[第11回]米国モデルをどう超えるか ファンド資本主義の限界 渋沢 健 Ken Shibusawa コモンズ投信会長 ちょうど100年前、51人の民間人が海を渡って米国のシアトルに上陸した。日本初の大型「渡米実業団」の団長は「日本の資本主義の父」と後世に名を残すことになる渋沢栄一。3カ月をかけて米国大陸を横断しながら教育や福祉などさまざまな施設を訪問した。タフト大統領や発明王のエジソンなどと会談し、各界の実力者との交流を深めた。 渋沢健氏 若き時代の栄一は、1867年のパリ万国博覧会に、日本の代表団員として参加する栄誉に浴した。日本に持ち帰った先進国の発展モデルの「先生」は欧州であった。 しかし、約40年後、栄一が日本の経営者を導いた訪問先は欧州ではなく米国であった。栄一は、米国の気力と行動力を評価して20世紀は米国の時代になると読んでいた。 21世紀の米国は様子がちょっと違う。同時多発テ