さて、家に帰りインド渡航準備を始めた石作皇子は、冷静に戻った。 (遠い遠い天竺(てんじく。インド)の、広い広い国の中に、たった一つしかない、しかもないかも分からない仏の石の鉢なんて、一生涯かかったって見つけられるわけねーじゃねーか!) 石作皇子は考えた。 (まてよ。これはまともに考えることではないな。なぞなぞじゃねーか?) 彼は確信した。 (そうだ! かぐや姫は希望の品を持ってきたかどうかでダンナを決めるわけじゃねえ! どんな知恵をしぼったかどうかで決めるつもりだ!) そう考えた石作皇子は、 「では、今日から天竺へ行ってきまーす」 と、竹取の翁にあいさつしに行くと、渡航したフリだけして山に隠れてしまった。 そして三年後、仏の石の鉢を持って帰ってきた。 むろん、インドで探してきたわけではなく、大和の山奥の山寺にあった黒ずんだ鉢を、仏の石の鉢だと偽装したのであった。 「これが有名な有名な仏の石
ところで、五人の貴公子のうち、阿倍御主人と大伴御行と石上麻呂は実在の人物であるが、石作皇子と車持皇子は、史上その名が登場しない人物である。 かといって五人中の二人だけが架空人物とは考えにくい。 これについて江戸時代の歴史家・加納諸平(かのうもろひら)は、石作皇子は多治比島(たじひのしま)、車持皇子は藤原不比等がモデルだとしている。 なるほど、古代~近世の閣僚名簿『公卿補任(くぎょうぶにん)』をみると、大宝元年(701)に五人は勢ぞろいしている。 しかしながら、島と不比等は「皇子」ではない。 『竹取物語』の中に「皇子」と書かれている以上、「皇子」の中から候補者を探すべきではないか? 私が石作皇子と車持皇子の候補とするのは、穂積皇子(ほづみのおうじ・ほづみのみこ)及び長皇子(ながのおうじ・ながのみこ)である(「亀虎味」参照)。 また、この物語が「恋争い」ではなく「政争」を暗示しているのであれば
近所の人はいぶかしがった。 「竹取の翁はどうして急に大金持ちになったんだ?」 「竹採りって、そんなにもうかるのか?」 「なんでも砂金の詰まった竹を何度も発見するうちに大富豪に成っちまったらしい」 「それに、ぶっ飛び美女がいるらしいぞ」 「どういうことだ? オジイとオバアの娘か孫か?」 「なんでも竹やぶで拾ってきた娘だそうな。しかもたった三か月で成人し、ぶっ飛び美女になったという」 「そんなもん、オレも拾いてー!」 ぶっ飛び美女かぐや姫のうわさは、たちまち天下にとどろいた。 「そんなにすごい美女がいるのか」 うわさを聞いた天下の好色男たちが続々と竹取の翁の家にやって来て求婚した。 「かぐちゃん、見せてっ」 「いっぺん見せてけろー」 「お願いしますだ!」 「姫と結婚させてくだせー」 「おいどんが幸せにするでごわす」 が、竹取の翁とオバアはことごとく断ってやった。 当然、人妻かぐや姫の本意であっ
平成十七年(2005)十一月十七日、国土交通省が衝撃の重大発表を行った。 「ある建築士が建物の構造計算書を偽造したため、震度五で倒壊する恐れのあるマンションがあります」 これが文字通り世間を震撼(しんかん)させた「耐震強度偽装(偽造)事件」の始まりであった。 そして、偽造を行ったとして一躍汚名をとどろかせたのが、姉歯秀次(あねはひでつぐ)一級建築士(以下、肩書きはみな当初のもの)である。 殺到したマスコミに、姉歯建築士は言い訳した。 「仕事に追われてやってしまった。でも、私だけの責任ではない。私一人だけでできることではない」 「何だって!」 驚いた国交省は、再調査を行った。 結果、建築主として中堅マンション販売会社「ヒューザー(小嶋進社長)」などが、施工者として中堅建設会社「木村建設(木村盛好社長)」などが、検査者として指定確認検査機関「イーホームズ(藤田東吾社長)」などが浮上した。 が、
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