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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/Takeuchi-Lab (6)

  • 竹内研究室の日記

    竹内研究室の日記 2019 | 01 |

    raitu
    raitu 2016/05/30
    十数年前、情報技術で食ってくには組み込みとセキュリティとネットの組み合わせだろなと思い、そういう生き方をしてきてるけど、自分みたいなケースはけっこうレアみたいだし、金にならないニッチ領域では人材難
  • 竹内研究室の日記

    竹内研究室の日記 2019 | 01 |

    raitu
    raitu 2015/03/15
    「私の場合は人を見て判断してきました。学校でも職場でも、そこに居る人がいきいきとしていれば、そう間違えはないだろう。また、「この人と一緒に働きたい」という直感を大切にしてきました」
  • 「課題解決力、コミュ力」教育で、課題を解決できるようになるのでしょうか? - 竹内研究室の日記

    中学でも、高校、大学でも最近の学校は 「創造性を持った課題解決能力の教育をします」 「プレゼン力、コミュニケーション能力を育成します」 とアピールするところが目に付きます。それに、「グローバル力」を付ければ役満でしょうか。 これは企業が欲しい学生像だったり、学生が就活でアピールする時の言葉でもあります。 しかし、私も教育に携わる一員として、このような風潮がいまひとつ理解できません。 基礎の学力ができていない学生に特殊な教育をすれば、課題を解決できるようになるのか? 話す内容を持たない人が卓越なコミュニケーション能力を発揮してプレゼンできるのか? 学生もかわいそうです。 基礎の教育がおろそかのままで、「創造性を発揮して」「課題を解決し」「プレゼンしろ」と言われたら、デタラメを堂々と話す若者が量産されるのは必然です。 問題なのは若い人ではなく、そうした人を育成しているシステムです。 現在の「課

    raitu
    raitu 2014/11/24
    「基礎の学力ができていない学生に特殊な教育をすれば、課題を解決できるようになるのか?話す内容を持たない人が卓越なコミュニケーション能力を発揮してプレゼンできるのか?」インプットの無いアウトプットは詐欺
  • 単純には喜べない青色レーザーダイオードのノーベル賞。日本ではゼロから1を作った人がリスペクトされるのか? - 竹内研究室の日記

    青色レーザーダイオードを実現した赤崎先生、天野先生、中村修二さんがノーベル賞を受賞されました。当におめでとうございます。 特に中村修二さんは企業(日亜化学)での仕事で受賞したわけですから、私は中村さんよりも下の世代ですが、企業で技術者だった私は大変勇気づけられました。 大変失礼な言い方をすると、赤崎先生は偉すぎて雲の上の存在ですが、中村修二さんならひょっとしたら自分もなれるかもと、企業などで実用研究をしている技術者にも思われるところがあるのが、今回のノーベル賞は良いですね。 また実は私は学部、修士の時に青色レーザーに関連する研究をしていたので、昔(学生時代)を思い出して感慨もひとしおです。 当時は青色レーザーを目指して、今回受賞したGaNとZnSeが激しく競争。いずれの陣営も日の企業・大学が中心で、「日を制したものが世界を制する」という、日の黄金期でした。 私は「負け組」であるZn

    raitu
    raitu 2014/10/08
  • ルネサスはこのまま崩壊に向かうのでしょうか - 竹内研究室の日記

    今日の日経の一面の記事、「ルネサス、山形の最先端工場を閉鎖 15年度にも 」はさすがにショックでした。 日経は最近は誤報が多いから、また誤報かなとも思いましたけど、その後、NHKなども報道しているから、きっと当なのでしょう。 ルネサスは多くの工場を国内に抱えており、リストラはかねてから言われていました。 工場の内容を聞くと「まだ日にあったんだ??」と不思議に感じてしまう古い工場や後工程の工場などが多い。 他の企業がすでに海外にアウトソースしているのが遅れていたわけで、閉鎖や売却も仕方ないかなと思っていました。 しかし、鶴岡工場は違います。300ミリウエアのちょっと前までは最先端の微細化された製品を作る工場です。 ロジックとDRAMを混載する技術があり、グラフィックスなど、高速なメモリを必要とする市場に強く、任天堂の製品のCPUを作られていたことで有名でした。 この技術は、世界でも鶴岡工

    raitu
    raitu 2013/07/29
    ルネサス鶴岡工場閉鎖「あれだけの最先端の工場がタダのスクラップで、装置は中古市場に切り売りするというのは、何とももったいないし、異常なこと」
  • 大学を卒業して20年たつとわかる、終身雇用なんて、幻想だった。 - 竹内研究室の日記

    自分は大学院を卒業して20年たつのだけれども、同期の連中の身の振り方をみると、終身雇用で会社に勤めあげる人なんて、ほんの一部。 就職した時には、東大の工学部の同期たちは、自分も含めて、いわゆる大手企業、メーカーや金融機関、商社などに就職して行った。 その時は、特にメーカーは世界の中で競争力があったし、日メーカーの間で転職はできないとも言われていたので、就職した会社に一生勤めるのは普通だ、という認識だったと思う。 つまり、ほとんどの人は、終身雇用のつもりで、就職をしていた。 それが、20年後の今では、最初に就職した会社に勤め続けている人は、同期の中でも1/3も居るかどうか。 就職した時と、その後の展開は、全然違ったものになりました。 まず、90年代、私たちが20代の時に、金融バブルがはじけ、盤石だと思われていた、大手の金融機関がバタバタと倒れて行った。 特に、東大生は長銀に就職した人が多か

    raitu
    raitu 2013/06/16
    「20年後の今では、最初に就職した会社に勤め続けている人は、同期の中でも1/3も居るかどうか」東大生でもこれ
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