に生まれる。父は青森大林区署の役人。 1920年(大正9年)、青森県立青森高等女学校(現在の青森県立青森高等学校)在学中、『主婦の友』『婦人倶楽部』に投稿して入選を果たす。1922年、高等女学校卒業後に上京し、実践女学校高等女学部国文専攻科に入学したが、脊椎カリエスを病んだため1年半で中退し、青森に帰郷。 恢復後、1924年(大正13年)から青森県内の複数の尋常小学校に代用教員として勤務。しかし脊椎カリエスが再発したため

    北畠八穂 - Wikipedia
    r_chatnoir
    r_chatnoir 2013/02/06
    児童文学
  • 深田久弥 - Wikipedia

    1954年ごろ 深田 久弥(深田 久彌、ふかだ / ふかた[注釈 1] きゅうや、1903年〈明治36年〉3月11日 - 1971年〈昭和46年〉3月21日)は、石川県大聖寺町(現・加賀市)生まれの小説家、随筆家および登山家、チベット・ヒマラヤ研究家である。 概要[編集] 戦前は小説家、編集者として活躍し、戦後は主に山やスキーに関する随筆をもって著名がある。山をこよなく愛し、読売文学賞を受賞した著書『日百名山』は特に良く知られている。俳号も山の入った九山であり(愛称である「久さん」のもじりで、荏草句会の永井龍男による命名)、自宅の書斎を兼ねた書庫には「九山山房」の名があり、山房の主とも称した。1971年(昭和46年)3月21日、登山中の茅ヶ岳山頂直下で脳卒中のため68歳で死去。その場所には『深田久弥先生終焉の地』と表記された石碑が立っている。命日の3月21日は「九山忌」と称される。「深田

    深田久弥 - Wikipedia
    r_chatnoir
    r_chatnoir 2013/02/06
    なのかな。
  • 山本有三 - Wikipedia

    有三(やまもと ゆうぞう、1887年〈明治20年〉7月27日 - 1974年〈昭和49年〉1月11日)は、大正から昭和にかけて活躍した日小説家、劇作家、政治家[2]。名:山 勇造(やまもと ゆうぞう)。日芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 人道的な社会劇作家として名を成し、『嬰児殺し』『坂崎出羽守』『同志の人々』などを発表。その後、小説に転じて『波』『女の一生』『真実一路』『路傍の石』などを書き、理想主義の立場から人生の意味を平明な文体で問いかけた作風で広く読まれた。 第二次世界大戦後は貴族院勅選議員。のち参議院議員として新仮名遣い制定など国語国字問題に尽力した。 呉服商の子として栃木県下都賀郡栃木町(現在の栃木市)に生まれる。跡取り息子として裕福に育ち[3]、高等小学校卒業後、父親の命で一旦東京浅草の呉服商に奉公に出されるが、一度は逃げ出して故郷に戻る。上級学校への

    山本有三 - Wikipedia
    r_chatnoir
    r_chatnoir 2013/02/04
    で政治家
  • 久米正雄 - Wikipedia

    久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日)は、日小説家、劇作家、俳人。俳号は三汀(さんてい)。“微苦笑”という語の造語者として有名。 芥川龍之介らと第三、四次「新思潮」同人となる。理知的な作風から、のち感傷的作風の通俗小説に転じた。作品に戯曲『牛乳屋の兄弟』(1914年)、小説『受験生の手記』(1918年)、『破船』(1922年)など。 永井龍男は義弟(永井のが久米のの妹)。 長野県上田市生まれ。父・由太郎は江戸出身で町立上田尋常高等小学校(現在の上田市立清明小学校)の校長として上田に赴任し、正雄が生まれた。父は1898年(明治31年)に小学校で起きた火災によって明治天皇の御真影を焼いてしまった責任を負って割腹自殺した[1]。このため、正雄は母・幸子の故郷である福島県安積郡桑野村で育つ。母方の祖父・立岩一郎は中條政恒ととも

