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ブックマーク / call-of-history.com (3)

  • 「幕末の朝廷―若き孝明帝と鷹司関白」家近 良樹 著

    まぁ絶版なので最初は書評書かなくてもいいかと思ったのだが、やはり書の幕末史における重要度から言っても紹介しておく方が良いかなと。2007年のなので、たぶんあと五年か十年かしたら中公文庫なり講談社学術文庫なりから再販されるんじゃないかと思うが、とりあえず良いなので、古書なり図書館なりで一読おすすめします。一応、先日紹介した同じ著者の「江戸幕府崩壊 孝明天皇と「一会桑」 (講談社学術文庫)」2~5章で同時代の大まかなアウトラインはつかめます。 天皇の地位の急激な上昇日近世・近代政治史上最大のテーマ、それは「天皇は何故これほど急激に地位を向上させたのか」ということだ。 豊臣氏を滅ぼした徳川幕府は元和元年(1615)、禁中並公家諸法度を制定して天皇と朝廷を事実上支配下に置いた。表面上幕府と朝廷は対等という体裁を整えてはいたが摂関家以下公家は将軍に臣従し、武家伝奏を通じて朝廷統制が行われ天皇

    「幕末の朝廷―若き孝明帝と鷹司関白」家近 良樹 著
  • 十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十六世紀から十七世紀、戦国時代中期から江戸時代初期にかけて、多くの日人が海を渡り、東南アジアから東シナ海にかけて様々な活動を行った。海を渡った日人はどのような人々だったか、大きく(1)倭寇(2)武士・雑兵(傭兵・奴隷)(3) 商人・労働者(4) キリシタンの四つに分けられる。もちろん、分けられると言ってもその境目は厳密ではない。むしろ、その重なり合っている様がまた時代性を表してもいる。 (1)倭寇倭寇とは何か倭寇の活動は大きく二期に分けられる。前期は高麗で史料上倭寇という言葉が頻出しはじめる1350年ごろから十五世紀末にかけての時期で、1375年ごろから活動が頂点に達し、朝鮮半島沿岸を襲い、略奪・殺戮を繰り返した。最盛期には300~500艘の船団を形成し、千数百の騎馬隊と数千人の歩兵を乗せ女性や子どもを伴っていたという。1419年、倭寇の根拠地となっていた対馬に李氏朝鮮が大規模な討伐軍

    十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「真田三代 幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る」平山 優 著

    2016年のNHK大河ドラマが真田幸村の生涯を描いた「真田丸」という作品になるそうだ。よく知られているように幸村は後世、創作作品で名付けられた通称で、存命中幸村と名乗ったことはなく信繁が正しい。しかし、江戸時代の軍記物や講談から文学作品、映画・ドラマ、さらに最近ではゲームまで繰り返し真田幸村として登場しており、戦国武将の中でも屈指の知名度を誇る人物だろう。僕も子供のころから様々な作品を通して真田幸村になじんできた。 幸村と信繁、創作上の悲劇の英雄と歴史上の一人の戦国武将との間には少なからぬ違いがある。このイメージと実態との差は信繁に限らず、真田一族全体にいえるもので、その違いを丁寧に解きほぐし、あるいは切り分ける作業が、戦国時代の真田氏研究の大きなテーマとなってきた。書はその真田氏研究の代表的な研究者である著者による真田幸綱(一徳斎幸隆)・昌幸・信繁の三代記である。来であれば三代目は信

    「真田三代 幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る」平山 優 著
    regicat
    regicat 2014/05/19
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