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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (53)

  • 中谷宇吉郎 天災は忘れた頃来る

    今日は二百二十日だが、九月一日の関東大震災記念日や、二百十日から、この日にかけては、寅彦(とらひこ)先生の名言「天災は忘れた頃来る」という言葉が、いくつかの新聞に必ず引用されることになっている。 ところで、よく聞かれるのであるが、この言葉は、先生のどの随筆にあるのかが、問題になっている。寅彦のファンは日中にたくさんあって、先生の全集は隅(すみ)から隅まで、何回となく繰り返して読んだという熱心な人がよくある。そういう人から、どうもおかしいが、この言葉は、どこにも見当らない。一体どこにあるのか、という質問をよく受ける。 実はこの言葉は、先生の書かれたものの中には、ないのである。しかし話の間には、しばしば出た言葉で、かつ先生の代表的な随筆の一つとされている「天災と国防」の中には、これと全く同じことが、少しちがった表現で出ている。 それで私も、この言葉が先生の書かれたものの中にあるものと思い込ん

  • 添田唖蝉坊 乞はない乞食

    指がなくて三味線を弾く男 浅草に現はれる乞は、みなそれぞれに風格を具へてゐるので愉快である。乞といふ称呼をもってする事は、この諸君に対してはソグハないやうな気がするくらいだ。いかにこれらの諸君が人生の芸術家であるか、また、浅草を彩るカビの華であるかといふことについて語らう。 浅草といふ舞台には、かかる登場者が順次に現はれ、消えてゆく。 指がなくて三味線を弾く男――。彼はロハベンチに腰を掛けてゐる。左の手の指が四ない。残った拇指で、煙管の半分に折れた吸口の方を挟み、その吸口の膨れた部分、凹んだ部分を巧みに利用して絃(いと)をおさへる。バチの代りにマッチの棒で弾く。 離れて聴いてゐると、普通に弾いてゐるのとちっとも変りがない。一ぱいの人だかり、みんな感心して煙管の動きを目で追ひ、熱心に聴いてゐる。中には彼と同じベンチに彼に寄り添ふやうに腰かけてゐるものもある。「立山」を一つ弾いてから、

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    r_coppelia 2012/12/30
    "宇宙が丸いものか四角いものか知ってる者はまだ誰もありはしない。だから人間は嘘をついても大丈夫だ。博士だとか教授だとかいふ者はみんな嘘をついておまんまにありついてゐるのだね"
  • 新渡戸稲造 イエスキリストの友誼

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    r_coppelia 2012/10/17
    "二ツの棒が互に相支えて行くのだ。これが人間である。人という文字は学術的に旨(うま)く出来ているのみならず能(よ)く人情をも尽している者と思うている"
  • 寺田寅彦 夏目漱石先生の追憶

    (くまもと)第五高等学校在学中第二学年の学年試験の終わったころの事である。同県学生のうちで試験を「しくじったらしい」二三人のためにそれぞれの受け持ちの先生がたの私宅を歴訪していわゆる「点をもらう」ための運動委員が選ばれた時に、自分も幸か不幸かその一員にされてしまった。その時に夏目先生の英語をしくじったというのが自分の親類つづきの男で、それが家が貧しくて人から学資の支給を受けていたので、もしや落第するとそれきりその支給を断たれる恐れがあったのである。 初めて尋ねた先生の家は白川(しらかわ)の河畔で、藤崎神社(ふじさきじんじゃ)の近くの閑静な町であった。「点をもらいに」来る生徒には断然玄関払いをわせる先生もあったが、夏目先生は平気で快く会ってくれた。そうして委細の泣き言の陳述を黙って聞いてくれたが、もちろん点をくれるともくれないとも言われるはずはなかった。とにかくこの重大な委員の使命を果

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    r_coppelia 2012/08/14
    "学校で古いフィロソフィカル・マガジンを見ていたらレヴェレンド・ハウトンという人の「首つりの力学」を論じた珍しい論文が見つかったので先生に報告したら、それはおもしろいから見せろというので学校から借りて"
  • 知里真志保編訳 えぞおばけ列伝

