ちきりん @InsideCHIKIRIN 社会派ブロガー & 紀行文筆家:人生の旅&リアルな旅を通じて学んだことを呟きます。 詳しい活動履歴はこちら→ chikirin.hatenablog.com/about 、音声ブログ→ voicy.jp/channel/1295、旅とも募集中→voicy.jp/channel/1295/5… chikirin.hatenablog.com
![ちきりん「富岡製糸場って“元祖ブラック企業”じゃん」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6eaf238d0c3c5388941a40ae8588aed2ed2bdf64/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F82213c2f0798cb7a2be19176539aa683-1200x630.png)
外国人が感激…幕末の日本で撮影された『サムライ』の写真(1866年) 1866年というと、日本では薩長同盟が成立した年(慶応2年)。 そんな幕末期にイギリスの写真家によって撮影された侍が、「なんてクールなんだ!」と海外で脚光を浴びていました。 鋭い眼光に、一分の隙も感じさせない威圧感。 外国人が称賛するのもうなずけます。 写真はイタリア生まれのイギリス人、フェリーチェ・ベアト氏によって1866年に撮影されたもので、ベアト氏は1862〜1885年まで日本に住んで仕事をしていたそうです。 (フェリーチェ・ベアト - Wikipedia) 他にも 弓。 甲冑。 集合写真。 などが紹介されていました。 明治維新によって廃れた侍制度に興味を持つ外国人も多く、海外掲示板も大いに盛り上がっていました。 ●その武士のプリント写真が家にもあって誰が作ったかわからなかった。ありがとう。 ●この男は何かすごいも
昆虫の家畜カイコをめぐる旅もいよいよ佳境へ(笑)。先月の上州に引き続き今月は信州に行ったのだが、その話をする前に、8月の日記で予告?した「富岡製糸場」への疑問を書いておこうと思う。 富岡製糸場東繭倉庫のアーチに掲げられた明治5年の竣工年。今回は文字が多いので写真はサムネールで挿入。クリックで拡大。 富岡製糸場の保存展示や世界遺産登録運動に関わっている人達は(もちろん全てではないが)、ここ何年もの間「富岡製糸場に女工哀史は無かった」ということを強調してきた。おかげで富岡製糸場を紹介する旅行者のブログやサイトには「富岡製糸場に女工哀史は無かったらしい」という記述が数多く見られるようになった。でもちょっと調べれば「女工哀史は無かった」などといえないことが分かるだろう。 以下は女工哀史がなかったとする地元の発言の一つ、富岡製糸場世界遺産伝道師協会会員の岩井建造氏のインタビュー記事である。岩井氏はボ
2014年04月26日 チェルノブイリの鳥は低レベル放射線に適応していることが判明 背景: 生物は環境に適応・進化していくことで生息地を広げていく。ウクライナのチェルノブイリは、28年前の原子力発電所事故によってヒトがほとんど住まない土地となった。しかし野生生物は一見変わることなくその地に生息している。これらの生物は、どのように放射線に対抗しているのだろうか。 要約: 28年前、旧ソ連・現ウクライナのチェルノブイリにおいて歴史上最大の放射性事故が起こり、ほとんどの人々はその地から離れた。そして放射性物質が消えるまでは死の土地になると予測されたが、実際には現在は自然の楽園として多くの動植物が生息している。また科学者にとっては、低レベル放射線の動物への影響を研究するための大きな実験場となっている。 放射線は大きなエネルギーを持っているため生物にとっては害となる。放射線を浴びた細胞は、活性酸素に
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