    久米正雄 - Wikipedia
  • 松岡譲 - Wikipedia

    新潟県古志郡石坂村大字鷺巣(現長岡市鷺巣町)出身。父親は真宗大谷派松岡山覚寺の僧侶。旧制長岡中学では、同級生に詩人・フランス文学者となる堀口大學がいた。 来なら父を継いで僧侶になるべき立場だったが、幼い頃から仏門の腐敗を目の当たりにして育ち、生家に強く反撥した。第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科に在学中、夏目漱石の門人となる。久米正雄、山有三、菊池寛、佐野文夫ら学友と1914年に第3次『新思潮』、1916年に第4次『新思潮』を創刊した[1]。寺院を継ぐことを拒否し、かねてから筆名として用いた譲を戸籍名とした。大学は一年留年。実家との関係からの神経衰弱とも、娼館に入り浸りなのを心配した実家に連れ戻されたためとも言われる。自伝小説である『法城を護る人々』の初期稿には遊女との恋愛をしたという記述がある。 漱石の長女筆子との愛を巡って、親友の久米正雄と離反する(久米の求婚を内諾した筆

    松岡譲 - Wikipedia
    r_chatnoir
    r_chatnoir 2013/02/04
    国文
  • 集英社 出版四賞

    N E W S 2024/9/18第37回小説すばる新人賞は須藤アンナさんの『グッナイ・ナタリー・クローバー』に決定致しました。 2024/9/3第48回すばる文学賞は樋口六華さんの『 泡 あぶく の子』、佳作に新崎瞳さんの『ダンスはへんなほうがいい』が決定致しました。 2024/7/13第22回開高健ノンフィクション賞は窪田新之助さんの『対馬の海に沈む』に決定致しました。

    集英社 出版四賞
  • ノンフィクション作家 廣川まさき・オフィシャルウエブサイト

  • 松井今朝子ホームページ

    今日のQPで見た料理。粗みじん切りした玉ネギと角切りにしたトマトとピーマンをオリーブ油ハチミツ塩白ワインビネガーでマリネしておく。三枚におろしてべやすい大きさに削ぎ切りしたアジを塩胡椒し、薄力粉をまぶしてオリーブ油で揚げ焼きにして先に作っておいた夏野菜マリネをトッピング。思ったよりカンタンにできてオイシイのでオススメ!ただしワタシは三枚おろしを魚売場の職人さんにお願いしましたけど(^^ゞ 事しながら観たのはグリーンチャンネルの障害馬術決勝戦だったが、昨日今日はとてもオリンピックどころではない!という気持ちの方も多かったのではなかろうか。何せ株価の乱高下が激し過ぎて、けさのワールドニュースでもアジア各局が一様にこのアジア市場における問題を大きく取りあげ、日の金利引き上げが強く響いたと指摘する局もあった。ただ日米共にこの間ず〜っとバブル的な株価高騰を示していたから、いずれ暴落は時間の問題

  • 稲泉連 - Wikipedia

    東京生まれ[3]。高校中退後、大学入学資格検定を経て早稲田大学に1997年入学[1][2]、2002年第二文学部を卒業[1][4]。月刊『文藝春秋』1997年10月号に掲載された『僕が学校を辞めると言った日』により、第59回文藝春秋読者賞受賞[5]。 2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』で第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞[3][4]。当時26歳で最年少の受賞者となった[6]。 第21回(1990年)大宅壮一ノンフィクション賞受賞のノンフィクション作家、久田恵は母親であり、親子での受賞は初めてである[7]。 『僕の高校中退マニュアル』文藝春秋、1998年 『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』文藝春秋、2001年。文春文庫、2007年 『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』中央公論新社、2004年。中公文庫、2007年 『仕事漂流 就職氷河

  • 小路幸也 - Wikipedia

    小路 幸也(しょうじ ゆきや、1961年[1] - )は、日小説家。北海道旭川市出身。2002年、「空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction」により第29回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。北海道江別市在住[1]。 北海道旭川市生まれ[1]。デビュー作「空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction」の舞台でもある旭川市パルプ町で少年期を過ごす。 旭川工業高等専門学校化学科三年次中退[2][3]。学生時代は仲間とバンドを組み、ミュージシャンの夢を追いかけるが、24歳の時にひとつの区切りとして、札幌の広告制作会社へ就職する。ライター、エディター、プランナーとして勤務する傍ら、「自分だけのものを創りたい」という思いから小説を書き始め、30歳の誕生日に「職業として」の作家を志す。 38歳の時にゲームシナリオの執筆に参加したことをきっかけに14年勤務し