    屋内に独りいると突然炉の中でポアと音を発する.するとあちらでもポア,こちらでもポアとさいげんがない.臭くてかなわない.そういう際には,こっちでも負けずにポアと放してやれば,恐れ入って退散する.あいにくと臭いのが間に合わぬときは,ポアと口真似するだけでも退散するというから,このおばけ案外に気はやさしいのかもしれぬ.名は「オッケオヤシ(1)」(屁っぴりおばけ),または「オッケルイペ(2)」(屁っこき野郎)という. 前記の「屁っぴりおばけ」というのは樺太アイヌの日常生活や説話の中に出てくるおばけである.おばけなどというよりは,おやじと呼びたいくらい邪気のないおばけだ.このおやじの放屁の偉力を示す説話をひとつ,次に紹介しておく. ヤイレスポ(3)とパーリオンナイ(4)が隣りあって住んでいた. ある日パーリオンナイは部下を連れて舟をつくりに川上へのぼって行き,舟をつくりあげてそれに乗って下って来ると

  • 坂口安吾 ラムネ氏のこと

    上 小林秀雄と島木健作が小田原へ鮎釣りに来て、三好達治の家で鮎を肴に事のうち、談たま/\ラムネに及んで、ラムネの玉がチョロ/\と吹きあげられて蓋になるのを発明した奴が、あれ一つ発明したゞけで往生を遂げてしまつたとすれば、をかしな奴だと小林が言ふ。 すると三好が居ずまひを正して我々を見渡しながら、ラムネの玉を発明した人の名前は分つてゐるぜ、と言ひだした。 ラムネは一般にレモネードの訛(なまり)だと言はれてゐるが、さうぢやない。ラムネはラムネー氏なる人物が発明に及んだからラムネと言ふ。これはフランスの辞書にもちやんと載つてゐる事実なのだ、と自信満々たる断言なのである。早速ありあはせの辞書を調べたが、ラムネー氏は現れない。ラムネの玉にラムネー氏とは話が巧すぎるといふので三人大笑したが、三好達治は憤然として、うちの字引が悪いのだ、プチ・ラルッスに載つてゐるのを見たことがあると、決戦を後日に残して

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    r_coppelia 2011/09/10
    ラムネの蓋の機構を発明したのは Hiram Codd 氏。 http://en.wikipedia.org/wiki/Hiram_Codd 思いおく。ラムネの瓶に、ふぐの汁。ふっくらぼぼに、どぶろくの味。
  • 河上肇 貧乏物語

    序 この物語は、最初余が、大正五年九月十一日より同年十二月二十六日にわたり、断続して大阪(おおさか)朝日新聞に載せてもらったそのままのものである。今これを一冊子にまとめて公にせんとするに当たり、余は幾度かこれが訂正増補を企てたれども、筆を入るれば入るるほど統一が破れて襤褸(ぼろ)が出る感じがするので、一二文字の末を改めたほかは、いったん加筆した部分もすべて取り消して、ただ各項の下へ掲載された新聞紙の月日を記入するにとどめておいた。ただし貧乏線を論ずるのちなみに額田(ぬかだ)博士の著書を批評した一節は、その後同博士の説明を聞くに及び、余にも誤解ありしを免れずと信ずるに至りしがゆえに、これを削除してやむなくその跡へ他の記事を填充(てんじゅう)し、また英国の事公給条例のことを述べし項下には、事のついでと思って、この条例の全文を追加しておいた。ただこの二個所がおもなる加筆であるが、しかしそれでさ

  • 織田作之助 武田麟太郎追悼

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    r_coppelia 2010/12/13
    "武田さんはよくデマを飛ばして喜んでいた。南方に行った頃、武田麟太郎が鰐に食われて死んだという噂がひろがった。私は本当にしなかった。武田麟太郎が鰐を食ったのなら判るが"
  • 坂口安吾 ちかごろの酒の話

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    r_coppelia 2010/12/13
    "良心にかけたオイシイ物を、さうむさぼらずに、自己満足を第一にして、心たのしくサービスするやうな気質的な生き方が必要だ。文化には、さういふものの裏附けがなければ、文明開化も死物にすぎない。"
  • 海野十三 海底都市

