2018年の夏はとても興味深いものだったと言えるかもしれない。そして、私はこの夏を二度と体験したくない。 私はAppleに対し、企業として、そしてその経営手法に、非常に批判的な見方を常にしてきた。だが、この8年ほどの間で、同社に対する気持ちは、完全な嫌悪感から、使いやすさを認めるまでに落ち着いた。「iPhone」と「iPad」を日常的に使用し、いやいやながらも「Mac」を時々使うようになったからだ。 多くの消費者はAppleの製品に対して献身的な情熱を抱いているが、私にはそれが理解できなかった。確かに、私は同社の製品を使っていたが、こうした分野のことについて文章を書く人間として、あらゆるモバイルテクノロジプラットフォームについて知っておかなければならないという気持ちから使っていたにすぎない。 私はiPhoneと「Android」端末の間を、大方難なく行ったり来たりして使っている。「iPad