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ブックマーク / note.com/syosin_kai (4)

  • 幻に終わった対任天堂共同戦線 セガ&SCE|初心カイ

    1990年代初頭、某所にて今後のゲーム業界を大きく左右する二社合同技術研究会が行われていた。 その研究会に参加していたのはセガの佐藤秀樹。後にセガ社社長にまで上り詰め、セガハードの父と呼ばれる男だった。セガ内のエース中のエース、アウトランとスペースハリアーを作った男、鈴木裕もいた。 そしてさらなる男がいた。ソニーの久夛良木健。プレイステーションの生みの親である。 彼らを中心にセガ、ソニー両社の技術者たちが机の上に並べられた資料を持って喧喧諤諤の大議論が行われた。その資料とは、開発途中だったセガサターンの資料だったのだ。隠しているものは何もなく、全スペックを久夛良木たちの前にさらけ出していた。 彼らの頭にあったのは「対任天堂共同戦線」である。当時のゲーム業界最大、最強の巨人に対抗しなければならない。それはセガ、ソニー両者の共通認識だった。そしてじきに「二社が共同で同じハード上で力を合わせるこ

    幻に終わった対任天堂共同戦線 セガ&SCE|初心カイ
  • とてもすごくよくわかる「任天堂チェック」の歴史|初心カイ

    2023年は任天堂がファミリーコンピュータを世に出してから40周年にあたります。おめでとうございます。 まだ動く個体のファミコンが存在することに驚きます。私はファミコンと同世代なのですが、最近は体にガタがくるようになりました。どれだけ耐久力あるんでしょうね、ファミコン。 それほど長い歴史を有しているファミコンなのですが、おかげで少しばかり誤解の種が存在しているようです。それは「ファミコンは厳しい任天堂チェックを行っていたので、クソゲーは発売できなかった」というものです。これが誤解であることは、当時のファミコンソフトをランダムにいくつか触ってみればわかることなんですが(私リアルタイムでエルナークの財宝をプレイしたことがあるんですが、当にどう遊んで良いのかわからなかったです)、たまにそういったシステムを敷いていたと思い込んでいる人の言説に出会うことがあります。 しかし「そう思ってしまいかねな

    とてもすごくよくわかる「任天堂チェック」の歴史|初心カイ
  • なぜ町のゲーム屋はどんどんなくなっていったのか?|初心カイ

    以前はどんな地方都市でも「町のゲーム屋」が多数存在していた。駅前には複数のファミコンショップがひしめき、休日になるとそれらに子どもたちが押し寄せ目当てのゲームを買い、中古の棚を漁り、小遣いとにらめっこしながら、友達と貸し借りの相談をしながら、長い時間を過ごしていた。 今、そんなファミコンショップは恐ろしいほどに数を減らしている。「町のゲーム屋」は絶滅危惧種となった。ゲオやツタヤがその代わりを果たすようになった……といえばいいのだが、それらも今やゲームから撤退した店舗すらある。 そういう薄ら寒い状況にあるゲーム業界の小売店だが、さて、いったいいつ、どれだけ町のゲーム屋が減っていったのかを把握している人はいるだろうか? 衝撃的なデータが存在する。メディアクリエイト(一部の人にはとても有名なゲーム関連のデータをやり取りしている会社だ)が発売している「テレビゲーム産業白書」には、「テレビゲームの小

    なぜ町のゲーム屋はどんどんなくなっていったのか?|初心カイ
  • 夢、見果てたり -セガ ドリームキャストの敗北-|初心カイ

    ドリームキャスト。セガが実質最後に発売したコンシューマーゲーム機の名である。 当時No1プラットフォームであるプレイステーション、そして長年のライバルであった任天堂のニンテンドウ64。 彼らに打ち勝つべく、セガが送り出したこのコンシューマーゲーム機は、セガに致命傷を負わせ、セガが自力で立てなくなるほどの状態に陥らせた。なぜここまでのダメージを負ってしまったのだろうか。 この記事はドリームキャストでセガがやろうとしたことを読み解き、今に至るまでの歴史を解説していく。 セガサターン時代、セガは流通改革でセガ・ユナイテッドを構築したが、結果だけを見ればこれは上手くいかなかった。(前回の記事参照) 理由はSCEがそれ以上に洗練された流通網を有していたことと、複数の問屋の集合体であるセガ・ユナイテッド内部で競合が起きてしまったこととがある。 セガはドリームキャスト発売の前段階として、この流通を改革し

    夢、見果てたり -セガ ドリームキャストの敗北-|初心カイ
    rancor
    rancor 2022/01/15
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