  • 海野十三:国際殺人団の崩壊

    作者(わたくし)は、此(こ)の一篇を公(おおやけ)にするのに、幾分の躊躇(ちゅうちょ)を感じないわけには行かないのだ。それというのも、実(じつ)は此の一篇の筋は作者が空想の上から捏(こ)ねあげたものではなく、作者の親しい亡友(ぼうゆう)Mが、其の死後に語ってきかせて呉(く)れたものなのである。亡友(ぼうゆう)Mについては、いずれ此の物語を読んでゆかれるうちに諸君は、それがどのような人物で、どのような死に方をしたのであるか、おいおいとお判りになってくれることであろう。それにしても「死後に語ってきかせたもの」などと言うのは大変可笑(おか)しいことに聞えるかも知れないが、これも事情を申して置かねばならないことであるが、諸君もかねてお聞きおよびかと思う例の心霊(しんれい)研究会で、有名なるN女史という霊媒(れいばい)を通じて、作者がその亡友から聞いた告白なのである。その告白は、実に容易ならざる国

  • 寺田寅彦 丸善と三越

    子供の時分から「丸善(まるぜん)」という名前は一種特別な余韻をもって自分の耳に響いたものである。田舎(いなか)の小都会の小さな書店には気のきいた洋書などはもとよりなかった、何か少し特別な書物でもほしいと言うと番頭はさっそく丸善へ注文してやりますと言った。中学時代の自分の頭には実際丸善というものに対する一種の憧憬(どうけい)のようなものが潜んでいたのである。注文してから書物が到着するまでの数日間は何事よりも重大な期待となんとも知らぬ一種の不安の戦いであった。そしてそれが到着した時に感じたあの鋭い歓喜の情はもはや二度と味わう事のできない少年時代の思い出である。 東京へ出るようになってからは時々この丸善の二階に上がって棚(たな)の書物をすみからすみへと見て行くのが楽しみの一つであった。ほしいはたくさんあっても財布(さいふ)の中はいつも乏しかった。しかしただ書棚の中に並んでいる書物の名をガラス戸

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    r_coppelia 2010/11/23
    「例のP君」が良い感じ。
  • 違星北斗 北斗帖

    私の短歌 私の歌はいつも論説の二三句を並べた様にゴツゴツしたもの許りである。叙景的なものは至って少ない。一体どうした訳だろう。 公平無私とかありのまゝにとかを常に主張する自分だのに、歌に現われた所は全くアイヌの宣伝と弁明とに他ならない。それには幾多の情実もあるが、結局現代社会の欠陥が然らしめるのだ。そして住み心地よい北海道、争闘のない世界たらしめたい念願が迸り出るからである。殊更に作る心算で個性を無視した虚偽なものは歌いたくないのだ。 はしたないアイヌだけれど日のに 生れ合せた幸福を知る 滅び行くアイヌの為に起つアイヌ 違星北斗の瞳輝く 我はたゞアイヌであると自覚して 正しき道を踏めばよいのだ 新聞でアイヌの記事を読む毎に 切に苦しき我が思かな 今時のアイヌは純でなくなった 憧憬のコタンに悔ゆる此の頃 アイヌとして生きて死にたい願もて アイヌ絵を描く淋しい心 天地に伸びよ 栄えよ 誠もて

  • 寺田寅彦 新春偶語

  • 坂口安吾 安吾人生案内 その一〔判官巷を往く〕

    まえがき 仕事の用で旅にでることが多いので、その期間の新聞を読み損うことが少くない。旅から戻ってきて、たまった古新聞を一々見る気持にもならないので、いろいろの重大ニュースを知らずに過していることがある。 そんな次第で、オール読物の編輯部からきた三ツの手記のうち、二ツの出来事はちょうど私が旅行中で、知らなかったものである。もっとも、一ツはラジオの社会の窓だそうだが、ラジオが探訪する以上は直前に新聞記事でもあったはずだ。 はじめの相談では、月々の今日的な出来事、主として犯罪の犯人の手記にもとづく社会時評というのであったが、こうして手記を読んでみると、どう扱ってよいのか、甚だしく困惑するのである。なるほど、人の手記であるから、人といえばカケガエのないものだが、その手記がカケガエがないとは限らない。人間の仕でかすことは、個性的なもので、その人だけの特別な何かがある筈のものゝ、それについて説くの

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    r_coppelia 2010/01/22
    "近ごろは自殺といえばアドルムであるからジャックナイフでも自殺ができるということをこの節の少年は気がつかないのかも知れんな。"
  • 死ね! (豊島 与志雄)

