eirene - ローマ教皇ベネディクト16世に、イスラム諸国が抗議している件 eirene - ローマ教皇ベネディクト16世・レーゲンスブルク大学での講演(2006.9.12) eirene - ローマ教皇・ベネディクト16世の講演記録を読んでみた eirene - 教皇と愚言 あんとに庵◆備忘録 - ベネディクト16世の暴走報道 あんとに庵◆備忘録 - ベネディクト16世発言をめぐる陰謀論 あんとに庵◆備忘録 - ベネディクト16世の講義文 kom’s log - 誤謬 kom’s log - 引用について 小林恭子の英国メディア・ウオッチ : 思考の壁? ローマ法王のスピーチ 小林恭子の英国メディア・ウオッチ : ローマ法王発言の波紋 TODAY放送分から 小林恭子の英国メディア・ウオッチ : ローマ法王の「何故?」 Living, Loving, Thinking - ベネディクト
前回、言葉が足りないように感じたので、BBCラジオのTODAYの中の会話の大枠を再現してみたい。(9月16日放送分。来週の月曜日の朝6時前までは、おそらく16日付分が聞けると思う。放送開始後1:35分頃より。http://www.bbc.co.uk/radio4/progs/listenagain.shtml) オックスフォード大学の教授タリク・ラマダン氏とウエールズ・カーディフ大司教ピーター・スミス氏がゲストだった。 ―スピーチに怒りを感じているか? ラマダン氏:怒りを感じない。全体の文脈の中で考えるべきだ。最善の言葉ではない、と思った。14世紀の言葉を引用している。こんなことをする正しいときではないし、正しいやり方ではない。私たちは落ち着いて、合理的にこの問題を考えるべきだ。法王はジハードなどの問題を問いかけている。もっと重要なことにはイスラム教の合理性と欧州の伝統に関して話している。
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。
預言者風刺画問題記事、準備中。今日中(フランス現地時間)にはなんとかアップ予定。→大幅に遅れて現地時間で2月11日午後になりましたが、こちらの日付でアップします(一応、時間的整合性のため、以下では9日以前の事実については書かない予定)。2月15日に積み残し部分を掲載(この記事終了)。 デンマークの新聞、ユランズ・ポステン紙が掲載したムハンマド(マホメット)の風刺画をめぐる一連の事件について先週末に記事をアップしたいと思っていたが、時間がとれず仕上がらないうちに状況がどんどんと進行し、事件そのものについてはフランス紙の報道をわざわざ伝える必要がないほどに、日本のメディアでもブログでも詳しく取り上げられている。 日本のネットをざっと見たところでは、この事件を「言論の自由」と「宗教の尊重」の二つの原理の衝突、さらには前者の原理を優先させる欧州対後者の原理を優先させるイスラム世界の二つの世界の衝突
たとえば宗教というものを、 「何らかの聖性を担保として営まれる一連の行為」 または、 「何らかの聖性の所在を込めて営まれる行為」 であるとすれば、 あらゆるものに対して、「信仰」の存在の「暴露」を仕掛けるような、対象依存型の「批判」という陥穽には陥らずにすむのではないだろうか。 とは言っても、「聖性」の見極めなんてのは、よほどでなければ、主義主観入り混じったものになるのだろうけれども。 さらに言えば、その「行為に潜む聖性」というものは「聖性を持たない行為」と対であってこそ存在するもので、 「聖」と「俗」の美しい相補関係が、確固としてそこに存在することになる。 いうなれば、「醜いセカイが存在してこその聖なるセカイ」なのであって、それに増して重要なのは、その逆向きの回路としての、「聖なるセカイが存在するための醜いセカイ」というものである。 「聖なるもの、美しいもの」というのは目に付きやすく、ま
mumurブログ:犬の頭部不法投棄事件の容疑者 「犬の肉を他の肉に混ぜて売っていた」 ここ(↑)は基本的には嫌韓ネットウヨのすくつなんだけど、なんだけど、時としてコメント欄には意外に冷静な人が多かったりする。 まあもしかすると、「焦っているだと?私は冷静だ…!」という類の冷静さ*1なのかもしれないけれどもそれはさておき。 このニュースのポイントが「その肉を口にしていた人が、犬肉を食っているという自覚があったのか否か。」(<<参考>>)というのはもちろんである。 が、もうひとつのポイントというのがここだ。 伝統的に仏教を信奉した日本では、肉を食べ始めたのは1868年の明治維新以後だった。しかし仏教の輪廻説を根拠に人間のすぐ次の段階である犬の肉は、どんな場合も口にしなかったし、甚だしくは江戸時代には犬を神さまと信奉して幕府が毎年多額の税金を投じて迷い犬を保護し、犬を虐待した飼い主を流刑に処する
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