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河村市長・南京大虐殺否定論の根拠のひとつは... 河村市長が南京事件なかった、とぶちあげてから、大騒 ぎになっています。その根拠のひとつとして「20万人しかいなかったから 30万人殺せない」を挙げました。ただし、河村氏は否定論そのものもよく読んでいないので、「30万人いたから、人 口は減っていない」などの珍説まで披露する始末で南京事件についてはなーんにもわかっていらっしゃらないのですが。 しかし、「20万人しかいなかったから30万人殺せない」は否定派や、否定派に騙された人たちがあげる否定根拠のうち の最多のものです。何回か書いたことがあるテーマなのですが、簡単だが深いところから書いてみましょう。 ”南京市人口”の出典 文献をたどって見ますと、 南京市政府 書簡 11月23日 『調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余 万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付
前回のメールマガジンで南京事件否認論について書いたところ、感想のメールをいただきました。南京事件の実在に対して否定的なご意見でした。私信であり、ちょっと公開して良いものかどうかわからないので、引用は控えますが、要点は「南京事件は一次資料が少ないから信用できない」ということだと思います。 ぼくは南京事件について議論するつもりはありませんが、以下、簡単にこれに反論してみたいと思います。というかまあね、南京事件を証明する一次資料は普通にあるよ、って話なんですが。 たとえば、ぼくの手元にある『南京事件資料集』。二冊組の分厚い本なのですが、ここに収録されているのはほとんどが南京事件の一次資料です。「1 アメリカ関係資料編」、「2 中国関係資料編」と分かれていますが、いずれにしろ南京事件の実在を示していることに変わりはありません。 というか、この資料集を読んでいると「実在したか、しないか」などというレ
河村たかしが南京事件否定論者であることについては当ブログで繰り返しとりあげてきたため、先週彼の口から発せられた与太についても驚かなかった(発言した機会についてはさすがに少し驚いたものの)のだが、その後一週間のマスコミ及びネットでの反響によって、改めて問題の根の深さと深刻さを思い知らされた。この社会は、質的に言って最低レベルの歴史修正主義すらきちんと批判できないのだ。 「河村たかし名古屋市長「南京事件は無かった」発言を訂正-南京事件関連本人気ランキング」 河村たかしの釈明を批判している記事なのだが、そのなかにこんな一節がある(強調は引用者)。 昭和史研究の権威である秦郁彦氏ですら、史料に基づく数ではなく「推論」でその数を主張しているのが現状だ。 この人が中公新書の『南京事件』を読んだことがないのはまず間違いない。あの本を読んで「史料に基づく数ではなく」なんてことが言えるはずはないから。また、
網羅しているわけではありませんが、とりあえず台湾、シンガポール、アメリカでの英語報道を集めました。 シンガポール The Straits Times (2012/2/24) Tokyo governor backs Nanjing massacre denial TOKYO (AFP) - Tokyo's outspoken conservative governor Shintaro Ishihara on Friday said that he agreed with the mayor of Nagoya's statement that the 1937 'rape' of Nanjing by Japanese troops never happened. Diplomatic sparks flew earlier this week when Mr Takashi Kawam
「蒋介石秘録〈12〉日中全面戦争 (1976年)」は1976年12月17日にサンケイ新聞社から出された本です。 現在は反中世論誘導のため、南京事件否定論のプロパガンダに余念のない産経新聞ですが、1970年代までは南京事件の否定などはしていませんでした。 国際社会において台湾が中国としての地位を失いつつあった1970年代、反共右翼は台湾に変って中華人民共和国が中国として世界に認められるのを苦々しく思っていました。反共右翼にとって、「反共」「大陸奪還」を主張する蒋介石台湾を支援するのは当然の成り行きだったわけです。 「蒋介石秘録」は、蒋介石が自己の正当性を訴えるためのプロパガンダでもありましたから、当然の如く中国共産党、特に毛沢東を誹謗中傷する内容に満ちています。1970年代当時の反共右翼にとっては、これで充分だったのでしょう。 徒に、南京事件否定論を展開して台湾の国民党を刺激したくなかったの
このカワムラという男にはほとほと呆れ果てます。 「南京大虐殺否定」論拠のあまりの幼稚さもさることながら、支持率の低下に焦り(経済に関してもトンデモ政治家!)右傾化世論に媚びた発言で再浮上を狙う姑息さ、醜悪さ。 唾棄すべき輩です。 カワムラ、イシハラ、ハシモト、それにヒガシコクバルにナカタ。 こんな低劣で卑しい連中が大きな支持を集めるニホンは、国際社会から見れば既に立派なカルト国家なのかもしれません。 このままでは、いずれアジアから、やがては世界からも孤立し、最終的には破滅へと突き進むことになるのは必定です。 このようなウンザリするニュースを聞くたび、非力なる自分に何ができるのか、何を為すべきか、自問自答する日々です。 ロサンゼルス市長とかに批難声明出してもらえませんかね? もし、ロサンゼルス市長が、名古屋市からの訪問団に向かって「私の父は、1953年に米軍の一員として名古屋市に駐屯したが、