    この作品を含む以下の作品は、「道化役」(言海書房、1935(昭和10)年4月発行)が初収録単行である。他には以下の作品が収録されている。(門田裕志) 「女客一週間」 「立枯れ」 「死の前後」 「常識」 「慾」 「千代次の驚き」 「道化役」 「別れの辞」 「死ね!」 「椎の木」 ※公開に至っていない場合は、リンクが機能しません。

    死ね! (豊島 与志雄)
  • 豊島与志雄 ばかな汽車

    ――長いあいだ汽車の機関手(きかんしゅ)をしていた人が、次(つぎ)のような話をきかせました。―― * 汽車の機関手(きかんしゅ)をしていますと、面白(おもしろ)いことや、あぶないことや、つらいことや、それはずいぶんいろんなことがありますが、そのうちでかわった話というのは―― そうですね……もうずっと昔(むかし)のことです。汽車をうんてんして、ある山奥(おく)を、夜中(よなか)に走っていました。機関車(きかんしゃ)の前の方の小窓(こまど)からのぞきますと、右手はふかくしげった山のふもとで、左手には小さな谷川がながれていまして、二のレールがあおじろくまっすぐにつづいています。その上を、汽車(きしゃ)は速力(そくりょく)をまして走っています。後(うしろ)の方につづいてる車では、もう乗(の)ってるお客(きゃく)たちもたいていうとうとと眠(ねむ)ってる頃(ころ)で、あたりはしいんとした山の中の夜で

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    r_coppelia 2010/01/22
    "ばかだな、お前は……。ばけるものにことをかいて、汽車にばけるとはなんということだ。もし衝突でもしたら、お前はこなみじんになってしまうぞ。これから、もっと気のきいたものに、危くない者にばけるようにしろ
  • 海野十三 千年後の世界

    冷凍死 若き野心にみちた科学者フルハタは、棺の中に目ざめてから、もう七日になる。 「どうしたのかなあ。もう棺の蓋を、こつこつと叩く者があってもいいはずだ」 彼は、ひたすら棺の外からノックする音をまちわびている。 棺といっても、これはわれわれの知っているあの白木づくりの棺桶ではない。難熔性のモリブデンの合金エムオー九百二番というすばらしい金属でつくった五重の棺である。また棺内は、白木づくりの棺のように辛うじて横になっていられるだけの狭さではなく、なかなか広い。天井の高い十畳敷の部屋ぐらいの広さだ。そこにベッドもあれば、冷凍機械もあり、温度調節器もあり、ガス発生器とか発電機とか信号器とかいろいろの機械がならんでいる。また、たくさんの参考文献や、そのほか灰皿や歯ブラシや安全剃刀などという生活に必要ないろいろな品物も入っている。早くいえば、研究室と書斎とを罐詰にしたようなものである。 彼フルハタは

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    r_coppelia 2010/01/21
    人造皮膚だから恥ずかしくないらしい。
  • 土井晩翠 漱石さんのロンドンにおけるエピソード 夏目夫人にまゐらす

  • 海野十三 人造人間エフ氏

    人造人間(ロボット)の家 このものがたりは、ソ連の有名な港町ウラジオ市にはじまる。そのウラジオの街を、山の方にのぼってゆくと、誰でもすぐ目につくだろうが、白い大きな壁と、そのうえに青くさびた丸い屋根をいただき、尖(とが)った塔が灰色の空をつきさすように聳(そび)えているりっぱな建物がある。 「ああ、じつにりっぱなお寺だなあ」 知らない人は、きっとそういうであろう。ところが、この建物は、昔はお寺であったにちがいないが、今はそうではない。では、あれは一体どういう家なのであろうか? ほかでもない。あれこそイワノフ博士(はくし)の『人造人間(ロボット)の家』なのである。 人造人間(ロボット)の家――というと、なんのことか分らないかもしれないが、もっとくわしくいうとこうである。イワノフ博士は、たいへんえらい科学者である。もうすっかり頭の禿げあがった老人であるが、若い学者にもまけない研究心をもっていて

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    r_coppelia 2010/01/21
    "「この豚の背中を見てくださーい。背中が卓子(テーブル)になっています」" "「この中に、おいしい酒がありまーす。私、命令する。その酒、コップに入って出てきます」"