舛添氏は「好都合」な存在だった 都議会自民党は、6月14日、断腸の思いで「舛添(要一都知事)斬り」を決断、それを受けて舛添都知事は、15日午前、辞職願を提出し、長い騒動にケリがついた。 解散風をチラつかせ、当初は都議会自民党の辞職要求を拒否するなど、しぶとさを見せつけた舛添氏だが、自民・公明の都議会与党と都知事との関係は、すこぶる良好だった。 東京五輪事業、築地市場の跡地利用、お台場カジノ構想など、政治的な調整が必要なビッグプロジェクトに舛添氏は関与せず、有力者に任せ、都知事は政策と対外的な“顔”としての役割に注力する、という約束が、14年2月、自公の推薦を受けて立候補した時からできていたという説がある。 数々の事業を抱える東京都には、政治と行政と業界の調整役が欠かせない。限られた予算で、業者を効率的に配備、ムダな争いを避けて、スケジュール通りに工事を進める必要があるためだ。 利権調整は行