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ブックマーク / globe.asahi.com (2)

  • 朝日新聞グローブ (GLOBE)|World Economy―先読み世界経済 渋沢健

    [第11回]米国モデルをどう超えるか ファンド資主義の限界 渋沢 健 Ken Shibusawa コモンズ投信会長 ちょうど100年前、51人の民間人が海を渡って米国のシアトルに上陸した。日初の大型「渡米実業団」の団長は「日の資主義の父」と後世に名を残すことになる渋沢栄一。3カ月をかけて米国大陸を横断しながら教育や福祉などさまざまな施設を訪問した。タフト大統領や発明王のエジソンなどと会談し、各界の実力者との交流を深めた。 渋沢健氏 若き時代の栄一は、1867年のパリ万国博覧会に、日の代表団員として参加する栄誉に浴した。日に持ち帰った先進国の発展モデルの「先生」は欧州であった。 しかし、約40年後、栄一が日の経営者を導いた訪問先は欧州ではなく米国であった。栄一は、米国の気力と行動力を評価して20世紀は米国の時代になると読んでいた。 21世紀の米国は様子がちょっと違う。同時多発テ

    renny
    renny 2009/06/12
    目先の成長ではなく、「継ぐ心」
  • 朝日新聞グローブ (GLOBE)|Breakthrough -- 突破する力 中村俊輔

    サッカーをするならこの古き偉大なチームのために サッカーを見るならこの古き偉大なチームを そして、その歴史を知れば もう夢中になるしかない 応援歌が響き渡る。スコットランド・グラスゴー。100年以上の歴史を持つ拠「セルティックパーク」のスタンドは、いつも満員だ。地味でもチームに貢 献するプレーには6万人から大きな拍手がわく。簡単なミスや気を抜いたプレーには厳しい声が飛ぶ。「選手を育てるスタジアム」と中村俊輔は言う。 24日、セルティックで4年目、欧州で7年目のシーズンを終えた。 中村はいま、振り返る。 「20歳ぐらいのころは外国へ行くのが怖かった」 怖かったのは、自分のプレーが通用するか確信が持てなかったからだ。 Jリーグで評価され、日本代表で活躍し、日でやり残したことがなくなって初めて、欧州挑戦の資格を得る。当時はそう思っていた。 しかし、W杯に出場する日本代表から外れた02年夏、イ

    renny
    renny 2009/06/09
    トルシエ監督(当時)が僕を日本代表から外したのは、それを見抜いていたからだと思う。当時はわかっていても変われなかった
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