外務省の横井裕外務報道官は24日の記者会見で、河村たかし名古屋市長が南京事件を否定する発言をしたことについて「旧日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害、略奪行為があったことは否定できない」と述べ、政府見解とは異なるとの認識を示した。その上で、95年に村山富市首相(当時)が植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」を踏襲する日本政府の立場について「一切変更はない」と強調した。 河村市長の発言を契機に姉妹都市提携を結んでいる中国江蘇省・南京市が交流を一時停止する発表をしたことについては「地方自治体間で適切に処理、解決される問題で、可能な限り早く解決されることを期待している」と述べ、政府として関与しない考えを示した。【西田進一郎】
日中友好協会愛知県連合会(石川賢作会長)は24日、河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言の撤回を求める抗議文を提出した。 抗議文は河村市長が否定発言の根拠として「目撃者がほとんどいない」などと説明したことに対し、「旧日本軍の上級将校の団体の出版物にも記されており、破綻している」と指摘。市長が中国側に討論会開催を呼び掛けていることについても「前提となる相互信頼関係が崩れ去っている」と批判した。 石川会長は「名古屋市民がみんな市長と同じように考えていると思われると心外だ。慎重に発言してほしい。両市の交流停止は民間、経済交流にも影響する可能性がある」と懸念を示した。 同会は3月、グループで南京市や武漢市を訪問し、大学生や地域住民との交流を計画している。【福島祥】
雨の中、南京大虐殺記念館を訪れた参観者。後方の30万の数字は中国側が主張する犠牲者数=南京市で2012年2月22日、隅俊之撮影 【北京・工藤哲、南京・隅俊之】南京事件を巡る河村たかし名古屋市長の発言について、南京市内では22日、大きな抗議行動は見られないものの、市民は深い失望感を抱いていた。中国国内では一部の保守政治家の極端な発言と受け止められてきたが、河村氏が22日に発言を撤回しない考えを明示したことで、中国政府も強硬姿勢に転じざるを得ず、外交問題に発展する可能性が出てきた。 南京市内にある南京大虐殺記念館は22日、雨天にもかかわらず参観者がひっきりなしに訪れていた。同館の朱成山館長は21日、河村氏に公開抗議文を送り、「南京と名古屋の友好都市関係を壊した」と強く非難していた。 参観した会社員の潘竟財さん(33)は、「事件の証拠はここにたくさんあり、誰も否定できない。発言は(国交正常化)4
現地の写真を手に、南京で見た様子を語る三谷翔さん(左)と松岡環さん=大阪府内南京入城式の日に行進する旧日本軍=1937年12月、中国・南京 日中戦争開始から5カ月後の1937年12月、旧日本軍の南京攻略戦に参加した元海軍兵士が、現地で目撃した光景を語る集会が5日、大阪市である。12年前、初めて証言した時は「虐殺」を否定する人たちからの反応が気になりついたて越しだったが、今回は素顔を見せて語る。いま90歳。最後の生き残り世代として「ほんまに見たんや」と伝える責任があるから、という。(武田肇) 大阪府在住の三谷翔(みたに・しょう)さん。37年6月、18歳の時、志願して佐世保の海兵団に入った。同10月、3等水兵として駆逐艦「海風(うみかぜ)」に乗り組み中国へ。揚子江遡行(そこう)部隊として南京に向かった。 三谷さんによると、自分の身長ほどの高さの死体の山を見たのは12月17日、日本軍の南京
◇影響力考えよ--評論家の大宅映子さんの話 首長など公人の言葉が軽くなった。深く研究しての発言なら結構だが、(目撃者がほとんどいないからという発言からみて)とてもそうとは思えない。高校生でも調べればもう少し多くのことが分かる。外交にまで及ぶ話題だという自覚がないのか。一市民が飲み屋で話しているわけではない。公の場での発言の影響力を考えるべきだ。 ◇理屈に驚いた--現代史家で「南京事件」などの著書がある秦郁彦さんの話 南京事件当時、そこにいたという人が「なかった」というならともかく、終戦時に滞在した父親の話を基に事件を否定する理屈に驚いた。「目撃者がいない」と主張しているらしいが、日本兵の日記、戦闘詳報、生き延びた被害者の証言はいくらでもある。公開討論会を開き、学術的な結論を出すしかないのではないか。
yingze 南京事件, 中国 id:D_Amon その引用している文章の前に、なぜ地理上の「南京」ではなく「大南京」で南京大虐殺語るべきかの理由が書いてあるし、記者は重鎮である孙宅巍は「大南京」を適用すべしと主張していると書いてある。 2011/07/10 http://b.hatena.ne.jp/yingze/20110710#bookmark-50363062 D_Amon id:yingeさん「「大南京」で南京大虐殺語るべきか」更に研究を深めるための新概念ですね/「記者は重鎮である孫宅巍は「大南京」を適用すべしと主張していると書いてある」どこに?記者手記には見当たりませんでしたが 2011/07/10 http://b.hatena.ne.jp/D_Amon/20110710#bookmark-50371850 yingze 中国, 南京事件 id:D_Amon 新概念ですよ、記
南京大虐殺について書かれている蒋介石秘録12巻が発売されたのは1976年。 犠牲者数について「三十万人とも四十万人とも」としています。 つまり犠牲者数40万人説は近年のものではないということ。 40万人説の存在をもって「南京事件の犠牲者数は増やされ続けている」なんて主張するのはただの嘘にすぎません。 yingze 中国, 南京事件 半年振りに孫宅魏の本積んでるの思い出したけど、また積んどきそう・・・/fut573 孫宅魏以前にも40万人説があったのか。 2012/02/23 http://b.hatena.ne.jp/yingze/20120223#bookmark-82029777 後、上記引用ブックマークコメントのようにid:yingzeさんが「孫宅魏以前にも40万人説があったのか」と孫宅巍が40万人説を主張したかのように書いていますが、それも嘘です。 孫宅巍は研究のために地理的範囲を
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