Author:桜田史弥 日本史娯楽物語サイト「歴史チップス」の未来のネタ探しや過去記事の修正のため、歴史関連ニュースを確認しながら編集しています。 にほんブログ村 にほんブログ村
江戸時代に代々岩出山伊達家に仕えていた吾妻(あがつま)家の古文書1万数千点の中から、藤堂高虎らが伊達政宗らに送った手紙40点余りが発見された。
日本画家・能島康明が若かりし頃に手掛けた幽霊画が、創作の場としていた築館の画室で発見された。 120×40cm、青っぽい着物をまとった女性の幽霊が、憂いを帯びた表情で一点を見つめているという。[河北新報]
市川橋遺跡で「丈部(はせつかべ)」「矢作部(やはぎべ)」などの姓を持つ七人の名前が記された漆紙文書などが、内館館跡(うちだてたてあと)から中世のものとみられるイノシシ形の素焼きが発見された。 24日午後1時半から遺跡調査報告会が市民活動サポートセンターであり、市内にある遺跡の2016年度発掘調査の成果を紹介する速報展が市埋蔵文化財調査センターで7月末まであるという。[河北新報]
「くりでん」の愛称で親しまれた旧くりはら田園鉄道の駅舎などに使用された19世紀末の欧米製のレールが、旧若柳駅構内で発見された。
原遺跡で奈良時代の官庁跡に多く見られる方形の柱穴や、古代の東海地方で作られたと推定される「円面硯(えんめんけん)」が東北地方で初めて発見された。
同地区では明治四十四年(1911)に導入されたもので、台車に載せて火災現場まで運び、取っ手の付いた棒をシーソーのように上下させて水を出す仕組みだという。[河北新報]
下野郷の五間堀川と志賀沢川の合流地点脇にある下野郷館跡(たてあと)遺跡で、戦国~江戸時代(16世紀後半~17世紀)の建物跡と護岸施設跡が発見された。
小塚の中野遺跡で昭和四十八年(1973)に発見された古代瓦が、多賀城創建前の陸奥国府だったとされる郡山遺跡で出土した瓦と同じ特徴を持つことがわかった。
同運河は、石巻と東松島両市の境を流れる定川と石巻市内の旧北上川を結ぶ運河で、釜閘門は、船が円滑に往来できるよう定川と北北上運河の水位を調整するために明治四十年(1907)頃に完成したという。[河北新報]
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く